詩集のような掌編小説集。

 時雨沢恵一さんの掌編小説集、しらないうちに第二弾が出ていたのですね。発見したら買わないとなあ。

 ぼくはこの人の作品をほとんど読んでおらず、前作『お茶が運ばれてくるまでに』もほんの軽い気もちで手にとったのですが、読む初めてすぐにその、並はずれた力量に酔いました。なるほどなるほど、ベストセラー作家は伊達ではないな、と。

 とにかく、ひとつひとつていねいに盛りつけられた言葉へと垂らされたひと匙の毒、その苦さが心地良いのです。一篇読むたびに、むむ、などと唸り、あるいはなるほど、と呟き、けっきょく続けざまに全編を読み通してしまう、そんな本でした。

 Amazonなどを見るかぎり掌編小説集ということになっているのだけれど、ま、普通に考えたら詩集なんですよね。しかしまあ、作家があくまで掌編小説として書いたというなら、それはやはり掌編小説集なのかもしれません。

 でもまあ、それもわからないでもない。ぼくは詩には興味がないひとですから。というかね、わからないよね、詩は。俳句とか短歌とか、漢詩とか、そういったものも含めて、よくわからない。

 ぼくは言葉のあそびは好きだけれどべつに晦渋な理論を勉強したいとは思わないので、詩の世界にはなかなか行かないですね。そこはそこで、縹渺たる世界なのだろうけれど。

 いやまあ、たしかに詩というものは、言葉のいちばん鋭利なかたちなのかもしれないけれども、ぼくはそういう、ひと口ほどの上等なデザートを召しあがるといったものではもの足りない質なのかもしれません。大皿に盛られた大量の料理をひたすらに貪るといったほうが性にあっている。

 ただ、もちろんそれは詩にかんして無知だからこそいえることなのかもしれず、だからこういう本を見ると、少しは詩を学んでみようかな、せめて詩集でも読んでみようかな、などと思ったり思わなかったりします。

 詩を学べばぼくの書くものもまた変わってくるのではないかという希望もまあ、ある。たぶんさらに酷くなるような気がしなくもないけれど。

 堀口大學ヴェルレーヌとか、まあ、好きは好きですよ。よくわからないけれど。