ふたりの天才棋士。


 昭和最強といわれた棋士坂田栄男さんが亡くなったそうだ。享年90歳。ぼくは碁のことは全くわからないが、先日放映された藤沢秀行の特集番組でこの人のことは知っている。

 坂田栄男藤沢秀行。ふたりは、宿命のライバルといった関係性だったらしい。否、ライバルというより宿敵、あるいは天敵というべきか。

 最近だと、盤上のライバルとはいっても、一旦碁盤を離れればいたって紳士的に付き合うというひとが多いのではないかと思うのだが(そうでもない?)、このふたりはその反対だった。

 最後の無頼派と呼ばれた藤沢と、当時最強を謳われた坂田とはとにかく仲が悪く、盤上ではもちろん、盤を離れたときも壮絶な「激闘」を繰り広げたらしい。

 くだんの番組に出てきたときの、短くも強烈な印象をのこす映像が忘れられない。ほかの棋士たちが、いくぶん苦笑しながらも絶大なる尊敬を込めて天才棋士「秀行先生」を語るのに対し、坂田は開口一番この台詞。

「ぼくはね、秀行のね。ちょうちん持つような番組なんか出たくないんだけどね、本当は」

 老いて益々意気軒昂、そして権威に媚びることなど思いもよらぬ傲岸不遜の天才の姿がそこにあった。

 無頼派棋士と呼ばれた藤沢は、あびるように酒を飲み、賭け事にのめり込み、事業を起こし、借金を作り、「負けたときのため首をくくる木を探しながら勝負に向かった」という奔放無比の人物である。

 それに比べ、豪奢な邸宅に住む坂田は絵に描いたような「成功者」に見えた。しかし、このふたり、魂の次元ではどこかに共通するものがあったのではないか、だからこそ磁石の同極のように反発しあったのではないか、そんなふうにも思う。

 碁とは盤上のたたかいとはいえ、やはり勝負事の世界、天性の負けず嫌いでなければ頂点に立つことなどできないはずだ。藤沢と戦ったある名人戦において、坂田はまさに死力を絞りつくし、その後はもう同じ力を発揮できなかったという。

「考えてみるとね、あの勝負でね、やっぱり寿命縮めたね。それからは。それが最後と言ってもいいね、後で考えると、ぼくが本当に碁を打てたのは。すごく心身ともに、もうガックリしちゃった、参っちゃったんだよね。勝っても」

 そして最強の名をほしいままにした男は、大嫌いなはずの男のことをまるで最愛の人物のように語る。

「だから、おしまいなんだ。あれが最後なんだよ、ああいう勝負は。ああいう勝負をね、するのは僕と秀行で終わりなの」

 ただ一枚の碁盤を挟み、精神の極限において勝負を繰り広げた男たちの世界――そこには、余人が立ち入ることは愚か、想像することもできぬ何か固い絆があったのかもしれない。

 坂田は、藤沢の死後、かれを偲ぶ会に自主的に出席する。まさかかれが出席するとは思いもよらなかったのだろう、招待状も来ていなかったという。しかし、いまや伝説の大名人となった男は、そのようにしてかつての宿敵を送ることを選んだのだった。

 そしていままた、坂田も逝った。繰り返すが、そのことの本当の重みはぼくにはわからない。しかし、あのとき、炯々たる眼光でテレビカメラを睨みつけるようにしていた老人の姿は忘れがたい。あれこそはいまはもう失われた時代の失われた精神の象徴だった。そんなふうに思うのである。