『リバースディテクティヴ』第四章その一。


 第四章「事件」

 翌日。
 さすがに二日も寝不足がつづくと、からだが辛い。ぼくはその日の前半をうとうとしながら過ごした。周囲は、転校したてで気疲れしているのだろうと見てくれたし、幸い、学業にかんしてぼくに不安はない。だから、特にそれで目を付けられたわけではないと思うけれど、晴香を守るために入学したはずの身が、このありさまでは情けなかった。いつ殺人鬼がそのかくした牙をむき出しにして襲いかかってこないとも限らないのに。
「ね、晴香ちゃん」
 放課後、学内のカフェテラスで、ぼくは晴香にせがんだ。
「もういちどあの話を聴かせてくれるかな? あの事件の話」
「いいけれど、何で?」
「だって、気になるの。晴香ちゃんが殺人事件に巻き込まれたなんて――」
「殺人事件じゃないよ。里美ちゃんは殺されずに済んだんだもの」
 晴香は平然といった。
 警察で何度も話しているからだろう、すらすらと要領よく話しはじめる。
「きのうもいったけれど、日は夏休みに入ったばかりの七月二七日。場所はT公園っていう小さな公園。もう日暮れ時だったな。わたし、ちょっと用があって、その公園のまえを通ったの。そうしたら、小さく、何かがぶつかりあうような音が聴こえてきたんだ」
 ミルクをたっぷりいれたアイスコーヒーを、それでも苦そうな顔をして飲みながら、晴香は続けた。
「で、何となく公園のなかに入っていったら、その奥の、トイレの死角になっていてそとからは見えにくいところで、男の人と女の子がもみ合っていたの。わたし、一瞬、ぼうっとしちゃったんだけれど、そのとき、里美ちゃんが助けを呼んで、って叫んだから、走って近くの男の人に助けを求めたの。そうして、その場所に戻ったら、犯人はもう逃げ出していて、のこっていたのは気絶した里美ちゃんだけだったってわけ。すぐに警察に連絡したから、警察は包囲網を敷いたけれど、でも、犯人はもうどこにもいなかったの。ふしぎだよね。顔も見られているし、そんなに遠くに逃げられるはずはずもないのに」
 〈月のランプ〉だ。
 犯人は〈月のランプ〉の力を使ってどこへともなく消え去ったに違いない。警察がどんなに監視していようと無駄だ。あのランプの神秘の力は、そんな現世の力を超越しているのだから。
「晴香ちゃんは警察で里美ちゃんと協力して似顔絵を描いたんだよね。そんなことして、平気なの? 犯人に怨まれたりして危ないんじゃないの?」
 ぼくが訊くと、晴香は一笑した。
「やだ、薫ちゃん。犯人がわたしのことを知っているはずないよ。それに、似顔絵もどれだけ似ているかわからないよ。わたしが犯人の顔を見たのは一瞬だったからね」
 そうじゃない。
 犯人の手もとには、何でも教えてくれる魔法のランプがあるんだ。
 余程、ぼくはそういってやりたかった。しかし、いえるはずもないし、いっても無駄なことだった。ぼくは唇をかみ締めて、続きを促した。
「それで? それでどうなったの?」
「うん、きのうもいったように、だからわたしは平気だけれど、いちど犯人に狙われた里美ちゃんは危ないよね。それで、ご両親と相談して、この学園に転校してくることになったみたい。ここなら、男の人は絶対に入って来れないから、完璧に安全だよ」
 そうじゃないんだ。
 犯人は、既にこの学園に潜入して、きみの命を狙っているんだよ。それも、だれにも疑われない少女のからだに変身して。だから、きみは安全じゃないんだ。いまも最悪の危険の真っ只中にいるんだよ。
 しかし、もちろん、それも告げるわけにはいかない。だから、そのかわりに考えた。
 晴香が犯人ともみあっているところを見ている以上、里美が犯人が化けた姿である可能性はゼロだ。となると、のこる容疑者は三人。しかし、その三人も、過去にごまかしようがない経歴をもっている。あるいはもしや、犯人はランプの力を使い、その三人のいずれかと入れ替わり、経歴まで引き継いでいるのだろうか? それもまた、女性の姿に変身することには違いない。いや、アズハルは四人の容疑者は全員が真実を語っているといっていた。
 となると――どうなる?
 そのとき、ぼくの脳裏に閃く考えがあった。まさか――いやしかし、もしかしたら――
 そうだ。きのうの会話を思い出してみろ。あの四人のなかで、里美だけはじぶんで過去を話していないじゃないか。すべてを語ったのは晴香だ。里美だけはうそを吐かずにじぶんの過去を語らずに済ませたことになる。ということは、里美にだけは殺人鬼が入れ替わっている可能性があるということではないだろうか。あるいは、本物の里美は既に殺されていて、どこかに埋められているのかもしれない――!
 犯人が何のためにそんなことをしたのかはわからない。しかし、ほかに考えられる可能性はないように思えた。いやしかし、そんなことが――
 ぼくは深く嘆息した。
 犯人の顔がわかっているのに、その人物を特定できないなんて、こんな不条理な事件があるだろうか。しかし、仕方ない。元々不条理な力がかかわる事件なのだし、ぼく自身、その力を使ってこの学園に潜入しているのだ。そこに文句をつけても仕方ない。
 どんな手を使ってでも、殺人鬼を見つけ出すしかないのだ。
「よ、おふたりさん」
 内心、不安と混乱を抱えながらも、晴香とふたり談笑しているぼくのまえにあらわれたのは、またしても水上由佳だった。その手にはアイスカフェオレが入ったトレイがある。彼女は、許可も得ずにぼくたちのとなりに座った。スカートなのに、大股開きだ。
「水上さん、そんな座り方だと、その、下着が見えますよ」
 ぼくが注意すると、由佳はいつものように少年の笑い声を立てた。
「だれが見てるっていうんだよ。この学園には男はいないんだぜ? ま、男にだって見せてやったってかまわないけどな。あたしの下着なんてありがたがる男はいないだろ」
 そんなことありませんよ、とぼくはいっていやりたかった。あなたは男という生き物を理解していません。それに、ここにもひとり、年頃の男の子がいるんですけど。
「で、おふたりさん、こんなところで何をたそがれているんだ? お暇なようなら、プールでも行かないか?」
「プール? 水泳部が使っているんじゃないんですか?」
 ぼくがびっくりして訊くと、生徒会長は愉快そうに微笑んだ。
 ほんと、ひとが驚くと嬉しそうになるひとだ。天性のいたずらっ子というべきか。
「豪勢なことにこの学校には二面プールがあるんだ。水泳部が使う競泳用プールと、一般生徒に開放されている遊戯用プール。これから行こうと思っているのは遊戯用プールのほう。ま、競泳用に比べるとちょっと小さいけどな。それでもけっこう楽しめるぜ」
「はあ」
「何だよ、生返事だな」
「プールへ行こうって気分じゃありませんから」
「何だよ? 転校したてで疲れているのかい? だったらなおさら、からだを動かして気疲れを吹き飛ばしたほうがいいぜ。泳げないわけじゃないんだろ? それにさあ、実はあたしもあんたのその悩殺ダイナマイトボディを見てみたいんだよ」
「悩殺ダイナマイトボディ……」
 ぼくは何だか恥ずかしかった。男だった頃には感じたことがない気恥ずかしさだ。スタイルのいい女性は、皆、この種の恥ずかしさを感じているのだろうか。それとも、ぼくが元々男だから感じるのか。とにかく、いやらしい視線でじろじろ胸を見ないでほしい。ぼくだって、好きでこんな胸をしているわけじゃないんだから。
「行こうよ、薫ちゃん」
 と、晴香。
「泳ぐの、楽しいよ〜。わたし、こう見えて、けっこう水泳得意。薫ちゃんが泳ぐの苦手なら、教えてあげるよ」
「ま、色気のないスクール水着しか着れないのはつまらないけどな。薫には布地の少ないビキニを着せてやりたいぜ。ぐへへへへ」
 由佳はわざとらしくよだれを拭う動作をしてみせた。
 きのうまで春日と呼んでいたのに、もう薫になっている。でもまあ、いいか。いくら犯人が凶悪でも、寸鉄ひとつ帯びるわけにいかないプールの中で晴香に襲いかかるはずがない。プールにいるうちは安全なのだ。
 それに、ゆらゆら水のうえで揺れているうちに良い考えが浮かぶかもしれない。
 ぼくはうなずいた。

                   ◆

 ぼくは痴漢でも覗き魔でもないし、そういうことをしたいと思ったこともない。しかし、ここ数日、ぼくが着替えやお風呂のたびにやっていることは、それ以外の何物でもないのではないか、と思えてならない。それも、こんなに堂々とした痴漢はありえないというくらい堂々と、正面から覗いているのである。重罪ではないだろうか。
 こんなことをいいだすのは、いままさに屋内プールの更衣室で、半裸の、あるいは全裸の少女たちに囲まれて着替えをしている最中だからだ。なるべくその姿を目にいれないようにはしているのだが、どうしても目に入ってしまう。そのたびに、ぼくのかよわい心臓はどくんどくんと激しく脈打つのだった。
 正直にいおう。ぼくだって女の子の裸に興味がないわけじゃない。思春期真っ盛りの男の子なのだ。当然だろう? でも、こんな卑怯な手段で覗き見ることは正しくないと思うし、ぼくは性犯罪者にはなりたくない。しかし、そういう我ながら高邁な考え方にもかかわらず、じっさいには、ぼくは大量の裸身を目にしてしまっていた。ひと口に女の子といっても、いろんな体型の子がいるものだなあ、と感慨を抱くくらい、たくさん。
 何だか自己嫌悪に陥りそうだ。
「何もたもたしているんだよ、薫」
 じぶんは既に着替えてしまった由佳が、ぼくを急かした。
「さっさと着替えて行こうぜ。水着の女の子たちがあたしたちを待っているぜ」
「もう、どうしてそんなに意気揚々としているんですか」
「そりゃ、あたしは女の子大好きだからね。だから、生徒会長なんてやっているようなもんさ。愛する少女たちに奉仕することこそわが喜び。あ、奉仕っていってもいやらしい意味じゃないからな。勘違いするなよ」
「しません!」
 本当に、話していて退屈しないひとだ。
 しかし、たしかにこれ以上、彼女を待たせるのはまずい。さっさと着替えてしまおう。
 そう思ったとき、ぼくはひとりの少女に視線を留めた。いままさに服を脱ぎ、下着姿になったところだ。そのスレンダーなからだつきはそれはそれで魅力的だった。
 ぼくは思わずその名を呟いていた。
「蒲原さん」
 それは、あの蒲原芳子に間違いなかったのである。

(続く)

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