『イギリス海岸』。

 何かこう、苦すぎる珈琲のように濃密な小説を読みたいな、とふと思い、それで東京でレスター伯が話していた古川日出男の『13』を思い出し、書店に赴き、探したのだけれどとっくに絶版になっており、仕方なく同じ作家の『サウンドトラック』を買って帰り、楽しく読み耽り、しかしなかなか読み終わらず、それでちょっと疲れて箸休めのつもりで読みはじめたのがこの短篇集なのだが、こちらのほうをさきに読み終わってしまった。

 『イギリス海岸』。「イーハトーヴ短篇集」と題された、ほんの少しファンタジーな短篇集である。

 ある種の小説をあらわすとき、ぼくはよく、薄口の小説、という形容をする。文章に格別の技巧を凝らさず、ごく淡々とありふれた日常だのちょっとした恋愛だのを描いた小説のことで、たとえば江國香織の作品などが、それにあたる。

 薄口の小説は、何しろ薄口だから、繊細な味つけの妙が勝負どころである。で、『イギリス海岸』、とても舌触りが良い。紡がれる言葉の一つひとつが、きわめてまろやかで優しい。

 苦すぎる珈琲のように濃密な小説を読みたいと思っていたはずなのに、気づいたら、上品な紅茶のように柔らかな小説を読んでいた、という気分。これだから、読書はおもしろい。

 「イギリス海岸」。わかるひとには、わかるだろう。かの宮沢賢治命名である。じっさいにはそれは花巻に在るとある川端のことで、教師時代にそこを訪れた賢治が、散策し、イギリス辺りの白亜の海岸を想像して、そう名付けたのだという。

 もちろん、賢治が英国を訪ったことは、ない。ただ、かれのその広漠たるイマジネーションの宇宙、イーハトーヴ幻想世界で、そこは、イギリス海岸にほかならなかった、ということなのだろう。

 ひとは、誰も皆、ひとりひとり異なる世界を視ている。賢治の目には、世界は、どのように視えたのだろう。その天才の、詩人の目には、あるいは、すべては神々しく輝いて視えたのだろうか。それとも、何もかも生々しく、血まみれに蠢いて視えていたのだろうか。

 本作はその賢治を時おり連想させながら、いかにもかろやかに、あるひと組の双子の姉妹と、彼女たちにかかわったひとの、ささやかな恋やら結婚やらを追いかけていく。

 舞台となるのは、賢治のいう「イーハトーヴ」の界隈、岩手の辺り。あくまでも薄口の小説なので、べつだん、現実と幻想がアイスクリームとソーダのように溶けあったり、ほとんど冒険のような大恋愛が燃え上がったりはしないのだけれど、それでも、一頁また一頁、しゅるしゅると軽快に読める。

 小説とは、つまるところ、単なる単語の連環なのだけれど、その言葉の珠玉一個一個が、丹念に磨かれてあかるく煌めいているそれと、どこかよごれてざらついているそれとでは、これがもう、まるで違う。その奇妙、その不思議が、ひとを、小説というラビリンスに惹き込むのだろう。いや、まったく、いったいどういうことなのだろうね。

 一般にあまり男性が読むような作品ではないかもしれないが、でも、読みおえて、すこしばかり涼やかな気もちになれる、そんな小説であった。

 さて、それでは、『サウンドトラック』に戻ろうか。そこでは、荒れくるう暴風に似た音楽的な言葉の連環がぼくを待っているのだ。穏やかな日だまりのイーハトーヴから、あらしのなかへ、帰ろう。