『魔法先生ネギま!』に見る、読者補完型ストーリーテリング。

魔法先生ネギま!(36) (講談社コミックス)

魔法先生ネギま!(36) (講談社コミックス)

 赤松健魔法先生ネギま!』がいよいよ佳境に入っている。いままでの穏やかな日常は崩壊し、物語はいままでにない凄まじい速度で結末へと進んでいく。

 あとどれくらい話が続くのかわからないが、一年以上続くことはないのではないか? そんなふうに思う。少なくともこの先何年も続いてゆくことはなさそうだ。

 ひとつの長い物語が終わろうとしている――感傷に浸りたいところだが、それも許さずに物語は怒涛の勢いで進む。いったいこの先にどんな結末が待ちかまえているのか?

 ハッピーエンドになることは間違いないと思うけれど、いくらかの苦さは覚悟しなければならないかもしれない。いずれにしろ、読者にできることはいままでと同じ、わくわくしながら展開を見守ることだけだ。

 それにしても、今週号ではメインの物語に混ざってさりげなく重要情報が提示されていて驚いた。ネギが、場合によっては父ナギを自分の手で倒さなければならないことを自覚している、という情報である。

 どうやらネギは読者の知らないところで何かしらの情報を入手し、そこから推理してひとつの結論を導き出しているようなのだ。それは、読者が予想していることと重なるのだが、こうもあっさりネギが「そこ」に到達するとは思わなかった。

 『ネギま!』では、この手のことがしばしばある。登場人物が(主にネギが)読者の予想にあっさり追いついてくれるのである。そして、その追いつくまでのプロセスは描かれない。読者ひとりひとりが自分で考えてくれ、といわんばかりだ。

 展開の穴を、読者の予想で埋めることを前提にしたストーリーテリング、といえばいいのか。さりげなく漏らされたあるひと言から読者が先の展開を予想していることを前提にした語りなのだ。

 想像力で穴埋めしなければ成立しない物語、といえばいかにも欠陥品のようだが、そうではない。あらかじめ読者の予想を物語のなかに組み込んでおくことは、展開をショートカットすることに繋がる。そして何より、展開にわざとらしさがなくなる。

 『ネギま!』のキャラクターは、読者にとって自明の新情報に一々驚いてみせたりしない。読者がわかっていることは登場人物もわかっているのだ。そういう意味で、非常に知的なテリングであるといえるだろう。

 いよいよ神楽坂明日菜は百年の彼方に消え、来週からはネギの父親探しが描かれるものと思う。この洗練された語り口で描かれる物語がどこに着地するのか、本当に本当に楽しみだ。願わくは、見事な結末を見出さんことを。