劇場版『Fate』の限界。


 昨日も書いたように劇場版『Fate』を観てきたんですけれど、まあ、わざわざ観るほどの映画ではなかったですね。

 いや、映画の出来としては悪くない、チャンバラ活劇としてそれなりに楽しめる作品に仕上がっていたと思うけれど、でも、これはもう、企画そのものに無理がある。そうとしかいいようがない。

 順当に読んでいけば20時間はかかる原作を2時間にまとめようというんだから、そんなもの、まとまるはずがないんですよ。必然的に異常に展開が早くなり、次々と事件が起きては解決し、ということをくり返す内容になっています。

 その物語はある意味、原作に忠実で、異様なほど展開が早いことを除けば、原作の展開をほぼ再現しているといえると思います。日常はともかく、バトルはほとんど省略せずに描ききっていますね。

 ただ、断言しますが、原作やテレビ版を観ていないひとには絶対に理解できない作品だともいえるでしょう。だって、なぜ聖杯戦争ギルガメッシュが加わっているのか、その情報がないんだもん。何も知らないひとにとっては、シナリオが破綻しているように思えるはず。じっさいには破綻していないんだけどね。

 『Fate』を遊び倒したぼくですら、刻々展開する物語のスピードについていくことにやっとで、十全に物語を楽しむことはできなかったので、しらないひとは相当混乱するだろうと思います。宝具の説明とかもないしねえ。

 ただ、そういう欠点はありつつも、原作のシナリオがやはり抜群におもしろいので、それなりにおもしろい作品にはなっているんですよね。なんといっても、原作の『UNLIMITED BLADE WORKS』は、この10年のオタクコンテンツとしては最も成功した、最もおもしろいシナリオなんですから。

 だから、ぼくは映画を観に行ったことを後悔はしていません。たしかに、大傑作とはいかなかったけれど、企画そのものに無理も感じるけれど、でも、悪くない映画体験だったと思いました。

 劇場の大スクリーンで『Fate』を観れただけでもそれなりに満足ということはある。まあ、企画そのものが無茶なので、これ以上の出来は期待できないのかもしれませんね。そういう意味では、及第点の作品だったといえるかもしれません。ランサーかっこよかったしね。

 それでも文句をつけたいところはあって、たとえば士郎の「いくぞ英雄王―――武器の貯蔵は十分か」の台詞は、叫ぶようにではなく、上から見下すように言ってほしかった。

 この台詞は『Fate』全編を通して最高の名台詞であるわけですけれど、そのカタルシスはそれまで圧倒的に上位の存在だった「本物」の英雄王ギルガメッシュを「偽物(フェイカー)」の士郎が見下して見るところにあると思うのですね。だから、ここで叫ぶようにいうことは台詞の名台詞度を一段下げることになったかなあ、と。

 そこらへん、京都アニメーションの作品は「わかっている度」がすごく高い。いや、京アニも飛ばすところは飛ばすんだけれど、のこすところと飛ばすところの取捨選択の「わかっている感じ」が素晴らしいんだよなあ。

 そういうわけで、なかなかおもしろくはありつつも、色々と限界を感じさせる映画でありました。まあ、劇場の大スクリーンで令呪に悶えるセイバーを見れただけでもよしとするか。セイバー萌え☆