スポーツ漫画における勝敗の必然性。


 この世界は、すべて偶然から成り立っている。あらゆる出来事は神さまが振ったサイコロの目の結果であるに過ぎず、必然と思えるものは、すべて人間の錯覚である。

 が、漫画の世界はそうではない。漫画の世界では、すべては作者の周到な(周到を目指した)計算によって出来上がっている。ある意味で、そこには偶然のものは何ひとつない。スポーツ漫画の勝敗などは、その最たるものだろう。そこでは勝利も敗北も皆、必然的なのだ。

 個人的に『SLAM DUNK』の試合結果などは、実によく計算されていると思う。あとから考えてみれば「そうなるしかない」と思えるのに、読んでいる最中は「どうなるのだろう」と胸踊ったのだ。

 長年漫画を読んでいる読者は、どうしても作品のメタレベルで勝敗を予測しがちなものだから、よくよく考えてみればほとんどの試合の結末は予想できるはずである。しかし、それでも作品のなかに引き込まれることはある。

 たとえば、主人公が挑む最後の甲子園、決勝では宿命のライバルが待ち受けている、などという場合、準決勝で主人公が敗れるということは考えづらい。しかし、それがわかっていても、いまそこで展開している試合に夢中になることはある、というようなこと。

 漫画には、その展開上ありえる展開とありえない展開というものがあり、漫画を読みなれた読者は大抵、無意識に先を予測しながら読んでいるものだ。

 『SLAM DUNK』でいえば、翔陽戦も、海南戦も、陵南戦も、また山王戦も、それ以外ありえないという結末を迎えている。しかし、だからといって「どうせこういう結末になるのさ」とシニカルに笑ってみせる気には全くならない。それが作品の力というものだと思う。

 しかし、なかには、作者の計算が巧くいっていないと思える試合もある。『はじめの一歩』のウォリー戦などは、どう考えても一歩に勝ち目のない試合だったと思うのだが、展開上、一歩が負けることは赦されない試合だったため、結局、勝ってしまった。

 が、どうにも腑に落ちない勝ち方であった。今後の展開のため、作者が無理に勝たせたように見えてしまうのだ。一歩が負けたらいままで積み上げてきたものが崩れ去って展開が大幅に遅れることになるから仕方ないという理屈はわかるのだが、その理屈のために理を曲げているように思えて、いまでも少し納得がいかない。

 また、『おおきく振りかぶって』なども、「なぜ、ここで負けるのだろう?」と思ってしまうような「敗北の必然性」が感じられない負け方をしていて、ぼくはいまでも釈然としない気分だったりする。それがリアルといえばその通りなのだが。

 さて、昨日に続いて『ベイビーステップ』の話。『ベイビーステップ』では、現在、主人公のエーちゃんが全国優勝を目指して大会に出場している。かれはこの大会で負けたらプロを目指すことをあきらめると宣言している。

 ということは、もしこの先、エーちゃんがプロを目指しつづける、あるいはプロになる展開になるとしたら、エーちゃんは全国優勝するはずである。少なくとも、次の試合で負けることはありえない。

 しかし、その通りに進んでしまうことは、あまりに順当であり、おもしろくないという気もする。作者は、いったいこの先どのような展開を組んでいるのだろう?

 可能性としては、「全国優勝する」か、「途中で敗北したにもかかわらずプロを目指す」といった展開が考えられるが、はたして後者の可能性はありえるのだろうか。そういう意味でも、『ベイビーステップ』には注目している。

 ていうか、なっちゃんには驚かされたよね。

ベイビーステップ(14) (講談社コミックス)

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