パラレルワールド化する漫画内日本。


 先日の震災は、あたりまえのことながら漫画にも大きな影響を与えている。紙工場の被災により紙資源が不足するなどの物理的な影響もあるが、当然、表現のレベルでの影響も存在する。

 間接的にはあらゆる漫画に影響を与えているといえるかもしれないが、特にリアルタイムに日本を描いている作品はより直接的に影響を被った。そういった漫画はこの震災によってひとつの選択を突きつけられたのだ。すなわち、震災を物語のなかに取り込んで描くか、それとも震災が起こらなかったパラレルワールドの日本を描くか、という選択である。

 弘兼憲史『社長島耕作』は前者を選んだ。この作品のなかでは、現実と同じように震災が起き、島耕作はその対策に追われる。『島耕作』シリーズが現代日本の諸問題を物語内に取り込みつつ進んでいる作品である以上(たとえば尖閣諸島問題も取り込んでいる)、これは必然ではあるのだろうが、それにしても大変な決断だったと思う。

 情報が不足している上に歴史的評価が決定していない事件をリアルタイムに物語のなかに取り込むということは、ある種のジャーナリスティックな能力が不可欠になるのではないか。しかも、当然のことながら事前に全く予定していない方向に物語を進展させることになったわけで、作者の舵取りは非常にむずかしいというしかない。

 こうして同時代を切り取りながら物語を進めるという離れ業を見るていと、たしかにオヤジ臭いし、主人公が美化されすぎるきらいはあるものの、やはりなかなか大変な漫画ではあると思うのである。これは、作中の震災描写が正当か否か、ということとは別の問題である。

 一方、パラレルワールド化の道を選んだ漫画もある。まだ単行本化されていない作品であるが、 森恒二デストロイアンドレボリューション』などはこの方向に舵を取ったのではないだろうか。

 というか、この作品の場合、そうせざるをえないと思うのだ。なぜなら、この作品のなかで描かれるのは、平穏なように見えながらその実腐敗した日本を憎み、テロリズムに走る少年たちの姿だからである。「平穏な、平和な日本」という前提が崩れてしまっては困るのだ。

 しかし、現実に震災によってこの前提は崩れ去ってしまった。ある意味、物語を成り立たせている条件そのものが壊れてしまったのである。震災によってこの作品がこうむったダメージは大きいといえるだろう。はたして、このあと、どんな展開に持っていくつもりなのか、注目しつつ見ている。

 東日本大震災の前後で、日本は別の国に変わってしまった。その影響は、いまから大きく出てくるだろう。それは阪神大震災も、地下鉄サリン事件も上回るほどの影響である。

 これから、震災の実情があきらかになるにつれ、直接的に震災を描く漫画、小説も出てくるかもしれない。それが具体的にどんな表現になるのかはわからないが、より切迫したものになるには違いない。期待半分、怖れ半分で待つこととしよう。