有名税は重税すぎる。

パリ20区、僕たちのクラス [DVD]

パリ20区、僕たちのクラス [DVD]

 じっさいに観たのはしばらく前なのだが、やはりこの映画について感想を書かずにいるわけにはいかない。カンヌでパルムドールの栄冠に輝いた名作らしいのだが、いやあ、重たい映画でした。観終わったあと、ぐたっと疲れていたくらい。

 まあ、ある種の教師ものではあるのだけれど、どこぞの3年B組どころではないシビアさ。この映画を観たひとは、だれもが、どんな仕事に就くとしても、パリで教師だけはやりたくない!と心から思うことだろう。そういう作品である。

 主人公はパリ20区の学校で教えている国語(フランス語)教師なのだが、かれの生徒たちは狭義のフランス人に限られない。かれの教室は現代フランスを象徴するかのような人種のるつぼなのだ。

 アジア系、アラブ系、アフリカ系など文字通りあらゆる人種の生徒たちがおり、その能力も資質も様々、共通点といえば恐ろしくまとまりのない連中であることくらい。この生徒たちの生意気さときたら! この教室では日本における学級崩壊状態が日常的で、授業のレベルもそうとうに低い。

 そうして生徒たちには教師に対するリスペクトなどかけらもなく、ひたすらに教師を揶揄し、批判し、嘲笑し、揚げ足を取る。観ていてうんざりしてくるくらい非協力的なのだ。それでも主人公は最善を尽くそうとするのだが、その努力は全く報われない。本当に、最初から最後まで、これっぽっちも報われない。

 生徒たちのために教えているにもかかわらず、その生徒たちから全く協力を得られないというこの矛盾。そんな生徒たちにあくまでも「美しいフランス語」を教えようとする主人公は、しかし最後には自ら汚い言葉でかれらをののしってしまう……。どうにも救われない話である。

 観たあとしばらく気分が重かったわけだが、なぜかと考えていくと、これははネットにおける有名人と匿名人の関係そのものなのではないか、と気づいた。

 ネットにおいて、何かしらの有名人はまさにこの映画の主人公のように口汚い言葉で揶揄され、誹謗され、非難される。しかし、その一方で、しかし、有名人が同じような態度で言い返すことは許されない。

 そういう態度を取ると、「スルー力」が足りないものとみなされ、「もっと大人になればいいのに」などといわれることになる。なるほど、その指摘そのものは一面で正しいだろう、とぼくも思う。大人になることや礼儀正しく振る舞うことは大切だろう。

 しかし、それではその指摘が汚い言葉で有名人を揶揄したり誹謗したりする無名人に適応されないのはなぜか。無名人は言いたい放題に言うことが許されるが、有名人はそうではない、とでもいうのか。なんだそれ。おかしくないか。

 ここにあるものは、いわばアンバランスな正論だ。内容そのものがどれほど正しくても、ひとを追い詰める役にしか立たない。一面的な正論でもって「もっと我慢しろ」「あなたには責任がある」といわれるほうはたまらない。

 この映画の主人公はストレスを溜め込みに溜め込み、ついには切れてしまうのだが、ぼくにはその気持ちがしみじみとわかるように思えるのである。

 ぼく自身が有名人だとはいわないが、ネットにおいては、しばしば擬似有名人的な立場に立たされてきた。そんなとき、多くの人がいう。あいてが汚い言葉を使ったからといって、同じようにして言い返すべきではない。汚い言葉にも目を向け、その内容を吟味し、時には受け入れ、反省しろ。

 しかし、それはようするに、ひたすらに我慢し続けろといっていることと同じではないか? はっきりいってぼくはそんなことやっていられない。この映画の主人公は最後まで頑張りつづけるのだが、このままだとストレスで倒れてしまうことは確実だろう。

 ぼくはいやだ。