「ふだん小説を読まないひと向けの小説ランキング」があってもいい。

小説家という職業 (集英社新書)

小説家という職業 (集英社新書)

 読了。

 ベストセラー作家森博嗣の作家論。これは凄い。素晴らしい。過去、森がブログなどで書いてきた内容のまとめといった印象なので、森作品の読者にしてみればそれほどセンス・オブ・ワンダーにあふれた内容ではないかもしれない。

 しかし、あらためてまとめて読まされると、やはり蒙を啓かされるというか、圧巻である。「小説を書くというビジネス」について、これほど冷静に、客観的に描いた本は、海外ならともかく、国内には他にないのではないか。

 森は小説を書くという作業を徹底的にビジネスと割り切り、そのために必要なことは何かと考え、そしてそれを実行していく。それがあまりにクールでドライなため、冷徹とも、皮肉とも見えるかもしれないことは、森の小説作品とも共通している。

 が、じっさいには森はあたりまえのことをあたりまえに書いているだけである。それが嫌味に見えるとすれば、読者のほうがセンチメンタルなのだと思う。おそらくはそこまで含めて森の計算のうちなのだろうけれども。

 さて、ミステリを初めとしてエンターテインメント小説界に絶大な影響を与えた森作品であるが、初期のいわゆるS&Mシリーズに比べると、その後のVシリーズ、Gシリーズ、Xシリーズなどは相対的に評価が低い印象がある。

 これは本当に印象論に過ぎないので間違えているかもしれないけれど、たとえば、各種小説誌のランキング企画などにこれらのシリーズの名前を見かけることは少ない。雑誌の書評などでもあまり見かけない気がするし、Amazonなどでも「昔のほうが良かった」という意見が散見される。

 作品のクオリティが落ちたのか。そうかもしれないが、ぼくはそうは思わない。それに、森は、Gシリーズのセールスは『すべてがFになる』を除くS&Mシリーズを上回っているとどこかで書いていた。決して人気が落ちているわけではないのである。

 たぶんそれは、森の作品の傾向が変わったことに関係しているのではないだろうか。

 プロであれ、アマチュアであれ、小説を批評する人間には、入魂一作主義というか、読み終えて「おなかいっぱい」と呟きたくなるような重く、中身の詰まった印象を与え、しかも完結度が高い作品を「傑作」として評価する傾向があると思う(必ずしも分量的大作という意味だけではない)。

 だからたとえば『すべてがFになる』のような森の初期作品は評価されやすく、最近の作品は評価されづらいのではないか。

 最近の森作品は、一作で完結することを放棄しているようなところがある。物語そのものは一作で完結しているのだが、その上で色々な謎が続編に持ち越しされていたりするのだ。

 その上、きわめて軽い。中身のほとんどが登場人物の洒脱な会話で占められているのではないか、と思うほどだ。だから、密度の高く印象が濃い作品を「傑作」として見る向きからは評価されづらいのだろう。

 それはそれでひとつの価値観としてありではあるし、ぼくもどちらかといえばそういう評価の仕方をするほうだ。が、そこには限界もあるように思う。そのやり方では、Gシリーズのような軽い作品はどこまで行っても評価されないではないか。

 いや、軽い読み物などは「傑作」の名に値しないのかもしれないが、じっさいには密度が濃く印象が強い作品を求めている読者ばかりではないと思うのである。それどころか、読みはじめるのに覚悟がいるような作品を求めている読者は少数派なのではないだろうか。

 もっとこう、気楽に手を出すことができる、スマートな作品を求めて本を読んでいるひとだって大勢いるだろう。というか、重厚な作品は手を出しづらいが、そういう本なら読んでもいいと思っているひとはたくさんいると思う。

 そういった読者の需要に応えるランキングなり、書評なりがあってもいいのではないか、と考えるのだが、どうだろう。いわば「ふだん小説を読まないひと向けの小説ランキング」である。

 問題はそれを誰がどう選ぶかで、まあ、実現はむずかしいかもしれない。が、この業界にも、そういう、重度の「本の虫」向けではない入り口がいくつかあってもいいのではないか、とこの本を読んでいて思ったのだった。