デフレスパイラルが漫画のスケールを小さくする。

マギ 1 (少年サンデーコミックス)

マギ 1 (少年サンデーコミックス)

 オフで話したネタを、ひとつ、ふたつ、公開しておこう。どれにしようか。そう、男ばかり五人の部屋で話し合った『マギ』の話でもしよう。

 『マギ』は大高忍による少年サンデー連載の漫画である。ぼくの仲間内ではずいぶん話題になった作品で、ぼくも将来の飛躍を期待していた。していた、と過去形で書くのは、どうもこのところの展開がいまひとつに思えるからだ。

 最初は、とてつもなく壮大でおもしろい物語が始まると思ったのだが――どうも、ここ数話の、いわゆる「バルバッド編」を見ていると、それほどまでは行かないかな、と思えてくる。

 何が変わったのか。おそらく、何も変わってはいないのかもしれない。作者としてはすべて予想通りの展開ではあるのだろう。しかし、読者としてはあまりにも物足りない。壮大なスケールに広がっていくのではないか、と思えた世界が、一気に萎んでいくような気がするのである。

 物語は、現在、主人公格であるアリババ少年が、バルバッド王国の王となりそうなところまで行っている。しかし、どうもこのバルバッドという国がちっぽけなものに思えてならない。ふたつとない至尊の玉座を巡る争いが、まるで町内会長やら村長を巡るたたかいとしか思えないくらい。

 というのも、バルバッドという国には、国家を支えるほどの人材がまるでいないのだ。王冠を被るアリババの兄はただのバカだし、それを支えるほどの人物もいない。いままでどうやってこの国は動いてきたのか、と思わずにいられないほど、国柱たるべきひとがいないのである。

 いや、そういった人材が枯渇するほど腐敗した危機的な状況、ということはわかる。だからこそアリババが立たねばならないということも、わかる。しかし、それにしても、この国はスモールサイズすぎないだろうか。

 たしかに、バルバッドは小国ではある。とても世界を睥睨する大国とはいえない。だから、バルバッドの描写はこのくらいでいいのだ、という意見もあると思う。しかし、本当にそうだろうか。小国とはいえ一国である。もっと大きく見えるよう描写するべきではないだろうか。

 というのも、これからの『マギ』における国家の描写はこのバルバッドがひとつの基準になってくると思うのだ。バルバッドがこの程度、となると、バルバッドより大きな国もたいしたことがない、それよりさらに大きな国ももうひとつ、世界最大の国家さえもいうほど大きくはない、ということになってしまいそうである。

 こうなるともう、ある種のデフレスパイラルみたいなもので、物語世界のスケールは波及的に小さくなっていく。

 物語におけるスケールとは、大きいものを直接大きく描くことだけで生まれるのではない。小さなものを詳細に描くことによって、初めて大きなものが描けるのである。

 いわば、物語には遠近法(パースペクティヴ)が必要なのだ。目の前のものを大きく描くだけではなく、遠くにあるものが実はいかに大きいのか、と描くことによって、初めてもののスケールは正しく表せる。

 たとえば田中芳樹あたりはここらへんが抜群に巧く、腐敗しているはずの銀河帝国軍やらパルス王国にも膨大な人材を描き込む。そのことによって、読者は、これほどの人材が存在するこの国において、さらに抜きん出てくる人物、あるいは頂点に立つ人物というものがいかにスペシャルであるかを間接的に悟る。

 ここでもし、田中が、この国は本当に腐敗しているのだから、まるで人材は存在しないことにしよう、と考えていたらどうなったか。ラインハルトなりアルスラーンなりの偉業は、たいそうその光彩を失ったことだろう。

 なるほど、この程度の人材しかいない国なら、ラインハルトが頂点に立つことも容易だろう、と読者は考えるに違いない。いま、『マギ』で起こっているのはそういうことだと思うのだ。

 『HUNTER×HUNTER』を見てみよう。この物語は、当初、ハンターを目指す少年の物語として始まった。そのハンターの偉大さを描くために、作者はこれでもかとその稀少性を強調する。

 ハンター試験の会場に集まった時点で、全員が何らかの達人であり、凡人では試験に参加することすらできない。そういう条件を設定することによって、作者はそののちのハンター同士のたたかいの恐ろしさをみごとに表現してのけている。

 つまり、読者は新たに登場したハンターを見るたびに思うことになるのである。この人物もまた、あの過酷なハンター試験を乗り越えてきた者なのだ、と。ただそれだけでその人物の格は上がる。

 そして、そのハンターのなかにも優劣があり、階級があるという事実は、読者に、その世界の広大さを否応なく実感させるだろう。これが物語の正しい遠近法である。

 『HUNTER×HUNTER』ではなく『ONE PIECE』でも同じような例は見いだせる。つまり、ヒエラルキーの底辺のあたりを手抜きなくきちんと描いていくと、ただそれだけで、そののちの大物たちを偉大に見せることができるのだということ。

 しかし、そこでいまひとつな描写をしてしまうと、物語世界全体がデフレスパイラルに陥っていくことになる。デフレスパイラルは物語世界をダウンサイジングしていく。いったんこれが始まってしまうと、止めることはむずかしい。では、どうすればいいのか。どこかでその螺旋を断ち切るよりほかはないのだが――はたしてできるかどうか。

 しかし、漫画を描くということは本当に大変なことだ。一瞬たりとも油断したら、そこからどんなひどいスパイラルが続いていくのかわからないのだから。物語世界のスケールは螺旋を描いて大きくなりもし、小さくなりもする。何一つ手を抜ける描写はないのである。