いまさらながら『沙耶の唄』が凄かった。


 評判は耳にしていたし、傑作だろうという確信もあった。それでもなお、なかなか手を出す気になれなかったのは、この手のホラーが決して得意ではないからで――そして、じっさいにプレイしてみたいま、やはり予想は外れていなかったと感じている。

 『沙耶の唄』の話である。『Phantom of Infelno』、『Fate/Zero』を生み出した鬼才虚淵玄の代表作の一つ。それまで『吸血殲鬼ヴェドゴニア』や『鬼哭街』で、熱血激闘の世界を描いてきた虚淵が「燃えません。凍えます」とのコピーとともに送り出した血も凍る戦慄のサスペンスホラーだ。

 物語は、ある青年が交通事故によってある認知障害に陥るところから始まる。かれの目にはこの世のすべてが豚の臓腑を投げ出したような醜悪きわまりないものと映るのだ。

 かつての親友たち、そしてかれに淡い恋心を寄せてくれた女性ですら、どこまでもおぞましい臓腑の怪物としか見えない。そしてその声も異常に耳障りな金切り声ときこえる。これ以上ないくらいの絶望的な狂気。

 しかし、かれにはたったひとつだけ救いがあった。同居している少女、沙耶の存在だ。何もかも狂ってしまった世界のなかで、唯一、沙耶のすがただけは生身の小柄な少女と見えるのだ。

 沙耶はかれに真摯な愛をそそぎ、ベッドでは娼婦のように淫蕩な顔を垣間見せた。この世のすべてを呪詛するかれにとって、沙耶の存在こそが絶対のものだった。しかし――。

 作中で言及があるとおり、この認知障害の元ネタは手塚治虫の『火の鳥』である。『火の鳥』のなかでは、人間が怪物に見え、ロボットだけが人間に見えるというかたちでその障害は現れるのだが、『沙耶の唄』でもそこらへんの設定は共通している。

 『火の鳥』を読んだものならば、いや、そうでなくても多少の想像力があるものなら、沙耶の正体はすぐに想像がつくだろう。この世のすべての美しいものがこの上なく醜悪に感じる青年が、唯一美しいと感じるもの、その真の姿は――つまり、そういうことである。

 ここらへんがわかってしまうと、一見萌え萌えエロエロとも見える沙耶とのセックスシーンは、恐ろしいものとしか見えなくなる。一応ポルノであるエロゲとして何か致命的に間違えていると思うのだが、しかし、これはそういう作品なのだ。

 あらかじめ忠告しておく。この作品には、並の「鬱ゲー」どころではない危険な絶望が詰まっている。うかつにふれるとひどいことになるので、注意されたし。

 そういうわけで、この作品はどこまでもホラーなのである。正常が異常に、異常が正常に、美が醜悪に、醜悪が美になりかわってしまうという、ことばに尽くせぬこの恐怖――しかし、『沙耶の唄』はその次元にも留まらない。

 醜悪な怪物であるはずの沙耶は、主人公の視点においては、やはりどこまでも愛らしい少女にほかならないのだ。そして、沙耶は単に主人公を騙しているわけではなく、ある意味人間的な「愛」を持っているらしいことが次第にあきらかになる。

 この作品を「究極の純愛もの」と呼ぶひとがいるが、その表現は誇大ではないだろう。直視することもはばかられるほど醜く変わってしまった世界と、そのなかでただひとり美しく見える沙耶。

 物語のある時点で、沙耶を選ぶか、それとも沙耶以外の全世界を選ぶか。プレイヤーはまさに究極の選択を突きつけられる。

 エンディングは三つ存在するのだが、そのいずれも、「ハッピーエンド」といいきれるものではない。しかし、その醜怪でありながら哀切きわまりない感覚は、ちょっと例のないものだ。

 たしかに主人公は狂気に陥り、すべてのものを正常に認識できない状態にいたっている。しかし、本当にかれは狂っているのだろうか? あるいは、狂っているのはかれ以外すべての世界のほうなのでは? 美とは何だろう? 醜悪とは? 何が正常で、何が異常なのだろうか?

 考えはじめても答えなど出るはずのない問いを、『沙耶の唄』は極限のかたちまで掘り下げていく。主人公と世界が直結してしまっているという意味で、ある意味、セカイ系の極北といえるかもしれない。

 とても万人に推薦できるような作品ではないが、しかし、一部の人間には激烈な感動を与えるであろう異常の傑作である。これも、いまならDL販売で2400円ほどで買える。ごく短い作品だが、その密度は短さを補って余りあるだろう。

 この手のものが苦手だというひとには無理には勧めないが――でも、これはやっておいて損がない作品だと思う。背筋も凍るほど恐ろしい、しかし恐ろしいだけではない物語。

 世界を沙耶の唄が覆うとき、悪夢の暗黒時代とも、新たなる楽園の新世界ともいえる時代が訪れる。その日を祝福するものは、それは、人類ではない。