『リバースディテクティヴ』第五章。


 第五章「第四の事件」

 いまから二〇〇年前、はるかな大英帝国の話、『チャイルド・ハロルド』で認められた詩人のバイロン卿は、その成功を、「ある朝目ざめると、有名人になっていた」と語ったそうだ。ぼくはいま、そのバイロンの気もちが、ほんの少しだけわかるような気がする。なぜなら、ある朝目ざめると、ぼくもまた有名人になっていたからだ。
「おはようございます」
 いつものように晴香といっしょにドアをあけ教室のなかへ入っていくと、クラスメイトたちが一斉にぼくたちの方を見た。それまでざわめいていたクラスが静まり返る。
「えっと。何でしょう?」
 まさか、正体がばれたのでは。
 内心であわてふためきながら、何とかこわばった笑顔を浮かべると、クラス中にわっと歓声が上がった。その場にいた全員が一斉にぼくのほうに押し寄せてくる。わ、何事だ、いったい?
「聴いたよ、薫ちゃん。あの音夢の野郎をいい負かしたんだって」
「偉くかっこよかったって話じゃん! 転校してきたばっかりなのに、やるねえ」
「いま、皆でかおるんの噂話していたところなの。かおるん最高、って」
 待て待て待て待て。いつのまにぼくはかおるんになったんだ?
 いや――だいじなことはそこじゃない。どうやら、きのうのプールサイドの出来事が、ずいぶん尾ひれが付いたうえで広まっているらしいということだ。話を聴くかぎり、ぼくが音夢をいいくるめたうえで打ち負かしたことになっているらしい。
 じっさいには、全然そんな展開じゃないのに。ただ、ぼくがまぬけな言葉を口にして、呆れた音夢が去っていった、それだけなのに。
 それでも、クラスのなかで、ぼくはヒーローに祭り上げられていたようだった。
 よほど、音夢はきらわれているのだろう。
「ささ、薫姫、こちらの席にどうぞ」
「ぜひ、そのときの話を聴かせてください」
「ずっと薫ちゃんが来るのを待っていたんだよ」
 ぼくは仕方なくじぶんの席に座った。だって、座るしかないじゃないか?
 そして、なぜか目をきらきらさせてぼくの話を待ち望むクラスメイトたちに、じっさいの話を聴かせてやった。本当は少しもドラマティックではなかったのだということ、べつに音夢をいい負かしたわけではないのだということを、懇切丁寧に説明したつもりだ。
 それなのに、なぜか、彼女たちは全くべつの解釈をしたようだった。
「かおるん、すごい!」
「じぶんを叩け、なんてなかなかいえるものじゃないよ!」
「やっぱり薫ちゃんは2―Aのアイドルだね!」
 どうしてそうなる?
 ぼくは肩を落としながら、生返事を返した。褒められて嬉しくないわけではないが、この場合、どう考えても見当外れの評価だとしかいいようがない。
 そのうち、沙耶先生が入ってきて、喧騒はようやく静まった。
 まだ真新しい教科書を開きながら、ぼくは思った。ま、いいや。どうせ皆ぼくをからかって遊んでいるだけなんだ。放課後になればもうこの話題も忘れられているだろう。
 そうはならなかった。
 その日、その噂は、教室の外へ、学校中へ、さらに尾ひれ背びれがついて、広まっていったのである。その日の放課後には、ぼくはカフェテラスで見しらぬ少女たちに取り囲まれることになった。
「春日先輩! きのうはご活躍だったんですね!」
「わ、可愛い。可愛いうえに勇気もあるんですね。すごいなあ」
「そんなのあたりまえじゃない。先輩はわたしたちとは出来が違うの」
 もう苦笑するしかなかった。
 オーバーナイト・センセーション――ぼくは、どうやら、たった一日で学園の有名人になってしまったようだった。それだけ音夢が横暴の限りをつくしてきたということなのだろう。だれか、彼女に対抗するヒーローが必要で、ぼくはその役にぴったりあてはまってしまったらしい。悔やんでも仕方ないが、もっと冷静に行動するべきだった。とほほ。
「薫ちゃん、すごいね。転校してきてたった三日で、もう学園の有名人だよ」
 晴香の言葉に、ぼくは頭を抱えた。
 べつに有名人になんてなりたくもなかったのに、どこでどう間違えたんだろう? 男だった頃はここまで目立つこともなかったのに、女になってからあっというまに注目の的になってしまったのは、どういうわけなんだ? 困るんだけれどなあ。
 いや――
 あるいは、これはこれで幸運かもしれない。ぼくに注目が集まっていれば、殺人鬼も、いつもぼくといっしょにいる晴香を狙うことがむずかしくなるだろう。しかし、それにしても、見しらぬ少女たちがこちらを見てひそひそと笑いさんざめくのには慣れなかった。
「よ、薫」
 ぼくが暗い顔でお茶を飲んでいると、いつものように神出鬼没の生徒会長があらわれた。かたわらには望を連れている。このふたり、本当に仲がいいなあ。
「どうしたんだよ、学園のアイドルが、やけに暗い顔をしているな」
「そのことです。何でわたし、こんな注目の的になっているんでしょう」
「そりゃ、あたしが解説してまわっているからさ」
「――やっぱり」
 ぼくはさぞ恨みがましい目つきで見つめていたと思う。しかし、由佳はそんなもの羽毛で撫でられたほどにも気にしていないようすで、意地の悪い笑顔を浮かべた。
「いや、あたしは事実しか伝えていないよ? 多少脚色は混じっているかもしれないけれど、うそは吐いていないもんね。それでこんなふうになっちゃうんだから、いやあ、真実の力って怖ろしいなあ」
「恨みますよ、もう」
「いや、いいね、その上目遣い。ぞくぞくしてくる。美人に睨まれるのは大好きさ」
 深くため息を吐く。このひとに何をいっても無駄だ。
「その件なんですが」
 といいだしたのは望だった。
「わたくし、薫さんに渡す手紙を預けられていますの。読んでくださいますか?」
「ぼくに?」
「はい。どうぞ」
 渡された手紙は、白い、少女趣味の装飾が施された封筒に入っていた。ぼくはその場で封をあけ、中身を読んで――そして、絶句した。
 ラブレターだった。
「中身あててやろうか。あなたをお慕いしています、とかそんなことが書いてあるだろ」
 生徒会長が笑いながらいう。
「え、ええ。でも、わたし、女の子ですよ?」
「女の子だから好きなんだろ。いままでそういうのもらったことないか? あんたくらいの美少女なら、いくらでももらってそうだけどなあ。送り主の性別はともかく」
 実のところ、男だった頃にとなりのクラスの子に告白されたことならある。しかし、その頃は晴香のことしか考えられなかったので、断った。しかし、これは――
「どう対処するべきでしょう?」
「放っておけば? どうせ軽い気もちだよ。そうだろ、望」
 望は肩をすくめた。
「それなりに可愛い子ですわ。いちどお逢いになってみたら?」
「考えておきます」
 ぼくは咳払いした。
 女の子に好かれて嬉しくないわけじゃないけれど、何というか、その、複雑な気分だ。
 と、そのとき、カフェテラスの向こう側から一群の女子生徒がこちらに近づいてきた。その集団の先頭を闊歩する少女と目が合う。
音夢だ」
 由佳がささやく。
「何か因縁を付けてくるかもしれないが、あいてにするなよ」
 もちろん、そのつもりだ。ぼく個人は彼女に対して何の恨みもないんだから。
 しかし、音夢のほうは事情が違うようだった。彼女はわざわざぼくのまえまで近寄ってくると、皮肉そうに頬をつり上げながら、話しかけてきたのである。
「奇遇ね」
 ぼくは周囲を見回し間違いなくぼくにいっているのだと確認してから、頷いた。
「そうですね」
「あなた、春日薫とかいうんですってね」
「はい」
「調子に乗らないほうがいいわよ。あなたひとり退学にするくらい簡単なことなんですからね」
「はい。気をつけます」
 なるべく好意的に微笑みかけると、音夢はなぜかひるんだように見えた。
「いい気になるなっていっているのよ。あんたなんか、ちょっと顔が綺麗だからちやほやされているだけなんだからね。いざとなったら、だれもあんたの味方なんかしてくれないんだから」
「はい。ご忠告ありがとうございます」
 音夢の頬がいっそうひきつった。
「そうやって、のらりくらりとごまかして終わらせるつもり?」
「ごまかしているつもりはありませんけれど、そういう印象を与えたのなら謝ります。ごめんなさい」
 なるべく柔らかくいったつもりだったが、なぜかその言葉は音夢の気に障ったようだった。彼女は右手でテーブルを叩いて大きな音を上げたのである。周囲の注目がぼくたちに集まる。しかし、音夢はそんなこと気にも留めていないようだった。ぼくを睨む。
「憶えてらっしゃい。必ずわたしに逆らったことを後悔させてみせるから。必ずよ」
「逆らったりしていませんけど?」
 ぼくはそういったが、たぶん、音夢の耳には届いていなかっただろう。彼女は足音も高らかに去っていってしまったからである。
 困った。関係を修復しようと思っていたのに、なおさら怒らせてしまったみたいだ。どうしてこういうことになるんだろ。何だか落ち込むなあ。
「よし!」
 由佳がぼくの肩を叩いた。
「よくやった、薫。あの音夢をあっさりあしらうとは、やるなあ」
「あしらったつもりなんてありません。わたしは仲良くしたかったんですけど、何だかきらわれちゃったみたいですね」
「仲良く――? あんたもそうとうずれているな」
 由佳は首を傾げつつ頭をかいた。
 そんなにおかしいことをいっただろうか? ぼくとしてはこれ以上、面倒ごとを増やしたくなかったのだ。ただでさえ、正体不明の殺人鬼に狙われる幼なじみを守らなくてはならないというのに、さらに敵を増やしたりするつもりはない。
 しかしまあ、向こうのほうでぼくを敵とみなしたのならどうしようもないけれど。
 落ち込むなあ。
 それにしても――
 このラブレター、どうしよう。

                   ◆

 忘れてはならない。
 ぼくはこの学園に、女子高生生活を楽しみにやってきたわけじゃない。
 あくまで、ぼくの目的は殺人鬼を探し出し、その目的を阻止することなのだ。そして、アズハルの言葉を信じるならば、紛れもなく殺人鬼は既にこの学園のなかに入り込んでいる。それも、ぼくと同じように少女のからだに変身して。
 そしてまた、夏休み中に犯行の現場を見られている以上、殺人鬼が夏休み以前にこの学園に入り込んでいる可能性はない。となると、論理の必然として、容疑者は夏休み以降この学園に転校してきた四人に絞られる。ここまでは何度考えても間違いない。
 しかし――
 その四人は全員、過去につながる発言をしている。しかも、アズハルは四人ともうそを吐いてはいないという。つまり、四人全員が一種のアリバイを備えているのである。
 いったいどういうことだ?
 どこかで何かが間違えているに違いないのだ。しかし、それがどこかわからない。
 そうだ。たとえば、里美を襲った犯人がぼくらの狙う殺人鬼ではないとすればどうだろう? 全くの別人の犯行だとしたら? いや、だめだ。それなら、そもそも殺人鬼が晴香を狙う理由がなくなる。
 あるいは、アズハルがうそを吐いている? いや、それもありえないだろう。うそを吐けるのだとしたら、もっと効果的なうそを使ってじぶんを解放させているはずだ。ぼくを女の姿にして女子校に導いてかれになんの得がある?
 わからなかった。お手上げだった。
 仕方ないから、ぼくはその夜、アズハルを呼び出してひとつずつ確認することにした。
 トイレに呼び出された魔人は、いつにも増して愉快そうだった。ぼくが解けない謎をまえにして困惑しているのが嬉しいのだろう。本当に性格の悪い奴。何があっても解放してやったりするものか。
「アズハルよ」
 ぼくはささやいた。
「晴香を狙う殺人鬼はいま少女の姿で学園に潜入している。これはたしかだな?」
「そうとも、わが主人よ」
 アズハルは余裕たっぷりの態度で頷いた。
「それは晴香が夏休みに目撃した殺人鬼だ。これも間違いないな?」
「いかにも」
 つまり、夏休みに晴香が目撃した殺人鬼が、少女の姿になってこの学園にもぐり込んでいる。そこまではたしかなわけだ。となると、容疑者はやはりあの四人しか考えられない。いや、里美は被害者だから、のこるは三人か。このうち、望と芳子は、ぼくは親しく話している。とても凶悪な殺人鬼とは思えない人柄の少女たちだ。
 と、なると――
 犬吠ひとみ。
 彼女が最も怪しい。
 しかし、彼女は高名な犬吠グループの令嬢だというのだ。どう考えても殺人鬼の成り代わった姿ではありえない。どういうことだろう?
 ぼくはアズハルを睨みつけた。
「お前、本当にうそは吐いていないんだろうな?」
「当然だとも。もしうそを吐けるのだとすれば、だれがお前に不都合な情報を漏らしたりするものか。とっくの昔にお前を騙して自由になっているわ」
 それは、たしかにその通りなのだ。しかし、アズハルのいっていることがすべて真実だとすると、どうしても矛盾が生じる。どこかで何かピースを嵌め間違えているのだ。しかし、それがどのピースなのかわからない。
 アズハルは低く笑った。
「わが主人よ、ひとつ教えてやろう。お前はひとつ勘違いをしている。すべての情報を正しくあてはめれば、何も矛盾は生じない。それはお前の頭のなかで発生しているだけなのさ」
 ぼくはアズハルの爛々と輝くひとみを見つめた。
「当然、どこで勘違いしているのか教えるつもりはないんだろうな」
 ランプの魔人はうやうやしく一礼した。そうだろうと思ったよ。
「ただ」
 と、アズハルはなにか重大な秘密を告白するようにいった。
「もしお前がおれを解放してくれるというなら――そうするなら、おれ自身がその殺人鬼をたおしてやると誓おう。それだけではない。お前が望むものすべてをくれてやるぞ。富も、栄光も、女も――そうだ、晴香の心もくれてやる。どうだ? お前はひと言、「ジンよ、お前を解放する」といえばいいだけなのだ。それですべてが手に入るのだぞ。このおれが誓いを破ることができんことは知っているだろう?」
 それは、甘い誘惑であるはずだった。しかし、ぼくはまるで心が動かなかった。何があろうと、このランプの魔人を解放してはならない。ひとたびかれを解放したなら、殺人鬼どころではない災厄を世界にもたらすだろう。
 沈黙したぼくに向かい、魔人は舌打ちした。
「そうか。お前、まだ〈あのこと〉を恨んでやがるんだな。あれはおれの責任じゃない。おれは呪いの〈猿の手〉じゃないんだ。あえて運命を弄ぶようなことはせん」
「わかっている。消えろ」
 アズハルはしばらく深刻な怒りと憎悪を込めてぼくのことを睨んでいたが、やがて、ランプのなかに消え去っていった。
 そうだ。わかっている。あの事件はアズハルの責任ではない。むしろ、ぼくの責任というべきだろう。しかし、だからこそ、ぼくはアズハルを解放するわけにはいかなかった。自分自身の望みのために世界に災厄をもたらすことはできない。
 決して。
 しかし――ぼくが勘違いをしている? どこで間違えているというんだろう? どこかにトリックがあるのだろうか? いったいどこに?
 思考は堂々巡りをくり返すばかりで、一向に先に進もうとしなかった。しかし、実はこのとき、現実のほうはぼくの思い込みをおいてきぼりにして先へすすんでいたのだ。
 この夜。
 犬吠ひとみが何者かの手にかかり殺害されたのである。

                   ◆

 翌朝。
 ぼくがこの学園に来てから四日目の朝。
 いつものように朝の準備をし、寝ぼけている晴香にきちんと服を着せ、朝食を採ろうと学食に向かったときに、何かがおかしいと気づいた。一年生寮の辺りで人だかりがあり、何かさわぎが起こっているのだ。泣き崩れている女子生徒のすがたも見つかる。しかも、何だ、あれは――警察官? まさか――
 そのとき、ぼくの顔はさっと青ざめていたと思う。何が起こったのか、否応なく悟らざるをえなかったからだ。
 あいつだ
 あの殺人鬼が事件を起こしたに違いない。
 おそらく――
 第三の殺人事件を。
 ぼくは一年生寮の玄関に駆け寄り、その場で泣き崩れている少女に声をかけた。
「どうしたの?」
 彼女は泣きはらした目でぼくを見上げた。
「犬吠さんが――」
「犬吠さんがどうしたの? はっきり教えて」
「亡くなったんです」
 ああ――
 ぼくは、思わず頭を押さえた。
 気持ち悪い。
 世界がぐらぐらとゆらぐ。
 このまま、アスファルトに倒れ込んでしまいそうだ。
 防げなかった――殺人鬼がこの学園に潜んでいると知りながら、三人目の犠牲者を生むことを防げなかった!
 何て、愚かな。
 何て、罪深い。
 ぼくは――
「しっかりして、薫ちゃん!」
 気づくと、ぼくは晴香に肩を支えられていた。そのいつもはどこか霞がかったようなひとみが、いつになく真剣にぼくを見つめている。それで、ぼくはようやく正気を取り戻した。そうだ、まだ晴香がいる。ぼくは晴香を守らなければならないんだ。そう思った。
「大丈夫? 保健室行く?」
 心配そうに覗き込んでくる彼女にむかい、ぼくはひとつ頷いた。
「もう大丈夫。ちょっと、その、気が動転していただけ。ねえ」
 ぼくは下級生のひとみを正面から覗き込んだ。彼女が一瞬、動揺すら忘れてぼくに見惚れるのがわかる。
「犬吠さんはどうして亡くなったの?」
「わかりません。犬吠さんのへやに近づいちゃだめだっていわれていて。でも、警察が来ているってことは――」
 そうだ。
 犬吠ひとみは殺されたのだ。
 それしか考えられない。
 ぼくは必死になって考えた。
 晴香を殺すためこの学園に侵入したはずの犯人が、なぜ、べつの殺人を犯したんだ? あるいはその呪われた残虐な殺人衝動を抑えられなくなったのだろうか? それとも、何かべつの理由があるのか? わからない。情報が少なすぎる。しかし、ひとつだけいえることがある。アズハルの話はやはりうそではなかったということだ。紛れもなく、殺人鬼はこの学園に忍び込んでいる。そして、遂にひとり目の犠牲者を生み出した。ふたり目を出してはならない。
 ぼくが防ぐんだ。
 周囲を、あきらかに警官と思しい服装の人たちが歩きまわっていた。ぼくは声をかけて事情を訊きだそうかと思ったが、どうせ話してくれるはずもないのでやめた。
 それにしても、犬吠ひとみ、綺麗な目をした少女だった。あの少女を無残に殺したというのか。許せない。だれが犯人であるとしても、必ず狩りだし、裁きの場に連れて行ってやる――。そう考えた。
 晴香とふたり無言のまま歩き、教室に入ると、やはりそこは騒然としていた。
「ね、ね、春日さん。聴いた? 一年の子が殺されたんだって。しかも、寮内で。信じられない。怖いよ」
 ぼくのところに駆け寄ってきてそういう少女の目には、好奇と恐怖が等分に浮かんでいるように見えた。どこか遠くで起きた事件ではないのだ。それは怖いだろう。
 ぼくはその少女にあいまいな返事を返して、じぶんの席に座った。となりの晴香が沈んでいるようすなのが気にかかった。一応は面識がある人間が死んだ、それも殺されたと思しいのだ。ああ見えて繊細なところがある彼女にはショックが大きいだろう。
 そうするうちに、教室のまえの扉がひらいて、沈痛な表情の沙耶先生が入ってきた。ふだんは優雅なほどなめらかな物腰のひとなのだが、きょうは何だかぎくしゃくしている。 生徒たちが駆け寄ろうとするのを片手で止めて、彼女はいった。
「皆さん。お知らせしなければならないことがあります」
 そして、いいづらそうに一拍置く。
「もう知っているひとが多いでしょうね。二年の犬吠ひとみさんが亡くなられました」
 教室内がざわつく。
 沙耶はあえてそれを止めず、自然に静まるのを待った。彼女は賢かった。無理に止めようとしていたらパニックがひろがっていたかもしれない。そのうち、ひとりまたひとりと喋るのをやめ、クラスは静まりかえった。しんと張りつめた緊張を孕んだ静寂。
 沙耶はひとつ嘆息した。
「隠せないと思うから、いってしまうわね。犬吠さんは、何者かに殺害された可能性が高いということです。いま、警察の方がいらっしゃっています。もし話しかけられたら、礼を失しないよう対応すること。余計なことを喋ったりしないこと。以上です」
 それでは、やはり、殺人だったのだ。
 やはり、〈あいつ〉の仕業に間違いないだろう。それにしても、四人の容疑者のなかのひとりが殺されるとは、どういうことだろう? これで、のこる容疑者は三人になったわけだが――
「薫ちゃん」
 となりの席から晴香が手をのばしてきた。
「わたし、怖いよ」
 ぼくの服の袖を掴んだその指がかすかにふるえている。ぼくはいいようがないいとおしさに駆られて、その手を握りしめた。
「大丈夫。晴香ちゃんはわたしが守るから。それに、警察がきっと犯人を見つけ出すよ」
 しかし、警察には期待できないかもしれない。かれらは〈月のランプ〉の存在を知らないのだから。やはり、ぼくが犯人を見つけ出すよりほかないのだ。
 既に三人の犠牲者を生み出した殺人鬼を。
 その日は、それから校長の訓示があって、くれぐれも混乱に陥らないよう諭されたが、そんな言葉は何の意味もなかった。だれもが暗い顔をして事件について語った。完全密閉された学園内で殺人事件が起こったのだ。当然だろう。
 いまや、学園内には警察関係者らしい男たちが歩きまわっていた。この学園に男性が入るのは、何年ぶり、いや、何十年ぶりかもしれないという話だった。いや、正確にいうならぼくやあの殺人鬼がそのまえに侵入しているのだけれど。
 のこる容疑者は三人。芳子、望、里美。このなかに真犯人はいるのだろうか? それとも、ぼくが容疑者をこの三人に絞ったことじたい間違いだったのだろうか?
 いつまでも真相に近づけぬまま、日ばかりが過ぎ去っていく。

                   ◆

 そして、何もなしえないまま時は過ぎ去り、その日もまた夜を迎えた。
 その日一日、学園内は大騒ぎだった。だれもが犬吠ひとみの事件について語りあい、その死を嘆いた。嘆きの言葉が型通りだったのは、まだ転校してきたばかりで、友人も、顔見知りも少なかったという事情が絡んでいるだろう。そして、そこにかくしきれない恐怖が滲んでいたのは、この学園内に殺人者がひそんでいることが確認されたから。
 そして、どこからともなく殺人現場のようすが伝わってきた。それはいま巷を騒がせる連続殺人鬼の手口とよく似ていたという。心臓に刃を滑らせるようにして一撃で仕留める手口だ。この学園に、その事件の被害者と目撃者がいることは警察にも偶然とは思われなかったのだろう。晴香と里美はいっしょに警官に呼び出されて事情聴取された。きびしい尋問が行われたのかもしれない。晴香は憔悴したようすで帰ってきた。
 ぼくはなるべく優しく声をかけることくらいしかできなかった。
 ぼくは無力だ。
 いや――いまは打ちひしがれている場合じゃない。一刻も早く殺人鬼を見つけ出し、その犯行を永遠に止めるのだ。それがぼくにできる被害者への唯一の手向けだ。
 そのためにいまできることは、アズハルから可能な限りの情報を引き出すことだった。いまのところ、話を聴けば聴くほど混乱が増していくように思えるが、それでも聴かないわけにはいかない。アズハルはすべての真相を知っている。かれから情報を得ることは捜査に有益なはずなのだ。
「混乱しているようだな、わが主人よ」
 魔人はいつものように尊大に笑った。
「無理もない、こう易々と殺しを行われてはな。つぎはお前の姫の番かもしれないな」
 ぼくはアズハルの挑発には乗らなかった。あるいはかれは、こうやって戯言を口にすることでぼくを真相から遠ざけようとしているのかもしれない。その手には乗るか。
 この際、直截なことばで攻めてみるか。
「アズハル、偉大なランプの魔人よ、教えてくれ。犯人はだれだ? そして、どうして犬吠ひとみを殺さなければならなかった?」
 アズハルはその炯々とかがやく目を不審そうに細めた。
「どうした? きょうはえらくずばりというな。お前には既に教えてやったではないか。おれには犯人の名前を教えることは許されていないと。ここまで匂わせてやっているだけも随分親切なことなのだぞ」
「そのことは感謝している。しかし、お前の話は聴けば聴くほど混乱するばかりだ。もうすこしわかりやすいヒントはないのか? それさえ知ればすぐに犯人にたどり着けるような――」
「どうした、わが主人よ」
 アズハルはそのなめらかな頬に皮肉な冷笑を浮かべた。
「ずいぶん焦っているようではないか。たいして親しくもない小娘がひとり殺められたからといって、そう気にすることはあるまい? お前の大切な晴香が犠牲になったわけではないのだ。むしろ容疑者が減ってよかったではないか」
「やはり、転校生四人のなかに殺人鬼がいるのか? いや――ひとみは殺され、里美は殺されかけるところを見られている。ということは、望か芳子、そのどちらかが犯人なんだな。そうだろう?」
「さあな。お前がそう思うなら、そうかもしれん。が、おれとお前の仲だ。もうひとつだけヒントをくれてやろう」
 そして、アズハルは決定的な言葉を口にした。
「お前は既に犯人と出逢っている。犯人はお前の知り合いのなかにいるということだ」
 と。
 そして、額に汗をにじませたぼくを嘲るように笑った。
「悩め、悩め。いままでの物語の登場人物を思い出してみるがいい。由佳、望、里美、芳子、それに音夢、あるいは沙耶、あるいは級友たち――さて、だれが犯人かな? 意外や意外、お前の愛する晴香こそ殺人鬼かもしれんぞ!」
 ぼくは血がにじむほどつよく唇を噛みしめた。
「ばかばかしい。晴香は昨夜、ずっとぼくといっしょに眠っていた。ひとみを殺せるわけがない」
「夜中に抜け出さなかったといえるかな? 昨夜はお前も疲れていたはずだ」
「晴香は犯人を目撃している! 警察で証言すらしている! 犯人のはずがない!」
「お前が晴香と呼んでいる少女は既に殺されているかもしれんぞ? 殺人鬼が入れ替わっているのかも?」
「くだらないぞ、アズハル! いくら姿がおなじでも、ぼくが晴香と別人を見誤るはずがない! そもそももしそうならそもそも犯人がこの学園に入り込んでくる理由がないだろう! 犯人は晴香の命を奪うためにこそこの学園に忍び込んだんだからな!」
「その通り」
 アズハル、〈太陽のランプ〉の邪悪な魔人は低く、愉快そうに笑った。
「お前の心の平安のために保障してやろう。晴香は犯人ではない。犯人がいれかわっているわけでもない。紛れもなく、あの晴香はお前が愛している少女だよ」
「あたりまえだ」
 ぼくは息が荒くなっていることに気づいた。
 アズハルがぼくのことをからかって遊んでいるだけだということはわかっている。しかし、それでも晴香を疑うようなことをいわれて平静ではいられなかった。
「あたりまえだぞ、アズハル」
 それにしても――殺人鬼はぼくの知り合いのなかにいる? これは重大なヒントだ。いよいよ、犯人の可能性は限られてきた。やはり、怪しいのは望と芳子だろう。というか、理屈で考えればそのふたり以外には考えられないのだ。
 望か?
 それとも芳子か?
 正解がそのいずれだとしても、ぼくは心に傷を負うことだろう。いまや友人といってもいいくらい親しく付き合うようになったふたりである。そのどちらかが犯人だとしたら、ぼくはもう、人間を信用できなくなるかもしれない。
 しかし――それしか考えられないのだ。
「疑うがいい」
 アズハルの毒のしたたりにも似た言葉が耳にとどく。
「精々疑って、真犯人を見つけ出すがいい。忘れるな、お前は男のすがたに戻るためにも犯人を見つけ出さなければならないのだ。もっとも、そろそろ女のすがたにも慣れたのではないか? 案外そちらのほうが快適かもしれんな」
「消えろ!」
 ぼくが怒鳴ると、アズハルはひとつ肩をすくめ、ランプのなかに消え去っていった。
 こうしてぼくは転校以来四日目の夜を終えた。

(第六章に続く)

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