あけおめ。

 あけましておめでとうございます。新春です。ヒマなのでインターネットを徘徊しています。ええ、新年会を祝う友達も甘い言葉を交わしあう恋人もぼくにはいません。家族はどっかで寝ています。なので、シロクマさんの記事とか、

http://d.hatena.ne.jp/p_shirokuma/20141227/p1

 たまごまごさんの記事を読んで、

http://d.hatena.ne.jp/makaronisan/20141118/1416341433

 ふむふむ、なるほどなー、などと思っています。

 このふたつの記事には、ある種の限られた人間だけの趣味だったオタク文化が一般化していくことへの違和感が記されています。理性ではそれが良いことだとわかるのだけれど、どうにも居心地が悪いという感じを訴えているところも共通していますね。

 それはつまり、理解するためにはそれなりの知識なり特別な感性が必要だった「とんがった」文化だったオタク文化が、だれにでも理解できるノーマルな文化になって行っていることに対する違和であり、抵抗感なのだと思います。

 もちろん、聡明なおふたりはそれが時代の変化に伴う必然であり、あまり感傷にひたりすぎることは良くないと悟っているわけですが、それでもひとかけらの鬱屈を消し去ることはできない、ということのようです。

 うん、わかる。わかるよ。わかるけれど、「ぼくは」その種の鬱屈とか屈折みたいなものは、ほとんどないですね。まったくないかというとそこまでは断言できないけれど、まあわりと素直に「アニメおもしれー。ニコニコ楽しいー」と騒いでいる感じ。

 もちろん、いわなくてもいい憎まれ口を叩くことは多々ありますが、基本的にはいまの時代とその産物としての作品に大きな文句はない。

 「自分(たち)だけのものだったアニメがみんなのものになってしまった」という感傷が理解しえないとはいいませんが、ぼくはそこに悲壮感を感じません。

 むしろ逆です。ぼくはずっと自分の好きなものの良さをわかってほしくて、ひとに紹介しまくり、推薦しまくって来た。「ここにこんなに面白い作品があるよ!」ってね。

 ぼくが以前運営していた(いまも一応存続はしている)「Something Orange」というブログはまさにその「わかってほしい欲」の結晶です。

 だから、たくさんの人が「自分が好きなもの」に偏見なくふれてくれるようになり、それを評価してくれるようになったいまの時代はとても幸せです。

 ぼくがオタク的なカルチャーにハマってから、ここに来るまで四半世紀くらいかかっていますからね。感慨もひとしおというものです。

 こういうふうに書くとたまごまごさんとかシロクマさんを批判しているふうに受け取られるかもしれないけれど、そういうふうには理解してほしくないのです。じっさい、かれらの気持ちはよく理解できるのですから。ただ、ぼくにはその種の想いはないというだけのことです。

 どこが違うのだろうと考えてみたのですが、そもそも、同じ文化を愛好していても、好きなところが違っていたのかな、という気もします。

 ぼくはサブカルチャーとかカウンターカルチャーとか、たしかに好きだけれど、それは「サブ」の部分とか「カウンター」の部分が好きなんじゃなくて、「カルチャー」の部分が好きなんですね。

 その文化がいかに「逸脱している」か、「とんがっている」かということは、じっさいそんなに重要じゃないんですよ。いやまあ、逸脱していてとんがったカルチャーは大好きなのだけれど、それが社会的にどう扱われるかということはあまり大切じゃない。

 排斥されたり差別されたりするカルチャーだから好きなのだ、ということはまったくありません。可能なら一般に受け容れられたほうがいいし、「メジャー」になったほうがいいと思っている。

 まあ、どうしたって受け容れられそうにない、メジャーになりそうにない作品というものはあるわけですが。それはそれとしてね。

 つまりは、ぼくにとって大切なことは、その作品なり文化が自分にどのようなアイデンティティを付与してくれるかではないということです。より重要なのは、面白いか、面白くないか。それだけ。

 その意味では、ぼくの価値観は子供の頃からまったく変わっていないといっていいでしょう。幼年期に絵本を開いて「おもしれー」と思って読んでいた時の感性そのままでいま、サブカルチャーを楽しんでいる。

 ある意味、ぼくは中二病にすら達していないのです。5歳くらいで時が止まっているといってもいいかもしれない。

 5歳児はいいですよ。何でも新鮮ですから。ただ、2歳児と違ってリアリズムでは満足できない。どうしてもファンタジーが必要になって来るのだけれど、それでもまあ、かなり新鮮な気持ちで作品を楽しめる。

 だいぶとうが立って疲れてきたとはいえ、「漫画おもしれー」、「小説おもしれー」という気持ちはいつになっても色褪せません。色褪せたように感じられても、何か面白いものを読むとあっというまによみがえります。

 まずは作品に対する無邪気な気持ちを忘れないでいたいたな、と思いますね。まあ、ぼくの場合、無邪気が過ぎて幼稚になってしまっているかもしれませんが。好きになることは、やめられないのです。