『3月のライオン』の戦場感覚。

3月のライオン 6 (ヤングアニマルコミックス)

3月のライオン 6 (ヤングアニマルコミックス)

 からだじゅうの血管を黒い血がかけめぐっているのではないかと錯覚することがある。それは心臓から湧きでて全身を汚染し、ぼくをけもののように狂おしく猛々しくさせる。その黒い血はこう呼ばれている――「怒り」。世界のすべてを打ち砕いてもみたされないような、烈しい「怒り」。

 好評『3月のライオン』前巻は、主人公桐山零が、知人の少女ひなたが中学校でいじめられていることをしったところで終わっていた。この第六巻はその直後から始まる。泣きじゃくるひなたとともに歩きながら、零は思う。

彼女が僕の袖を握って泣いている間 体中が心臓になったみたいに脈打って痛くてちぎれそうだった ―――彼女を泣かせた人間を 今すぐにでも全員探し出して八つ裂きにしてやりたいと思ったが 「そんなんじゃ解決にならない」「彼女のために何ひとつならない」 ――だから考えろ考えろ どうしたらいい 考えるんだ

 ひとを「八つ裂きにしてやりたい」というほどの黒い血がかれの血管をかけめぐっている。一見しておとなしく穏やかに見える零ではあるが、その実、激情の人格である。子どもの頃の悲劇を経て、暴力的なほど烈しい衝動がそのこころにはひそんでいる。

 しかし、いまはもう、その衝動にまかせて動くことはできない。それはひなたを救うことにはならない。かれの寂しい人生を救ってくれた「恩人」であるひなたを救うためには、もっと地道な、堅実な行動が必要になる。そしてそのために行動を開始する。かれらしく不器用な、しかしかぎりなく誠実なやり方で――。

 『3月のライオン』第6巻を読むものは、その怒りと優しさに動き出す零に共感せずにはいられないだろう。ひと言、素晴らしい。あまりに素晴らしい。もともと現代を代表する漫画のひとつといえる作品だっただろうが、第4巻あたりから神がかり的な何かをそなえはじめているように見える。

 天才的な才覚をそなえた作家が全盛期を迎えさらに成長してゆくとき、時にこのような表現が生まれる。読者は作家の成長をそのままに体感する歓びに震えるだろう。

 初期短編集『スピカ』を読めばわかるように、羽海野は初めから巧みな作家だった。しかし、いま、彼女はさらに脱皮しようとしている。さなぎから蝶への脱皮というより、蝶から、さらに美しい蝶への脱皮。

 この巻を読むものは桐山や、二階堂や、ひなたのことをさらに好きになるだろうし、かれらの「戦い」に深く心打たれることだろう。

 「戦い」。そう、かれらの行動はそれぞれ異なる次元のことではあるが、すべて「戦い」という言葉で表現である。零が将棋を指すのも、二階堂が病と向き合うのも、ひなたがいじめに立ち向かうのも、それぞれかたちが違うだけでみな「戦い」なのだ。

 ぼくが「戦場感覚」という言葉で不器用に表現したかったのは、つまりこういうことなのである。それぞれに異なる場所での異なるあり方の人生が、いずれも「戦い」であるということ。生きることはただそれだけでどうしようもなく「戦い」であるということ。

 戦場感覚。ぼくたちは、あたりまえの日常のなかで戦場を生きている。

 それにしても、この巻を読んで、ぼくは零がいっそう好きになった。かれの行動はかれの言葉をもちいるならひなたの恩に報いることである。しかし、知りあいの少女がもらしたたったひと言の言葉に、いくら心揺さぶられたからといって、全身全霊をもって報恩しようとする少年がどこにいるだろう。

 かれはひとに支えられながらひとを支える生き方を選んだ。ただひとり孤独に世界と向き合うのではなく、ひとを助け、助けられながら、一歩ずつ前進してゆく道を。いま、かれの生き方は美しい。その凛とした背筋にどうしようもなく惹かれる。

 羽海野チカはほんとうに凄い作品を描くようになった。絶品の傑作である。未読の方は万難を排して読むべし。