いつまでもやる気を持続させるためにはどうすればいいか。


 ひとが何かしら行動を起こすとき、そこには必ず動機があります。それは目に見えるわかりやすい理由であることもあるし、言葉にはできない複雑にいりくんだ情念であることもある。

 いずれにしろ、ひとは動機なしに動くことはありません。逆にいうなら動機なしでは何もできないということ。各界で一流と呼ばれるひとたちは、必ず強烈な動機の持ち主たちです。

 それでは、そのような強烈なモチベーションはどこから出てくるのか。そしてどうやったらそれを維持することができるのか。ぼくは時どきそんなことを考えます。ひとはどうやって動くのか。今日はまあ、そんなお話。

 ぼくはあきらかにひとよりやる気のない人間で、だからひとより何もなしとげられないと思うのだけれど、だからこそ強烈な動機をもっているひとにはあこがれます。ぼくは生まれてからこのかた、ろくに努力をした経験というものがないので、真剣に努力し自己改革していくひとたちには心底あこがれる。

 しかし、そうやって努力しつづける動機をもったひとにも二種類がいます。その努力が自然であるひとと不自然であるひとです。

 前者のひとたちは、自分では努力しているとすら考えないかもしれません。傍目に非常な克己努力と見えることは、本人にとってはごくあたりまえの行為でしかなく、だから続けることに困難を感じないのです。

 一方、後者の人間は無理をして努力しつづけているタイプです。かれの根底にあるのは劣等感やルサンチマン。ようするにかれは欠けているものを埋めるために努力しつづけているわけです。

 同じように強い動機に突き動かされていても、前者と後者とでまるで違う。後者の努力は、本来不自然なものだから、常に破綻する可能性を秘めています。一方、前者の努力はあたりまえの自然なものだから、自然に続きます。ただ、必ずしも意思によってコントロールされているわけではないので、いつか自然消滅してしまう可能性はある。

 いずれにしろ、動機を維持しつづけるということは非常にむずかしいことです。何か行動するためにはそれだけのエネルギーが必要になるわけで、そのエネルギーをどこかしらから調達してこないことには、一歩も動くことはできないわけです。

 ぼくはよくいっても後者に属する人間で、本来何ひとつ自然な動機はないのだけれど、それでも大きなオフを開いたり、同人誌を作ったりするのは、このままだと何もしないまま死んでしまうという恐怖があるからです。

 せめて死ぬまでに本の一冊でも作っておきたいなあ、といういじましい思いから行動しているわけであって、とても自然な行為とはいえません。

 それでもまあ、ぼくのばあいはほとんど努力といえるほどのことはしていませんけどね。いっぺん本当に努力して自分の可能性を極限まで絞りつくしてみたいというのがぼくの夢です。まあ、そうはいってもほんとうは可能性なんて何もないのかもしれませんが――。

 『ベイビーステップ』のエーちゃんなんかは前者に属する人間なのだと思う。かれの動機にはおよそルサンチマンの影が見あたりません。ただやりたいからやっているのであって、そこに不純なものは一切ない。

ベイビーステップ(1) (講談社コミックス)

ベイビーステップ(1) (講談社コミックス)

 かれの努力は傍から見れば並外れたものであるようにも思えるのですが、それはかれにとってはごく自然なことなのです。かれはある意味では結果すら求めていないでしょう。ただもっとテニスを続けていきたいからそのためには勝たなければならない。それだけのこと。非常にシンプルな行動理念だと思う。

 かれは光の世界の住人です。ぼくのような闇属性の人間から見ると非常にうらやましい。ぼくみたいな人間はやる気を出すためにはどこかで無理をしなければいけないわけです。無理をして無理をして、それでもろくなやる気は出てこない。

 現実にぼくはたいしたことをなしとげられていない。本来、何も動機のない人間なんですよ。たかがブログですら最近はなまけている。

 なけなしの動機を得るためには同人誌を作るとか、イベントを企画するとか、そういういままでやっていないことにチャレンジして、刺激を得る必要がある。エーちゃんが同じ作業を何時間でも飽きず続けられることとは大違いですね。

 いつまでもやる気を持続させるためにはどうすればいいか、その答えは簡単です。自分にとってそれを続けることが自然であるようなことをやり続ければ良いということになる。

 ゲームデザイナーの堀井雄二は、ゲーム制作に煮詰まるとほかのゲームをプレイしてうさを晴らしたりするそうです。うんざりするほどゲームをやっているのに、一向に飽きないらしいのですね。かれにとってはゲームをやることはどこまでも自然なことなのです。

 こういう人間をひとは「天才」と呼びます。傍目には無尽蔵ともいえるエネルギーを持っているように見えるけれど、必ずしもそうではなく、エネルギーロスが非常に少ないのだと思います。好きなことを好きなだけやっているだけだから、飽きないし、疲れないのでしょう。

 どこからか無理にエネルギーをひっぱってきている人間はこういうひとにはどこか及ばないところがある。ぼくなんかも、ごく自然に何冊も何冊も本を出し続けるというようなことはできないのです。

 いつまでも変わらずブログを更新しつづけるということもできない。そのたびごとに何かしら目標を設定して、それを乗り越えようとすることで動機を調達するしかない。

 だからその目標を達成してしまったり、あるいはあきらかに無理だとわかると動機が失われ、何もできなくなってしまう。闇の世界の住人なのです。それでもまあ、文章を書くことそのものは好きだからいまでも続いていますが、でも本質的には闇属性なんだよねえ。ほんとうに光の世界にはあこがれる。

 『3月のライオン』の桐山零くんは闇の世界の住人に見えます。かれの将棋に対する強烈なモチベーションは、その悲劇的な生い立ちから来ているものです。かれはべつだん、あたりまえのように将棋を楽しんでいるわけではない。

3月のライオン 6 (ヤングアニマルコミックス)

3月のライオン 6 (ヤングアニマルコミックス)

 それでもおそらく、その奥の奥には、将棋が好きだという気もちがあるのだろうけれど、それはなかなか表には出てこない。かれはただふがいないいまの自分を乗り越えたいという想いに駆られて克己しつづけるのです。そこにぼくは強く深く共感する。

 まあしかしぼくにはかれのような努力はできません。たぶんぼくの闇はそこまで深くないのでしょう。そういう意味では、まったく中途半端な、つまらない人間だと思いますね。いつか何かをなしとげてみたい、せめてそのために必死になってみたい、そう思いながら、ぼくの人生はついに煮え切らずに終わるのかもしれません。

 それがつまり凡人であるということで、光であれ闇であれ、強烈なモチベーションを持ったひとたちにはかなわない。それでいて何かやってから死にたいなあという忸怩たる想いは消えやらないのです。本当に哀しいくらい中途半端だなあ、と思います。

 ぼくにとって書くことは自然なことだから、ただ書くだけなら、このようにいくらでも書ける。でも、「より良い文章」をめざして自分を燃やすためには、それ以上の動機が必要で、それほどのモチベーションはぼくにはないのですよね。哀しいですね。

 前回と今回の同人誌は、そんなぼくがなけなしのやる気をかき集めて作ったシロモノです。たかが二冊、原稿用紙にして九百枚弱の原稿を仕上げただけで何か大仕事をやったような気になっているあたりが情けないところですが、これがぼくの精一杯。

 ああ、何かに全力をだしてだしきって真っ白な灰になって死んでいきたいなあ。無理かなあ。無理だろうなあ。でも中途半端なまま死ぬのはいやだなあ。もういつ死ぬかわからない歳だしなあ。次は何をしよう。まださすがにこの程度じゃ死ねないよなあ。

 未練なく死ねるだけの仕事を遺したい。その程度の動機はぼくにもある。だから同人誌を作った。でもまだ不満足。真っ白な灰になりきれていない。とりあえずアイディアは出し切った気もするけれど、この方向性ではこれ以上行けない気もするけれど、最終到達点としてはいかにも近すぎる。まだ死ねない。まだ死ぬわけにはいかない。

 凡人であるって、本当に哀しいことです。それはまあ、天才には天才なりの、凡人にははかりしれない苦悩があるのだろうけれど、ね。