小説のなかに架空の友人を探すということ。


 書いてみるとけっこう書けるものだな。せっかく書く意欲が戻ってきたので、続けて書くことにしましょう。といっても、当然、特にアイディアがあるわけでもない。何を書こうか。

 『HUNTER×HUNTER』の話とか『ONE PIECE』の話ならいくらでも書ける気がするけれど、そんなもの、ほかのひとが散々に書いているしね。

 そうそう、そういえば、先日、田中芳樹さんが遂にというかようやくというか、『タイタニア』の新刊を書くらしいという情報が飛び込んできました。

 何でもアニメ版を見ていたら書く気が湧いてきたという話で、あのお世辞にも出来がいいとはいえないアニメも全く無駄ではなかったということになりそうです。

 ま、実のところまだ半信半疑、本当に書くのか怪しいものだと思っていますが、でも、書いてくれるなら嬉しいなあ。だって、もう、めちゃくちゃいいところで終わっているんだもん。あの続きを読めるなら、ぼくは大抵のものは生贄に差し出しますよ。

 えっと、未読の方のために説明しておくと、『タイタニア』は田中芳樹の数ある未完の長編のひとつで、銀河を統べるタイタニア一族と反タイタニア勢力との抗争を気宇壮大に描き出しています。

 田中芳樹スペースオペラといえばいうまでもなくあの歴史的大傑作『銀河英雄伝説』が思い浮かぶわけですが、『タイタニア』は『銀英伝』よりもう少し肩の力が抜けた作品といえるでしょう。でも、これがやっぱりおもしろい。

 初めは特別すごい作品とも思えなかったのだけれど、さすがというべきか、尻上がりにおもしろくなっていくんですね。で、遂にタイタニア一族同士で内乱が起こるという急展開のところで中断している。それから時が経つこと、実に二十年。

 そう、すごいのは初めて読んだのはもう二十年まえになるというのに、まだ登場人物の名前をはっきりと憶えていること。アリアバート、ジュスラン、ザーリッシュ、イドリス、バルアミー、リディア姫、ファン・ヒューリックにドクター・リー。もうすらすらと名前が出てきますね。

 さすがに複雑な話の筋は忘れている部分もずいぶんあるけれど、キャラクターの輪郭は未だに判然としている。これは『タイタニア』という小説がいかに魅力的に人物を描き出していたか、という事実の証左となるものだと思う。

 やっぱりなんだかんだいっても調子がいいときの田中芳樹は只者じゃない。そのストーリーテリングの力量は、天才とまではいえないにしろ、そうそう右に並ぶものが見つけられないほどのものとはいえるでしょう。

 『ゲド戦記』で有名なアーシェラ・K・ル・グィンは、エッセイのなかで、その小説の登場人物が真に生き生きと描き出せているか確認するための簡単な方法を紹介しています。

 つまり、読み終えて一ヶ月経ってまだそれらの人物の名前を憶えていたら、その小説は本当の意味で人間を描き出せているといえるのだ、と。

 その意味では、二十年経ってもまだ忘れられない『タイタニア』の人物たちは、少なくともぼくにとっては、まさに本当に生きている知人友人たちにも比すべき、紛れもない「実在」の人物といえそうです。

 ぼくが小説、いや小説に限らない、あらゆる物語に求めるものはふたつあって、ひとつは、その作品のなかに何かしら新しいものを見つけ出し、いままでのじぶんを刷新できること、そしてもうひとつは、その作品のなかの人物たちをまるで本当の友人のように親しく感じられるようになることです。

 このどちらかひとつを満たしていれば、それはぼくにとって読む価値のある作品といえる。『タイタニア』は決して斬新な作品とはいえないけれども、ジュスランやバルアミーはぼくにとって最も親しい「架空の友人」に他なりません。

 バルアミーの客気も、ジュスランの韜晦も、アリアバートの清廉も、ぼくにとっては無二の個性に思えます。もし、またかれらと出逢えるのなら、これ以上の喜びはありません。

 そしてまた、仮に田中芳樹の筆が思うほどに動かず、再開を遂げることが叶わなかったとしても、もはや、生涯、ぼくはかれらの名前を忘れることはないでしょう。

 小説のなかに架空の、架空でありながら紛れもない実在の友人を探すということ、これ以上に高雅な趣味もまたとないかと思うのですが、いかが。