「久遠姫」。


 『青い花』を読んで、何か百合ものを書きたいなあ、と思ったので、ちょっと書いてみました。20枚ほどの短編です。設定もプロットも何も考えずに書いたせいか、わけのわからない話になってしまいましたが、もしよければご笑覧ください。「小説家になろう!」にも投稿しました。

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「久遠姫」

 それはすべての夜の夢、昼の空想、詩人に宿る天恵のみなもととなる都である。このうつし世を遥かに離れた遠い次元、魂のみが訪うことかなう場所にあり、そうしてその魂も現世に帰ればその日の訪問を忘れてしまう、そんな不可思議な都市だ。その名は輝かしきクォナント。いまは失われた言語で〈空の彼方のその彼方〉を指す名前である。
 神聖なるクォナントの都に生きるはただ一人、〈久遠姫〉なる少女であった。彼女がいつからクォナントを見おろす城に棲まっているのか、それは誰もしらぬ。もとより質したとて意味のないことであろう。夢の都であるクォナントでは時もまたしばしば睡りこける。百年が一日のように思え、またじっさいにそうでありえる国、それがクォナントなのだ。だから〈彼女〉がクォナントにやって来たのは、久遠がそこに棲むようになって三年後のことかもしれぬし、あるいは千年後のことということもありえる。ともかく、その頃、久遠は無聊を持て余していた。クォナントを訪れるものが絶えていなかったせいだ。かの都では時も睡りこけると書いた。しかし、だからといっていつも時が停まっているものと思ってもらっては困る。現世とは違う進み方ではあるが、クォナントでも時は進む。幾日、あるいは幾週間かをひとと出逢わず過ごした久遠は、遂にひとり遊びにうんざりし、天に向かって叫んだ。
「退屈じゃ!」
 天は澄まして応えなかった。そこで、久遠は声がちいさすぎたかと思い、もういちど、こんどは城じゅうに響くような大声で叫んだ。
「退屈で死にそうじゃ!」
 天はふたたび彼女を無視した。久遠には赦されるべからざる非礼と思えたが、いつものことなので、怒りはしなかった。彼女は傍目にそう見えるほど気みじかではなく、天の無礼さを許す鷹揚さも備えていたのである。
 とはいえ、この日はさすがに少々の不安を感じた。もしや、天から自分を見守っている何ものかなどいないのではないか? すべて自分の空想ではないのか? そんな、かすかではあるが消しがたい不安。しかし、そのはずはなかった。そうでなければ誰がこの城や街路を掃除しているのだろう。自分がどう汚してもいつのまにか部屋は清掃されている。このクォナントを管理する何ものかは実在するはずなのだ。あるいは城そのもの、街そのものが生きていて、絶えず自分の美貌を磨いているとか? そうかもしれぬ。が、真実はたしかめようがない。
 とにかく久遠は懶惰な生活に飽き飽きしていた。彼女がこの都に棲むようになって以来、ひとが絶えるなどかつてなかったことであった。この都には常に夢見がちな男女が魂となって訪れ、しばらくのあいだ騒ぎ、楽しんで消えるのが常であった。ひょうびょうと広い都市が魂で埋まっていたこともある。それが、いまはどうだ。街路は空っぽ、家々もまた空、人びとの歌う騒ぐ声どころか、跫音ひとつ聴こえない。
 あるいは、ひとは夢を見なくなったのだろうか。空想に耽らなくなったのだろうか。詩想を練らなくなってしまったのだろうか。夢見がちなロマンティストというかよわい種族は、とうとう絶滅してしまったのであろうか。そんなことがありえるものなのか。
 いくら考えてもわからぬ。そこで、久遠は決意した。
「探検じゃ」
 城を出て、街をたしかめよう。そう思い立ったのだ。もしかしたら、自分が気づいていないだけで、だれかひとりふたりくらいは街をうろついているかもしれない。いままではクォナントを訪れるものは皆、まずこの城にやって来たものだが、そうではなくなったのかもしれない。
 そうして姫は外出用の華やかな翅ごろもを纏い、黄色い木靴を履くと、城を抜けだし、丘の路を駆け下った。きっとだれかがいるだろう。いるに違いない。そう思いつつ。
 が――そこで彼女を待っていたものは、あまりに信じがたい光景だった。
 いつも清浄であるはずの都が、見る影もない有様となっていたのである。どこまで行っても街は汚れ、崩れかけていた。歩むたびにしゃりしゃりと音が鳴る白石を敷きつめた街路には埃が積もり、どれほど汚しても綺麗に整えられているはずの家々からは饐えた匂いがただよってきた。その家を支える皓い柱にはひびが入っており、たえず吹き出しているはずの噴水の水は止まって澱んでいた。ねずみ一匹いないことにはかわりないものの、何かが異常だった。何もかも麗しいクォナントの風景とは思えなかった。いわばクォナントは病んでいるように思えた。病んで、死にかけているように。
 姫は街じゅうを歩きまわり、その無垢な心を痛めた。不死にして永遠であるはずのクォナントに何が起こったのであろう? ひとがこの街を訪れなくなったこととかかわりがあるのだろうか。あるいはクォナントは、かつての美を失ったために、人びとに見捨てられたのか? そうだとすれば自分はどうすれば良い?
 正しい答えは出そうになく、久遠は泣きそうになりながら城への帰路をたどった。が、ふしぎと泪は流れでてこなかった。なぜだっただろう? 胸をふさぐほどの哀しくはあるというのに。
 と。
 久遠はハッとしてうつむき気味だった顔をあげた。幽かに、しかしたしかに、だれかの跫音を聴いたように思ったのである。耳を澄ます。間違いない。何ものかの足が道を歩くしゃりしゃりという音が聴こえてくる。
 われしらず笑顔になりながら、姫はその音の方向へ駆けた。ひさしぶりにひとと逢えると樂しさだけではなく、この街がまだ見捨てられていないと証明された歓びもあった。
 そうじゃ。
 内心で想う。
 クォナントが見捨てられるはずがあるか。クォナントは夢と神秘そのものであるのに。
 そうしてどれほど駆けただろう、街のある一角で、とうとう久遠はひと影を見つけた。そこはまだ路の石も清く、空気も涼やかなあたりだった。その娘はかろうじて水を循環させる噴水の、その端に座り、両手をついた格好で物思いに耽っているように見えた。姫が急いで駆け寄ると、ぱちぱちと瞬きして、自分が見つけたものをたしかめるようすだった。
「あ」
 彼女は照れくさそうに呟いた。
「この街にもひとがいたんですね。だれもいないようだから、そろそろあのお城に行こうと思っていたのだけれど」
「あれはわらわの城じゃ」
 久遠が云うと、娘は小首を傾げた。
「あなたのお城? もしかして、あのお城にひとりで棲んでいるの? こんなに小さいのに偉いんですね」
「偉いのじゃ」
 久遠は胸をはって、そうっとその娘を観察した。
 歳は十五、六というところだろうか。ひっそりとしずかに本でも読んでいそうな、おとなしそうな雰囲気の少女だ。じっさい、片手には本を持っている。綺麗な黒髪を肩のあたりまでのばしていて、たまにそれを指さきで弄う癖があるようだった。ちいさな可愛らしい顔立ちのもち主だが、惜しいことに姫の眸を正面からみようとはしない。もっとも、クォナントを訪う人びとにはよくあることだったので、久遠は気にしなかった。
「あの、訊いてもいいですか。ここはどこでしょう?」
「クォナントじゃ」
「クォナント? 聴いたこともない名前ですね。でも、なぜかどこか懐かしい。昔、子どもの頃にでも、ここに来たことがあるような、そんなデジャ・ヴを感じます」
「クォナントは夢の都、夢と空想のなかで訪ったことがあってもおかしくない。もっとも」
 久遠はしゅんとうなだれた。
「いまとなってはだれも訪うものもいないが。常に清浄であるはずの路も埃まみれであるし、いったいどうしてしまったのかのう。人びとの空想と幻想があるかぎりクォナントは不滅なはずなのじゃが」
「あら、しらないんですか?」
 少女は小首を傾げた。
「もう幻想や空想なんて用なしなんですよ。おそろしい戦争が始まったの。世界中を真っ二つに割って、白の陣営と、黒の陣営とがたたかっています。皆、夢など見なくなりました。空想に耽ることなんて忘れて勝利を願っている。詩人たちだって、工場で銃を作ることに夢中です。いまはもう世界から絵も音楽も物語もすべて失われてしまいました」
「ほほう」
 久遠姫は眉を顰めた。
 戦争という言葉の意味はしっていたものの、彼女が思い浮かべるそれは英雄たちのいさしおに充ちたもので、世界を真っ二つに割るなどという代物は想像できなかったのである。が、そう悟られるのも口惜しかったので、わけ知り顔でうなずいた。
「それは残念なことじゃ。そのためにクォナントを訪うものも減ったのか」
「そうかもしれません。わたしは、戦争なんて大きらいで、本を読むことばかり好きだったから、ここに来れたのかも」
「ふむ。そなた、名は何と申す?」
「千里です」
「久遠じゃ。城に来るが良い。もっと地上の話を聴かせてたもれ」
「はい――ありがとう」
 そうして久遠と千里の日々が始まった。
 いっしょに暮らし始めてすぐ、ふたりはとても気があうことに気づいた。千里はおとなしく、ものごし柔らかで、いつも整った敬語で話す、奔放な久遠とは正反対ともいえる性格の少女であったが、どういうわけか久遠はとても惹きつけられた。ほかに話し相手がいないからというだけでなく、千里と話しているとまるで飽きなかった。そうしてクォナントがどうなってしまうのかという不安も忘れることができたのである。
 ふたりはいっしょに風呂に入り、いっしょに食事を取り、ひとつの寝台でいっしょに寝た。気に入りのぬいぐるみを使ってふたりで遊び、クォナント将棋で勝負をくり返した。また千里は読書好きであった。クォナントには百もの異なる個性をもつ図書館があるが、久遠が棲む〈城〉の図書室はそのなかでも最も広大で、しかも迷路のごとくくねくねといりくんでいる。一日、二日ではとうてい探検しきれぬ代物だ。千里はその図書館から何冊もの本を取り出してきては読んだ。そのなかには料理の本もあれば、古い魔術の本もあったし、滅びた神秘主義者の経典や、狂った科学者がものした妖精言語の辞書もあった。千里は選り好みせず読み耽った。そのあいだ久遠は放っておかれることになるわけだが、ふしぎと、本を読んでいる千里の背中にもたれかかっていると、それだけで安心できた。いままでにないことであった。
 そうしてまた、久遠は千里から地上のようすを聴いた。地上では、黒の指導者と白の指導者に率いられ、ふたつの陣営がはてしないたたかいがくり広げられているらしい。あまたの新兵器が作り出され、爆弾が雨と落とされ、古い都みやこは焦土と化し、平和主義者たちは収容所にいれられてしまったのだとか。それでは黒と白はどこが違うのか、と問うと、その理由はあまりに難解で誰にもわからないのだと千里は応えた。ただ、双方とも決して譲ってはならない絶対な理由であることだけは了解している、と。
「なんじゃ。ばかばかしい。自分でもわからぬ理由で喧嘩をしておるのか」
「戦争って、そういうものよ」
 千里は澄まして云った。
 いっしょに暮らしてしばらくすると、ただ清楚でおとなしいように見えた千里にも、意外に頑固なところがあることがわかってきた。たとえばいくつかの礼儀作法などについて、彼女は決して譲らなかった。ふたりは時々衝突し、喧嘩した。いちどなど、枕を投げあって大騒動を演じたこともあった。二度と千里の顔など見たくない、とまで久遠は云った。が、その翌日にはもう千里恋しさにいてもたってもいられなくなり、そうっと千里の部屋を覗いた。彼女は本を読んでいたが、すぐに久遠に気づいてにこりとわらった。
「おいで」
 と、自分の横のクッションをさして云う。
「あなたの場所よ」
 そうしてあたりまえのようにふたりは仲直りしたのだった。
 うそのようにしあわせな、甘い蜜月の日々だった。久遠は千里の顔を見るだけで恥ずかしいような照れくさいような気分がし、そのうえ、胸の動悸まで高鳴った。それが恋と呼ばれる想いであることを彼女はしらぬ。が、たいそういい気分であることはたしかだったので、姫は気にしなかった。
 一方、クォナントの荒廃は深刻だった。一日、また一日とクォナントという花は萎れていくかのようであった。
「クォナントは死につつあるのかもしれぬ」
 円い風呂のなかで千里と向かい合いながら久遠は云った。
「どうもおかしい。〈見えない清掃人〉は活動をやめてしまったようじゃ。おかげで街は埃だらけ、そのうえ、街の端のあたりから建物が崩れはじめておる。戦争のおかげで、人びとが夢を見なくなったせいじゃろう。哀しいことじゃ」
「ええ。そうね」
 千里がもの想いに耽るようすで生返事をしたので、久遠は二、三度まばたきした。
「どうしたのじゃ。何か考え事でもあるのか?」
 久遠が問うと、千里はしばらく迷うようだったが、そのうち心を決めたのか、ひとつうなずいた。
「実はクォナントを離れて地上に戻ろうと思うの」
「なぜじゃ!」
 姫は驚いてはしたなくもその場に立ちあがった。千里が哀しそうにうつむく。
「だって、地上では戦争が続いているんですもの。わたしだけクォナントで微睡みの時を楽しんでいるわけにはいかないわ。この城はとても良いところだけれど、でもわたしは地上の生まれ。地上で生きていかなくてはいけないと思うの」
「わらわを置いていくのか」
 興奮のあまりきゃしゃなからだを慄えさせながら姫は呟いた。
「千里はわらわを、ひとりぼっちにしても平気なのか」
「平気じゃないわ。大好きな久遠、あなたをひとり置いていくなんて心が破れるよう。でも、わたしは行かなければならない。いまは空想に耽っていられる時代じゃない」
「千里――」
 久遠は云うべき言葉を見つけられず、その場に座り込んだ。その裸のからだを、千里がそうっと抱きしめた。久遠の心臓がどきりと脈打つ。
「大丈夫よ、久遠。いつか戦争が終わったら、わたしはここに戻ってくる。そうしてこんどこそあなたといっしょに暮らすわ。あなたといっしょにいてわかった。あなたはクォナントそのもの、人びとの理想が生んだ娘なのね。無垢で、気高く、優しく、美しく、哀しみも嘆きもしらない、そんな永遠の子ども。あなたが大好きよ、久遠姫。いつか必ずまた逢いましょう」
 そうして千里は久遠にやさしくくちづけた。
 久遠のつぶらな眸から、ひと筋の泪がこぼれ落ちて湯にしたたった。久遠は自分が真にイノセンスでありえた季節が終わったことを悟った。その翌日、千里は去っていった。
 それからしばらく時が経つと、クォナントは少しずつ復興しはじめた。街の汚れは清められ、花壇にはふたたび花が咲き、人びともまたこの地を訪れるようになった。
 訪問者たちは口々に云った。戦争が終わったのだ、と。ふたたび夢を見れるようになった、と。悪夢の時代はようやく終わり、これからは空想を共にしていられるのだ、とまで。何でも一方の独裁者のうら若い娘が身を投げて死に、その独裁者が憔悴したために戦争の行方は決したのだとか。
 久遠にとってはどうでもいいことであった。久遠にとっては千里がすべてであったから。久遠はもはや千里なしでは起きている気になれず、一日の大半を睡って過ごすようになった。その睡りはやがて長くなり、一週間、ひと月、と起きあがることがなくなった。長い長い時が過ぎ、姫はついにまるで起きなくなった。
 あるいは皓く、あるいは黄色い花ばながいちめんに咲きほこる城の花壇。その中央に置かれた天蓋付きの寝台で、姫は、ひとり睡っている。これがクォナントの伝説である。
 花のクォナント、それはすべての夜の夢、昼の空想、詩人に宿る天恵のみなもととなる都。その夢の都市に護られて、いまも久遠は愛する少女がふたたび自分を抱きしめてくれるその日を待っている。