「パクリ」死すべし。


 きのうラジオで延々と話していたのだが、「パクリ」という言葉を軽々しく使うことには問題があるよね、という話。当然ながらそう思うのはぼくひとりではないようで、たとえばニコニコ大百科にはこのような記述が存在する。

同じく模造などを表す言葉に「オマージュ」「パロディ」などがある。
これらの語句を明確に区別しようとする場合、線引きは人によって若干異なるため、しばしば議論になる。

(中略)

パクリとオマージュ・パロディは別のものであり、パクリを叩く理由を考えるとそれらを混同してしまうのは手段と目的を履き違えていると言わざるを得ないが、残念な事に混同して十把一絡げに「パクリ」と言う者が少なからず存在する。

(中略)

当然だが、パクっている訳では無い物をパクリと呼ばれれば、作者本人のみならずその作品を視聴していた第三者にも不快感を与える。
悪意を持って意図的にパクリという言葉を使う者は言うまでもないが、パクリの何たるかを良く理解せずに手当たり次第にパクリと言う言葉を使っている人は、どこかで他人に不快感を与えている可能性が高い。この記事を見て思い当たる節がある人は、パクリと言う言葉の持つ意味を考えて、本当に使うべきところでのみ使うように心がけて欲しい。

 おおむね納得できる内容ではあるが、ぼくの意見はもっと極端である。「パクリ」なんて言葉そのものの使用をやめればいいと思うのだ。既に「盗作」という言葉があるのだから、そちらを使えばいい。「パクリ」という言葉はあまりに軽すぎ、特にネットでは、軽率に使用されすぎるきらいがある、と感じる。

 いまでも憶えているのだが、TYPE-MOONの『月姫』が話題になったとき、『痕』のパクリだ、というひとが大勢いた。『Fate』のときは『仮面ライダー龍騎』のパクリだ、というひともいた。ぼくはこのような指摘は意味がないものだと考える。

 じっさいに『月姫』や『Fate』が先行作品から影響を受けているかどうかは問題ではない。仮に影響を受けていたとしても、それを非難することに意味がないと考えるのである。それらの作品が先行作品の「パクリ」だとして何なのだ?としか思わない。

 それらの作品が「オリジナリティに欠ける」ことが問題なのだろうか? だとしたらそういえばいい。「パクリ」などという言葉を使う必要はない。あれも「パクリ」、これも「パクリ」、といって悦に入ることはかってだが、無意味としか思えない。

 よくいわれることだが、ある作品があり、それに類似した作品があるとき、最初の類似作品こそ「パクリ」といわれるが、それが広まると「ジャンル」になる。

 たとえば「透明人間」や「タイムマシン」といった広くしられるアイディアも、宇宙開闢からあったものではなく、H・G・ウェルズの創案だ。しかし、『ドラえもん』はウェルズのパクリだ、などというひとはいない。あまりにもあたりまえになってしまうと、それは「パクリ」とは認識されなくなるのである。

 そしてまたこれもよくいわれることだけれど、純粋にオリジナルな作品はない。すべての作品はその意味ではどこからかアイディアを「パクって」いるのであって、その文脈では「パクリ」という言葉に意味はないことになるだろう。

 むろん、だからといってぼくも無条件に剽窃を認めようとは思わない。それがたしかに「盗作」だといえる根拠があるのだったら、はっきりそういって告発すればいい。もし間違えていたらあきらかな名誉毀損ではあるが、それだけの確信があるのならいってもかまわないだろう。

 しかし「盗作」というほどの確信がないのに、ただちょっと似ているという理由だけで「パクリ」と非難することは、これは、ニコニコ大百科にもあるように、ひとに不快感を与える可能性が高いし、創作者のモチベーションをも下げる。控えるべきではないか。

 「パクリ」と「盗作」はほぼ同じ意味合いの言葉だと思うが、しかしあきらかにニュアンスが違う。「パクリ」という言葉の軽さに対し、「盗作」という言葉には重い犯罪の響きがある。気軽には使いづらい言葉である。だから気軽な「パクリ」を使いたい気もちはわかる。

 しかし、そもそも気軽に他人を盗作者扱いできることが問題なのだ。ひとを告発するのだったら、それなりの覚悟を持ってなすべきだろう。

 「パクリ」死すべし、とぼくは考える。この言葉にあえて使うべき意味があるだろうか。