なぜひとは「昔は良かった」と思ってしまうのか。


 まあ、じっさい良かったからなんだろうけれど。ただし、そのひと個人にとっては、というだけの話。

 ああ昔は良かった、最近の若いものはダメだ、というノスタルジーは非常に普遍的なもので、ふしぎなことにダメだダメだといわれていた時代の人々が年長の世代になると、最近の若者は――と言い出す。

 古代の石碑にも「最近の若いものはうんぬん」と書かれていた、とかいう話がまことしやかに語られたりしているくらいだ。いったいどうしてこういうことが起こるのか。

 客観的に見れば、どう考えても人類の文明は進歩していて、また豊かになっている。「昔よりいまのほうが良く、未来はさらに良くなる」というのが冷静な結論のように思えるのに、どうしてみんな「昔」を懐かしく思い出し、礼賛するのか。

 それは実は簡単な話であって、「時代」と「時期」を錯覚しているのだね。ひとがなつかしく思い出すのは70年代とか80年代とかいう「時代」ではなく、「少年期」ないし「青年期」という「時期」なのである。

 例外はいくらでもいるにしろ、基本的には人間は20代、30代あたりに働きざかりの頂点を迎え、体力の点でも、あるいは知性や感受性といった点でも、衰えてゆく。だからその時期を過ぎるとひとは自分の人生が頂点を迎え、また可能性に満ち成長してゆくことができた昔を思い出し、ああ、あの時代は良かった、と思い込んでしまうのだ。

 じっさいにはその時代が良かったわけではなく、たまたまその時代にそのひとが青春期を過ごしていたというだけなのだが、ひとはそれを混同してしまう。それで、ああ昔は良かった、としょうもない回顧にひたるのである。昔が良かったのはただ自分が若かったからだ、という単純な真実を受けいれることができないのだ。

 わがオタク業界にも、昔の漫画はおもしろかっただの、昔のアニメは素晴らしかっただのという回顧的価値観は存在する。それに比べて、とそういうひとは口をそろえていう。いまの漫画もアニメも萌え系ばかりになってしまって、つまらない。それもこれももののよしあしのわからない萌え豚どものせいだ、と。

 ようするに自分がいまの時代についていけていないだけの話なのだが、そこでひとは自分が年をとったという単純な現実を認めることができず、時代に責任転嫁するのである。

 漫画にしろ、アニメにしろ、あるいはライトノベルなどにしろ、質的には向上していると思う。『ロードス島戦記』あたりは、むろん個人的な思い入れはあるにしろ、いま読んでみてそれほどおもしろいとは思えない。

 80年代アニメは良かったとかいってもなあ。『エルガイム』とか『ダンクーガ』あたりが本当にそれほどおもしろかったのか、ぼくは大変に疑問がある。いまあの手の作品が放送されていたら非難轟々ではないか。

 もちろん、その時代の最高傑作だけ取り出せば、素晴らしい作品はいくらでもあるだろう。しかし、それはいまも同じなのであって、「萌えアニメばっかり」などというクリシェに反して、じっさいには『あの花』だの『ピングドラム』だのといった異色作が一定の人気を獲得しつづけているのである。

輪るピングドラム 上

輪るピングドラム 上

 そもそも、ぼくたちは素朴な作品を素朴に楽しめる時期をとうに過ぎてしまった。いまのぼくたちが楽しめるものといえば、バロック的に複雑化した作品か、さもなければ一周まわって素朴に見える作品である。

 ぼくたちはあまりに舌が肥えすぎてしまった不幸な美食家なのだ。現代にはうまい料理がない、ということはかってだが、だからといって自分の感性が若く、素朴なものを素朴に楽しめた時代を賛美したりしないように。

 時代が良かったわけではない。良かったのは、あなた個人の人生なのである。そしてその時代は終わってしまって二度と帰ってこない。このシビアな現実を受けいれられるひとだけが、「昔」ではなくいまを称えて生きていくことができる。

 あなたにはできるだろうか?