『リバース/ディテクティヴ』終章。


 終章「優しさの報酬」

 昔。
 いまよりもっと幼く、もっと無邪気で、もっとあぶなっかしかった頃。
 その頃、ぼくは〈太陽のランプ〉を拾った。さいしょはおどろいたが、そのうち、いったいどんな願い事を叶えるべきか、思い悩むようになった。しかし、三つの願い事のうちのひとつめは初めから決まっていた。
 母の病気を治すこと。
 その頃、ぼくの母親はある不治の難病で入院していたのだ。じぶんの力でそれを治してやったら、母はどんなにか喜ぶだろう。そして、じぶんもずっと、母といっしょに暮らすことができる。そう思い、ぼくはアズハルにそう願った。
 願いは叶い――しかし、その一ヵ月後、母は、交通事故で亡くなった。
 そう、いま思えば、不幸な偶然としかいいようがない。だれにも、どうしようもないことだ。しかし、入院したままだったら起こらなかった偶然であることもたしかだった。
 ぼくはじぶんを責め、アズハルを責め、そして〈太陽のランプ〉を封印した。
 いつも暗い顔でふて腐れるようになり、成績は落ち、それどころか、授業に出ないことすらあった。
 ぼくはしずかに、しかし確実に、腐り落ちつつあった。
 父はそんなぼくを責めはしなかった。それどころか、母が亡くなって以来、ぼくと父はほとんど会話を交わすことすらなくなっていた。ぼくはどこまでもひとりぼっちで、そして、そのことに気づいてすらいなかったのである。
 教師をふくめてだれもが遠巻きにし、腫れ物にさわるように接するするようになった当時のぼくに、あくまで絡んできたのはたったひとり――晴香だった。
 彼女は、じぶんひとりのことも満足にできないくせに、なにかとぼくの世話を焼きたがった。ぼくがひとりでいると呼びに来て、じぶんの仲間にいれようとした。
 迷惑だった。
 腹立たしかった。
 あるとき、とうとう、ぼくは叫んだ。
「うるさない! お前なんかきらいなんだよ、あっちへ行け!」
 と。
 その言葉が晴香を傷つけると承知で、そういったのだ。
 しかし――晴香はぼくのそんな罵言ではびくともしなかった。
「それでも、わたしは好きだよ」
 ぼくはばかにされている気がして、なおさら激昂した。
「ぼくが片親になったから同情しているのか? ぼくがそんなことを喜ぶと思っているのか? この、この――ぎぜんしゃ!」
 それは憶えたての言葉で、意味もろくにわかっていなかったが、とにかくそういった。
 晴香は彼女はその華奢なからだで、そっぽを向いたぼくをそっと抱きしめた。
「違うよ、薫ちゃん」
 と、彼女は優しくいった。
「わたしね、どじでしょ? なにをするのにもひとの倍くらい時間がかかるでしょ? ずっと、そんなじぶんがきらいだったの。でも、そんなわたしに初めて優しくしてくれたのが薫ちゃんだった。薫ちゃんは、わたしがどんなに手間取っていても、いつもじっと待っていてくれたね。ゆっくり、辛抱強く、接してくれたね。あなたはほんとうに優しいひと。そのおかげで、わたし、ちょっとじぶんのことを好きになれたと思う。だから、こんどはわたしの番なんだ。お願い、わたしに心をとざさないで。わたしがあなたに近づくことを許して。迷惑だってことはしっている。でも、わたしにはこれくらいのことしかできないの。あなたがくれたものの、十分の一でも、わたしにお返しさせて。ね?」
 そのとき。
 ぼくは晴香の腕のなかで泣いた。母が亡くなってから、泣いたのはそれが初めてだった。泣くことによって、初めてじぶんが母を亡くして哀しかったのだと気づいた。ひとりぼっちで寂しかったのだとわかった。
 遠い初恋の思い出である。

                   ◆

「晴香」
 ぼくは布団のうえからそのからだをゆすった。
「晴香ってば」
 晴香はねむそうに目をこすって、ぼんやりとした眸でぼくをみつめた。
「うにゃ」
 猫みたいな声をだす。
「あれ、薫ちゃん? いま、何時?」
「もう8時になるよ。いいかげん起きないと、朝食とりそこねるよ」
「8時! それはまた、たいへんな時刻で――」
「いいから、起きなってば、もう」
「はいはい。わかりましたよ。起きますよ。起きればいいんでしょう」
 ぶつぶついいながら上体を起こし、のびをする。
 ぼくはため息をついて、その可愛い顔を見つめた。あれほど寝つきはいいのに、寝起きは悪いって、いったいどういうことだろう。睡眠の女神に愛されているのだろうか?
 晴香は寝ぼけまなこのままベッドから降りると、パジャマを脱いだ。ぼくは反射的に目をそらした。
「あれ?」
 晴香が奇妙な顔をする。
「目、そらすんだ。いままでも散々見たのに、変なの。だいたい、しょっちゅう一緒にお風呂に入っているのに」
「それは、それです」
 ぼくは多少、赤面していたかもしれない。
 そう――ぼくはけっきょく、いまもまだ、桜花学園学生寮に晴香といっしょに住んでいるのである。サミーラへのさいごの願いは、後回しにすることにした。男に戻りたくないわけではなかったが、それ以上に、晴香といっしょにいたかったのである。
 そして、あれからひと月が経ったいまも、晴香とおなじへやで、おなじように暮らしている。だれもしらないことだけれど、同棲生活のようなものである。
 晴香は着替え終わると、ぼくに向かってくちびるを突き出した。
「ん」
「何?」
「寝起きのちゅー」
「え?」
「ちゅーしてくれないと、起きない」
「何だ、その脅迫は。起きなくて困るのは君のほうだろう」
「もう、薫ちゃん、最近、なんだか優しくなくなったなあ。女の子だと思っていた頃は、すっごくいい子だと思っていたのに。わたしを騙していたんだなあ」
「もう」
 ぼくは嘆息した。
「仕方ないな。一回だけ、だよ」
 そして、ぼくは顔を近づけていき――そして、ぱっとからだを離した。
 ドアのほうから、咳ばらいの音がきこえてきたからである。
「み、み、水上さん!」
 そこに佇んでいたのは、生徒会長の水上由佳だった。
「いや、さいごまでしてから声をかけようかとも思ったんだけれど、それじゃ、さすがに覗きみたいだし、一応、見ていることはアピールしておく必要があるかと思ってな」
「と、扉は閉めておいたはずですよ!」
「もちろん、わたしがあけた」
「もう!」
 ぼくはなんだか不満そうにこちらを見つめてくる晴香を押しのけ、ベッドに座った。
「あの――わたくしもいるんですけれど」
 由佳の背後から顔を見せたのは、望だった。トマトみたいに真っ赤になっている。
「わたくし、その、あの、えっと、だから――」
「わかった。なにもいわなくていいから。お願いだから黙っていて。ね?」
 望はこくりとうなずいた。その背中を由佳が何度も叩く。
「いや、愛の力はすばらしいね! 望、わたしたちもあれくらい熱く愛しあおうな!」
「な! 誤解を招くようなことをいわないでください! わたくしとあなたはそんな仲じゃないでしょう!」
「つれないなあ。つい最近ひと晩中熱く過ごした仲じゃないか」
「徹夜でいっしょにゲームしたことを脚色しないでください!」
 望は怒っているようにも見えたけれど、まんざらでもないようにも見える。どっちなんだろう? 女の子の考えることは、やっぱりぼくにはよくわからない。
 朝食を採りに廊下を歩きながら、ぼくは晴香と指を絡ませあった。
「皆、なんていい、優しいひとたちなんだろう」
 思わず呟く。
「一時は殺人鬼じゃないかと疑ったことがうそみたいだ。皆、すごくいいひとたちばかりだね」
「それは、薫ちゃんが優しいひとだからだよ。憶えておいて。優しさの報酬は、優しさで支払われるものなんだよ。薫ちゃんがだれかに優しくすればするほど、世界はかがやいていくんだよ」
「そっか。そうだね」
 あれから、卓真里美はけっきょく、晴香の告発によって捕まった。わずか十六歳の女子高生犯罪者の逮捕は、ずいぶんと大きな話題となったが、それもいまは忘れ去られようとしている。蒲原芳子はあいかわらずだったが、ぼくと逢うとにっこりわらって挨拶してくれるようになった。音夢は精神のバランスを崩し、学校を休んでいる。
 時は経ち、日は過ぎ、いくつかの物事は変わったが、ぼくたちは幸福に過ごしていた。
 時々、思う。
 こんなにしあわせでいいのだろうかと。
 すべては夢のようなもので、いつかは失われるのではないかと。
 幸福だからこそ、満たされているからこそ感じる、得体のしれない影のような不安。
 しかし――
 たぶん、これでかまわないのだ。
 なぜなら、おそらくはこの物語は千夜一夜の御伽噺、そのなかの一話に他ならないのだから、そしてふたりはいつまでもしあわせに暮らしました、そう終わって全く問題ない。
 いつかは時の波濤が砂の城のような幸福を崩していくとしても、それはいまではない。だから、きょうはこの幸福をかみ締めよう。
 硝子窓の向こうから差し込んでくる朝陽と、からだの内側からわきあがってくるふしぎなやわらかな幸福感に包まれながら、ぼくはゆっくりと、女の子の歩幅で、その道を歩いていったのだった。

(END) 



 あとがき

 そういうわけで、一応、終わりました。予定枚数を七十枚下回っての完結なので、これから加筆修正は不可欠であるわけですが、それにしても、半月で一作書き終えちゃった。いや、終盤のほう、ぐだぐだですね。ハッピーエンドすぎて余韻がないのはどうしよう。うーん。

 まあ、未熟な作品ではありますが、作者的には、わりと愛着がある出来になりました。叙述トリックとか、どうなんだろ、だまされてくれたひといるのかな? どこかの新人賞に送る予定なのですが、その際には「読者への挑戦状」を挟むかもしれません。うひー。

 まあ、あまり余計なことを書かないほうがいいか。これから、頑張って加筆修正します。例によって、ひと言でもいいのでウェブ拍手で感想などいただけるとうれしいです。いや、じっさいどれくらいの出来かさっぱりわからないので。少しはおもしろいのかな?

 ではでは。海燕でした。