つるの剛士はほんとうに「差別扇動」を行ったのか?

 この一連のツイートが肯定的な文脈で伸びているみたいですね。

 ぼくはこれを結論ありきの誤った論理だと考えるので、批判しておきます。つるのさんが「差別扇動」を行っていると主張する方にも読んでいただければ。①から順番に批判していくので、読んでいってください。

①根本問題である「外国人」を「犯罪」と結びつけた差別煽動だという批判には、絶対に答えない。

 実際にある「外国人」による「犯罪」があったのならば、その意味でその「外国人」と「犯罪」が結びついているのは当然です。

 その事実について言及することは差別ではなく、問題でもありません。真に問題なのは、特定の個人を超えた「外国人一般」と「犯罪」を結びつけた発言があったかどうかで、もしそれがあった場合はたしかに「差別扇動」だといえます。

 なぜなら、実際に犯罪を行ったのは「ある特定の外国人」であるに過ぎないにもかかわらず、あたかも「外国人一般」が犯罪を行っているかのように語っているからです。差別とは「ある特定の個人」と「属性」を同一視することに端を発するものですから、その発言は差別発言だと言って良いでしょう。

 しかし、この場合、そもそもそのような発言があったでしょうか? ぼくは「なかった」と捉えています。つるの氏はただ「うちの畑も最近パクチーやられました(現行犯でしたが※「日本語わからない」の一点張り)ので気をつけてください。」と発言しただけです。

 これは「パクチー」を盗んだある特定の人物は「「日本語わからない」の一点張り」だったというだけの主張で、ここから「外国人はみな泥棒だ」といったべつの主張が展開されているわけではありません。したがって、つるの氏は「差別扇動」を行っているとは思えません。当然のことではないでしょうか?

 また、その先のツイートで彼は「外国人に対するヘイトスピーチ」というツイートに答え、「日本人だろうが外国人でろうが農産物を盗む行為は歴とした犯罪。差別でもなんでもなく事実です。」と述べていますが、これもまったく当然の発言で、何ら問題があるとは思えません。少なくともぼくには。

 つるの氏に応答の義務があるという「「外国人」を「犯罪」と結びつけた差別煽動だという批判」を行うのなら、彼が具体的にどこでその「差別扇動」を行っているかを明確に指摘するべきでしょう。それができていない批判は筋違いであり、したがって答える必要はないとぼくは考えます。

 繰り返しますが、「(ある特定の)外国人が犯罪を行った」という事実を述べることは差別ではありません。それは単に事実なのであり、「外国人(一般)は犯罪を行う」というまさに差別的な主張とは根本的に異なっているのです。後者は問題ですが前者は問題ではありません。この区別はきわめて重要です。

 もちろん、前者の主張も広く届けば、世間の「外国人」のイメージにいくらか影響を与え、人々に「外国人は怖い」といったあやまった偏見を植えつけるかもしれません。しかし、だからといって「犯人が外国人であった」という事実を隠すべきだ、という主張は間違えています。なぜか?

 単なる「事実」を何らかの政治的理由で隠蔽しろ、と人に命じるべきではないからです。「事実」は「事実」なのであって、それ自体は差別でも何でもありません。その「事実」を隠さなければならない、隠すべきだと決めつけることは政治思想で「事実」をねじ曲げようとする考え方です。

 そのような「事実」を尊重しない考え方は、自分(たち)にとって都合の悪い「事実」を「否認」するという態度に繋がります。どのような意味を持つにせよ、「事実」は「事実」として認めるべきなのです。それがどんなに都合が悪かろうと。ごくあたりまえのことだと思いますが、いかが?

 もちろん、つるの氏が意図して事実を歪曲したり捏造したりしている場合はこの限りではありません。しかし、いまのところそう考える証拠はありません。したがって、彼を嘘つきだと決めつけてはいけません。

 たしかに、あるいはつるの氏には外国人に対する差別心があるのかもしれない。そのために事実を歪曲、ないし捏造すらしているかもしれない。その可能性が十分にあることをぼくは認めます。しかし、それはあくまで「可能性」であり、そして「可能性」で人を裁いてはならないのです。

 この場合、客観的に観測できるツイートで、つるの氏は「差別扇動」を行っていません。したがって、どんなに怪しく思えたとしても、彼を差別者呼ばわりしてはいけないのです。なぜなら、そのような「偏見と憶測」で「あいつならやるに違いない」と決めつけ攻撃することをこそ、「差別」と呼ぶのですから。

②問題となっている事実が何であるかも明らかにしない。しかし畑荒しが「憶測ではありません」と、自分の言動を100%正当化

 「問題になっている事実」は畑荒らしないしパクチー泥棒でしょう。

③家族を使い

 実際に家族が事件を発見したのならば、家族のことが出て来るのは当然でしょう。それを「家族を使い」と表現することはあまりにも歪んでいます。

④「優しい」ので許す寛容アピール

 実際に被害があり、それにもかかわらず許したのならば「優しい」と言っても良いでしょう。それを「寛容アピール」と見るのは、たとえば募金した人に対して「善人アピール」などと揶揄するのと同じことです。悪意のフィルターで見た見方なのです。

⑤「SNS上でこれ以上何も言えない」と説明を一方的に打ち切るが

 「一方的に打ち切る」も何も、そもそも、つるの氏には説明の義務などないのです。彼は被害者であり、何ら事件に対して責任を負ってはいないのですから。

 それを問題視するのは「どうせ彼はウソをついており、説明するとボロが出るからしないに違いない」と決めつけているからではありませんか? しかし、この考え方には合理的な根拠がありません。ただの偏見であり憶測です。そして、くり返しますが偏見と憶測で人を裁いてはいけません。

⑥それを「お察し下さい」と受け手側の自主的な理解を求め、人気を背景に自分の責任を解消

 つるの氏には説明の責任はありません。これも繰り返しますが、彼の主張を信じる限り、彼は被害者です。問いつめられるいわれはありません。そして彼がウソをついているという証拠もありません。

⑦「窃盗反対」と問題は犯罪一般であると強調し、あくまでも「外国人」と「犯罪」を結びつけた差別を正当化

 いつのまにかつるの氏が「差別」を行ったことが事実扱いになっていますが、いままで述べてきたとおり、あくまで「特定個人」と「属性」を区別するなら、これには根拠がありません。

⑧自分のツイートにぶらさがった酷い具体的差別に反対するのではなく、「差別なんて大大大反対」と超のつく一般的次元に反差別を解消することで、「反差別なんて当たり前だろといいつつ、そんなもの意味ないよねーみんな」という「犬笛」を吹いている。

 たしかに個人的にはどうかと思う態度です。しかし、個別のツイートに関してはそれを発言した当人に責任があるのは当然であり、また、この態度はつるの氏が「差別扇動」を行ったかどうかと関係がありません。裁判だったら裁判官の心証が悪くなるところかもしれませんが、心証だけで人を裁いてはいけません。客観的な証拠が必要なのです。

⑨「町山さんこの度は気分を害してすいません」と謝罪が差別にではなく、町山氏個人宛であることを断わる。問題を差別ではなく個人間のトラブルや対立問題に矮小化

 ぼくは町山氏相手に対しても謝る必要はないと思います。いままで何度も述べてきたようにつるのさんの発言からは差別扇動を行った事実は読み取れないからです。

 「つるのが差別発言をした」という類の批判はすべて筋違いなのです。それでもつるの氏は「気分を害し」たことを謝った。これを「矮小化」と取るなら具体的な「差別発言」を明確に示してください。

⑩「お終い目が笑っている笑顔」と最後のダメ押しで一方的な説明打ち切りを宣言しつつ絵文字で和らげる。

 「差別発言である」という批判が筋違いでしかない以上、つるの氏にいつまでもそれに付き合うべき道理はありません。彼が「無実」である以上、絵文字を使ってはいけないというのもよくわかりません。

 以上、長々と書いてきましたが、「つるのが差別発言を行った」という前提そのものに根拠がない以上、まったく意味がない議論です。もしこの一連のツイートを批判する人がいるのなら、そのときは具体的な差別発言の箇所を示してください。

 もしこのパクチー泥棒話に関連して、つるの氏が「外国人一般」(「ある特定の外国人」ではなく)が犯罪を行っているというツイートがあるのなら、ぼくはその事実を認め、謝罪します。しかし、そうでないのなら、これ以上彼を責めるべきではない。

 差別の事実がない場合に人を「差別した」と決めつけるのは、それ自体きわめて悪質な侮辱であり攻撃です。さまざまな「印象」を組み合わせて「どうせ差別しているに決まっている」と決めつけるのではなく、「具体的なツイートの文面」だけを見て判断すること。そこからスタートすることが大切です。