記号消費の終わりとつながり消費の始まり。

 ペトロニウスさんのオススメ。おもしろかった。タイトルにある「キュレーション」とはもともと美術用語で、様々な作品を管理したり展示したりすること。転じてここでは情報を管理し提示することを指す。

 まあ、なんというか、あまりに色々なことにふれられていて簡単にまとめることがむずかしい本なのだけれど、内容的には非常に示唆に富んでいると思う。

 ぼくが特に感銘を受けたのは、消費のパラダイムの転換を語るあたり。バブル時代、日本人はたくさんの「モノ」を「記号消費」することによって富を実感していた。しかし、すでにそのスタイルは古い。これからは「機能消費」と「つながり消費」の時代だ、というのである。

 記号消費とは何か。それはつまり、「モノ」そのものではなく、「モノ」の社会的な価値を消費することである。たとえば、クラシック音楽は高尚そうだからという理由で聴いたり、あるいは、高級車は社会的ステータスを表すという理由で乗ったりするようなものだ。

 バブル時代以降、急速にその手の消費スタイルは冷え込んだ。音楽業界を見よ。90年代、あれほど頻出したミリオンセラーが、いまでは年に何本も出ないではないか。人々は不必要なものを無理して買う「背伸び消費」にうんざりしているのだ。

 それでは、「つながり消費」とは何か。それはひととのつながりのなかで情報や行動を消費していくことである。もはやどんな「モノ」にも必要以上の価値を見出すことができないが、いまなお「モノガタリ」には価値を見出すことができる。

 そして情報にその「モノガタリ」を見出す行為こそが「キュレーション」であり、そのキュレーションを行う人物こそが「キュレーター」である。ぼくらはネットを通しそんなキュレーターたちの視点に「チェックイン」しながら、膨大な情報を精査していくだろう。まさに「キュレーションの時代」が来るのだ。

 何だかやたら横文字が多い解説になってしまったが、本書ではだいたいそんなことが語られている(たぶん。ぼくの理解では)。

 佐々木の言葉を信じるならば、いま、この社会では「豊かさ」の定義そのものが変わろうとしているのだ。もうやたらに「モノ」を買い込む必要はない。シャネルや、フェラーリを所有していることはもう「豊かさ」の証明にはならない。ぼくたちは必要なものを必要なだけ買い、あるいは自分が興味深いと思うつながりを持ったものにだけお金を払うだろう。

 マスメディアはそんな新世代を「草食系」などと名づけてため息をつくが、かれらはまるでわかっていない。むしろ自分たちの世代こそが、無意味な大量記号消費に明けくれていた爛れた世代なのだということを。そういう意味では、日本人はついにあの「清貧」に到達しようとしているわけだ。「モノ」に因われない「豊かな貧しさ」へ。

 じっさい、iPadクラウドコンピューティングを楽しむぼくは、日々、その「新しい豊かさ」を実感している。ぼくはネットにおいては、いくつもの小さな情報集団「ビオトープ」に所属するちょっとしたキュレーターだといってもいいだろう。

 何千人かの人々が、ウェブログTwitterを通じてぼくの視座にチェックインし、ぼくの視点でものごとを見ている。もちろん、ぼくもまた、日々、何十人かのキュレーターたちの視座にチェックインしながら過ごしている。それぞれのキュレーションは互いに影響を与えあい、マスメディア時代の数千倍という膨大な情報を精査していく。複雑で多様な文化の網目。

 が、同時にぼくが思うのは、ぼくはネットの持つ力を十分に利用できていないのではないかということだ。もっとうまくつながる方法があるのではないか。たしかにぼくはネットを通じて何人もの親しい友人を得た。何度となくオフを開き、日常的にスカイプで交流し、それをUstreamで放送しさえしている。

 しかし、このスタイルに限界が見えてきていることもたしかなのだ。最近、ぼくの交友関係は固定化し、「タコツボ化」してきているように思う。「Something Orange」でも新しい出逢いは少ない。あるいは出逢いがあったとしても恒常化しない。

 それはけっきょく、ぼくが「負の関係性」を否定して、自分の殻に閉じこもっているせいなのだろう。何かを得るためには、何かを犠牲にする必要がある。しかし、そうはいっても、無作為に新たな関係性を探るのには、うんざりするくらい多大なコストがかかり、現実的に収支が見合わない(と、ぼくは感じている)。

 どうすれば、新しい「つながり」を効率的に見出すことができるのだろう。これは、ぼくの現在のテーマである。このテーマに沿い、とりあえずコメント欄をふたたび開放してみたのだが、いつまで開いたままでおくかはわからない。

 積極的に新たな関係を探すことが大切なのかな、とは思う。とりあえず、Twitterでのフォローを増やしてみるか。フェイスブックにも登録してみようかな。何か新しいチャレンジが必要な時期に来ていることはたしかだ。