叩けば商品が出る無料自販機のように。


 先日の記事についたコメントです。

確かにあなたの文章はつまらなくなりました。
でも私にとってそれは内容の質が下がったというよりは、あなたの文章がどんどん内面的、自己陶酔的な内容になっていったからです。
私はあなたの書評が好きで、何年か前までは毎日見に来ていました。
書評を書く時のあなたの文章は、その作品の良さを伝えるために練り込まれたものと感じ、
読みたい、プレイしたいと思わせるものでした。
しかしいつからか、あなたの文章は自分の考えや自分自身を表現し、共感してほしい、わかってほしいと言わんばかりのものと感じられるようになりました。
あなたの苦悩は私には理解できず、
自分が悲劇の主人公である所以を滔々と語っているようにしか見えませんでした。
まるで「嘆くこと」が大好きな陶酔型ニヒリストのように。
「この世には価値のあるものなどない」といいながら、
「じゃあ死のう」「じゃあせいぜい楽しもう」「もっと別の考えを探そう」
となるわけでもなく、ただ「この世は〜闇だ〜意味がない〜」と言い続けるような無意味さを感じるようになりました。

私には「生きづらさ」という感覚を理解したことがないのでこのような感想となりましたが、
本気で書いていることを自己陶酔だの言われて不愉快だ、などと感じられましたらお詫びします。

 うーんと、これは文字通りただの「感想」ですよね。あなたがそう感じたというだけの話なので、ぼくとしては何ともいいようがありません。

 まず、ぼくは「この世に価値のあるものなどない」なんて言っていません。あなたが誤解されたのはたぶんこの箇所でしょう。

 まあ、ぼくも大概、ペシミスティックな人間かもしれません。富も栄光も、愛情も、何も信じられない。金メダルも世界チャンピオンも、絶対的な価値があるとは思われない。しょせんみな百年も経てば忘れ去られることではないか――。

 ぼくは「絶対的な価値」がない、といっているのであって、価値そのものがないとはいっていない。この差がおわかりでしょうか?

 こういうコメントを見るたびに思うんだけれど、コピー&ペーストを使って正確に引用することもできるのに、どうしてひとの主張をかってにパラフレーズしてしまうんでしょうね。次からはやめていただけるとありがたいです。

 「ただ「この世は〜闇だ〜意味がない〜」と言い続けるような無意味さを感じるようになりました」とありますが(これがコピペ)、ぼくはそんなことを「言い続け」ていないので、あなたが感じただけということになります。もちろん、なんであれ感じるのは自由ですが、それをぼくにいわれても困る。

 「しかしいつからか、あなたの文章は自分の考えや自分自身を表現し、共感してほしい、わかってほしいと言わんばかりのものと感じられるようになりました」。書いてもいないことを「感じ」られてもなあ、としかいいようがありません。

 「あなたの苦悩は私には理解できず、自分が悲劇の主人公である所以を滔々と語っているようにしか見えませんでした」。あなたにはそう見えるのでしょうが、あなた以外のひとには違うものが見えるかもしれないのだから、これもまた何ともいいようがありません。

 まあ、「感想」なんだから客観的論証に欠けることは仕方ないとしましょう。しかし、可能なら客観的に話し合える内容を書いてもらいたいものです。そういう意見であればいくらでも受け付けますから。ぼくは無理をいっていますか?

 ちなみに、ぼくはこの世はむなしい、だから何もしなくても良いのだ、といっているのではなく、この世はむなしいからこそ、その虚無にすべてをささげるしかないのだ、という意味のことをいっているのですが、おわかりいただけないでしょうね。もっと噛み砕いてわかりやすく書くべきだったかもしれません。申し訳ありませんでした。

 あなたのコメントを読んでぐったりしてしまったのはぼくの責任なので、お気になさらないでください。これからは読者の皆さまに気に入っていただけるよう明るい書評記事でも書いていきたいと思います。そうすれば「「嘆くこと」が大好きな陶酔型ニヒリストのよう」なんていわれることもないでしょうし。

 でもパトラッシュ、ぼくは疲れたよ。