『リバースディテクティヴ』第三章。


 第三章「四人の容疑者」

「薫ちゃん、薫ちゃん」
 どこか遠くからかすかな声が聴こえてくる。
「おーい、薫ちゃん。しっかりせい」
 優しい、柔らかな女性の声。どこかで聴いたことがある。いったいだれの声だっただろう? そして、この涼やかな風はどこから吹いてくるんだろう? さながら草原を駆け抜ける涼風、あるいは海原を駆けめぐる旋風、いや、違う、そう、これは、亡くなった母が風呂あがりによくあおいでくれた団扇の風だ。いや――そんなわけはない。
 ハッとして目を見開く。心配そうに覗き込んでくる少女の顔が間近に見えた。晴香! 驚いて、反射的に立ち上がろうとし――そして、彼女とおでこをぶつけ合ってしまった。
「痛!」
「あいたたたたた」
 ぼくは起き上がりかけた身体をふたたび倒し、晴香はその場にしゃがみ込んで、たがいに痛みをこらえた。危ない、危ない、あやうく唇があたるところだった。ぼくはかまわないけれど、晴香のファーストキスをこんなところで奪ってしまうわけにはいかない。
 いや――
 そうじゃない。ここはどこだ? ぼくはいったい何をしている?
 あらためて見まわしてみると、そこは、全く見しらぬ一室だった。壁に面した大きなキャビネットのなかには薬剤らしい瓶がたくさん収められていて、デスクのうえには何枚かの書類が放置されている。ぼくはふたつある真っ白いベッドのうちのひとつに寝かせられていて、どうやら、晴香はそのとなりの椅子に座っていたようだ。
「あう、おでこ、ぶつけちゃったよ」
 彼女はおでこから手を離すと、恨みがましい視線でぼくを見つめてきた。
 ぼくが謝ると、よろしい、許してやる、と胸を反らす。その姿を見ているだけで、なぜか顔に血が上ってきて、ぼくは混乱した。あれ? 何だ、ぼく、何を考えているんだ? そもそもぼくはなぜここにいる? ここはたぶん保健室だと思うのだけれど――
「あら、気づいたのね」
 ぼくが思い悩んでいると、三〇歳くらいと思しい白衣の女性が扉をあけて入ってきた。たぶん、校医さんだろう。彼女は晴香のとなりまで来ると、ぼくのまえで指をのばした。
「これ何本?」
「え?」
「何本?」
「あ、はい、三本です」
「こっちの指は?」
「二本」
「ふむ、意識ははっきりしているようね。大丈夫? ふらふらしたりしない?」
「はい。大丈夫です。でも、あの――ぼく、いや、わたしはどうしたんでしょう? ここ、保健室ですよね? 何でわたしはここにいるんですか?」
 晴香がくすりと微笑んだ。
「寝ぼけているんだね。ぼく、だって。男の子みたい。薫ちゃんはあたしといっしょにお風呂に入っているときにのぼせてたおれたんだよ。保健室につれて来るの、大変だったんだから」
「お風呂?」
 そのとき――
 すべての記憶が一瞬でよみがえってきた。
 そうだ、ぼくは晴香といっしょにお風呂に入っていたのだった。それも、いちどに一○○名も入れるような寮の大浴場にふたりで漬かっていたのだ。ぼくの名誉のためにいっておくと、ぼくは覗き魔めいたことをする気はなかった。あとで、なるべくひとがいない時間帯にひっそりと入ろうと考えたのだ。しかし、晴香がどうしても一緒に入るといってきかず、ぼくは覚悟を決めざるをえなかった。この時点で相当追いつめられていたのだが、まだこのときは正気を保っていたと思う。そして、なるべくまわりのひとを目にいれないつもりで脱衣所に入っていった。なるべく真っ直ぐまえだけを見つめ、ほかの人の姿は、当然晴香の姿も、目にいれない、そういう作戦で行こうと思っていた。
 無理だった。
 そこには、その場からあふれんばかりの少女たちが集っていて、何の警戒心もなく、服を着たり脱いだりしていたのだから当然だ。そこには、彼女たちの体臭がむんむんとこもっていた。ぼくは下を向いて歩いたが、そうすると今度はひととぶつかった。いっそ目を閉じようとすらしたが、それでもなお、しゅるしゅるという衣擦れの音や刺激的な会話がきこえてくるのである。それは、間違いなくぼくの人生でいちばん誘惑的なシチュエーションだった。そして、そのなかでぼくはじぶんも服を脱いで裸にならなければならなかったのだった。まさに天国のような地獄だった。
 そして、そこから先は――
 ああ――
「ご、ごめんなさい」
 ぼくは両手で顔を覆った。照れくさくて晴香の顔をまともに見れない。
「本当に申し訳ありません。晴香ちゃんに迷惑かけちゃいましたね」
「いいんだよ、そんなこと。お友達だもん。でも、薫ちゃん、着やせするってよくいわれるでしょ? 胸、大きいんだね。うらやましいなあ」
「あう」
 そうなのだった。いままで気づかなかったのだが、変身したぼくの胸部は、その、アベレージと比べても大きいほうらしいのだった。そして、どちらかといえばあまりその部分に恵まれなかった晴香と比べると、それはもう歴然と大きかった。アズハルめ、何もそんなところで余計な力を使わなくてもいいのに。道理で重いし、よく揺れると思っていたんだ。ひょっとしたら、ぼくの選んだブラジャーが正しくないのかもしれないが、そんなこと、いったいどうしろっていうんだ? どうしようもないじゃないか。
 それにしても、困った。晴香の顔がまともに見れない。なるべく彼女の身体は見ないようにしていたのだけれど――ごめんなさい、正直にいう、ほとんど見てしまいました。
「ね、ほんとに大丈夫なの、薫ちゃん? ようすがおかしいよ?」
 晴香の言葉に、ぼくはなるべく平気そうに見えるように笑いながら、頷いた。
「大丈夫。その、わたし、あんなに大勢でお風呂に入るの初めてだったから、えっと、その、ちょっと興奮しすぎてのぼせちゃったみたい。ほんとにごめんね」
「そっか。うん、薫ちゃん、何だか恥ずかしそうにしていたもんね。うん、でも、大丈夫。あしたからもずっとお風呂はあるんだから、すぐに慣れるよ」
「――あしたからも?」
「うん。いくらわたしでも、お風呂は毎日入るよ。あしたは身体の洗いっこしようね、薫ちゃん」
 ぼくはふたたび気絶しそうになった。

                   ◆

 そして――多事多難だったその日もようやく終わった。
 寮全体が消灯時間を迎え、暗やみに包まれる。ふだんから寝つきのいい晴香は、あっというまにすやすやと眠りに就いてしまった。しかし、ぼくはこのまま眠り込んでしまうわけにはいかない。ぼくには、ひとつ、用事があるのだ。
 ぼくは、一通りの荷物が入ったバッグのなかから〈太陽のランプ〉を取り出すと、それを持ってへやのトイレにこもり、低く囁きかけた。
「アズハル、アズハル、〈太陽のランプ〉に宿る魔人よ、出てきてくれ」
 すると、ランプから一条の煙が立ちこめたかと思うと、ぼくの召還に応じ、魔人アズハルがそこに立っていた。場所が狭いトイレのなかなので、いつもほどの威容はない。どうやら、このジンは、必要に応じて身体のサイズを変えられるらしい。ふだん小さなランプのなかに封じ込められているのだから、当然といえば当然だけれど。
「おお、わが主人よ」
 アズハルは悪意ある微笑を浮かべた。
「先ほどは大変だったようだな。いや、いい目を見たというべきかな? もっとも、その身体では女を抱くわけにもいかんだろうから、さぞ欲求不満がたまったことだろう」
「アズハル」
 ぼくはジンの戯言を無視した。
「たしかめておきたいことがある。今朝、この学園には新学期からの転校生が四人いると聴いた。このなかに殺人鬼が化けた人物がいるんだな?」
「さて。どうかな」
 ランプの魔人はぼくの質問を鼻先で笑い飛ばした。
「それを教えてしまってはいささかゲームがおもしろくなくなるのではないかな? 少しはじぶんで考えたらどうだ?」
 ぼくは唇をかみ締めた。やはり、この魔人はぼくに殺人鬼の情報を教えるつもりはないのだ。ただ、ぼくを弄んで楽しんでいるだけなのかもしれない。しかし、いまのところ、ぼくにはアズハル以外に情報源がなかった。晴香を守り、殺人鬼を見つけるためには、何としても、かれから情報を仕入れなければならない。
「それなら、いい方を変えよう」
 ぼくは続けた。
「その四人のほかに、新学期からこの学園に転校してきた教員や職員はいるか? これは、調べればわかることだ。しかし、その手間を省いてくれれば助かる」
「ふん」
 アズハルは小賢しいといわんばかりにぼくを見おろした。
 けっきょくは先程と同じ内容の質問で、いい方を変えただけなのだが、こういう問い方ならこの偏屈な魔人も答えてくれるかという目算がぼくにはあった。そして、それはやはり正しかった。アズハルは太い両腕を組みつつ、いったのである。
「たしかにその通りだな。いいだろう。調べる手間を省いてやる。いいか、この桜花学園には、今学期から新規に努めるようになった教員も、その他の職員もいない。だから、この二学期から新たにこの学園に入ってきた人物は、お前とその四人の転校生だけということになる。この情報をお前がどう判断するのかはお前のかってだが」
「そうか。それから、もういちど確認しておく。殺人鬼は既にこの学園に潜入している。間違いないな?」
「ああ、間違いない」
「そうか、ありがとう、アズハル」
 ぼくは礼をいって、アズハルを戻した。それだけわかれば十分だ。
 殺人鬼が男の姿のまま晴香に犯行を見られたのが夏休みのあいだである以上、それ以前にこの学園に侵入していたということはありえない。そして、その上で現在、この学園に潜入しているというなら、やはり転校生の四人のなかに殺人鬼はいるのだ。それにしても、晴香が描いたという似顔絵は二〇代くらいと思しい男性のものだったのだが、それがそう簡単に少女に化けられるものだろうか? いや、まあ、しかし、これはじっさいに少女に変身して学園に潜入しているぼくがいうことではないかもしれない。おそらく、晴香の情報はぼくと同じようにランプから得たのだろう。
 さて。
 次にしなければならないことはあきらかだ。その四人の転校生の情報を入手すること。そして、その四人のなかから殺人鬼を見つけ出すこと。しかし、仮に見つけ出すことができたとして、そのあとはどうする? 〈彼女〉が連続殺人事件の犯人である証拠を見つけられたとして、犯人は男と思い込んでいる人々には通用しないだろう。これは困った。まあ、それも、とりあえず見つけ出してからあとのことだ。まずは殺人鬼をさがすことだ。
 それにしても、いまの会話でたしかにこの学園に殺人鬼が忍び込んでいることが確認されたわけだ。いよいよ気をつけなくてはならない。晴香を守ることはもちろん、じぶんの命も危険に晒さないようにしなければ。
 ぼくはそんなことをあれこれと考え込みながらへやに戻った。ランプを片付けたとき、ふと気配を感じた。まさか――? 戦慄とともに振り返る。
 晴香だった。
 眠たそうに目じりをこすりながらぼくのことを見おろしている。ぼくは一気に安堵して全身の力を抜いた。しかし、すぐにようすがおかしいことに気づいた。何だか捨てられた子犬のような、寂しそうな目つきでぼくを見つめてくるのだ。
「どこいっていたの、薫ちゃん?」
「えっと、その、ちょっとトイレに」
「わたし、怖い夢、見ちゃった。薫ちゃんがいなくなる夢」
「わたしが?」
「ううん」
 晴香は首を振った。
「わたしの幼なじみの薫ちゃん。それも、ただの夢じゃなくて、ほんとのことなの。わたしは薫ちゃんにひどいことしちゃったから、だから、きっともう逢ってくれないと思う」
「ひどいこと?」
 ぼくは鸚鵡返しにくり返していた。いうまでもない、ぼくをふったことをいっているのだろう。しかし、晴香がそんなふうに思っていたとは。じぶんで冷たくしておいて、それを悔やんでいるとは、いったいどういうことなんだろう?
 しかし、深く考えている暇はなかった。晴香はこんなことをいいだしたからだ。
「ね、薫ちゃんと一緒のベッドで寝ていい?」
「え?」
 ぼくはあわてた。それは困る。
「だめ?」
「えっと――」
 大いに困るのだが、しかし、いまにも泣き出しそうな瞳で見つめられながらそう求められると、断りきれなかった。
「う、うん、いいよ」
 ぼくは頷いた。晴香は「ありがとう」と小さく呟いて、ぼくにかるく抱きついてくる。うーん、この子、こんなに甘えん坊だったっけ? 女の子にはこういう態度なのかな? とにかく、ぼくは腕のなかの身体の甘い柔らかさにどぎまぎしてしまった。
「じゃ、じゃあ、一緒に寝ましょうか」
 ぼくはいって、ベッドに寝そべった。すぐにそこに晴香も入ってくる。彼女はぼくの、我ながらいやになるくらい豊かな胸に顔を埋めた。少し微笑む。
「薫ちゃんのおっぱい、柔らかいね」
 こらこら、思春期の男子のまえでそんな単語を気軽に使わないでくれ。おかしな気分になってくるじゃないか。もちろん、彼女もぼくが男と知っていたらそんなことはいわなかっただろうけれど。いや、男ならそもそもありえないシチュエーションであるわけか。
 正直、ぼくは緊張して発狂しそうだった。ああ、女の子の身体というのは、どうしてこう、どこもかしこも柔らかいんだろう。それにしても、女の子の胸に顔を埋めて眠ることならまだしも、じぶんの胸に女の子が顔を埋めている状態で寝る日が来ようとは想像もしていなかった。まったく、世界はふしぎに満ちている。そういえば、ハムレットもいっている。ホレイショ、この天地のあいには、きみの哲学などが夢想だにしないことがあるのだ、と。今夜は何だかハムレットが他人とは思えない気分だ。
 そのうち、ぼくの胸の辺りからすやすやという安定した呼吸音がきこえてきた。晴香はもう寝てしまったらしい。ほんとに寝つきのいい奴。
 ハムレット、きみも苦労したんだねえ、でも、ぼくもなかなか苦労しているよ、などと思いながら、ぼくはその身体をかるく抱き寄せた。
 今夜は、眠れそうにない。

                   ◆

 一夜が過ぎた。
 案の定、ぼくは寝不足だった。一晩中、大好きな女の子の身体が腕のなかにあって、しかもそれを力いっぱい抱きしめることもできない状況で、平気で眠れる男がいたら紹介してほしい。もっとも、そんな奴とは友達にはなれないだろうけれど。
 ただ、まあ、ぼくもまだ高校生だし、ひと晩くらいの寝不足はどうってことはない。ぼくはその日の授業をそつなくこなし、昼休み、晴香たちといっしょに学食を訪れた。晴香たち、と複数形になるのは、何人かの少女がぼくと一緒に昼食を採りたがったからだ。ぼくはそんなに女の子と話すことが得意なほうではないけれど、この姿だとごく自然に話せた。いや、あいてがマシンガンのように絶え間なく喋ってくるので、ただ相づちを打つだけで会話が成立するのである。たぶん、こんな閉ざされた学園に通っているものだから、新しい話題に飢えているのだろう。女の子らしく振舞うことが大変だった。もっとも、この学園に通っていると、男らしいとか女らしいとかいうことは幻想なのかもしれないとも思えてくる。何だか、ぼくがいちばん女らしく振舞っているように思えてならないのだ。
 そういうわけで、広壮な学食でぼくたちがなかなか美味しい昼食を採っていると、そこに、ひとりの女子生徒が割り込んできた。
「よ、春日」
 ひとり、つれもなく、その場にあらわれた痩身の少女――きのう、校門前で知り合った水上由佳だ。わざわざ、ぼくを探し出してくれたらしい。きのう初めて逢ったばかりだというのに、早くも春日、と呼び捨てにされるのも、ふしぎといやな気持ちはしなかった。
「ずいぶん探しちゃったよ。あんた、もううわさになっているぜ。2―Aにものすごい美人が転校してきたってさ。もう写メールが流通しているくらい。ほら」
「え。うそ」
 しかし、由佳が差し出した携帯電話には、たしかにぼくの横顔が写っていた。それも、顔に手を添えて大きくあくびした顔。信じられない。プライヴァシーの侵害だぞ。
 ぼくが落ち込んでいると、由佳はチェシャ猫みたいににやりと笑った。
「うそだよん。それはいま、わたしがそこで撮ったの。あんまり見事なあくびだからさ。あんた、見事にひっかかってくれるなあ。からかい甲斐がある」
「え? も、もうっ。怒りますよ」
 ぼくが両手で叩く真似をすると、由佳は少年のようにけらけらと笑った。
「悪い、悪い。あたし、こういういたずらが好きなんだよ。特に女の子に仕掛けるのが好きなんだ。あたしはじぶんが女らしくも可愛くもないからね。可愛い女の子に嫉妬して意地悪するのさ。あんたも気を付けたほうがいいよ」
「はい、気をつけます」
 ぼくは微笑まずにはいられなかった。女らしくも可愛らしくもないとじぶんではいうけれど、ぼくから見れば、彼女も十分、可愛らしい女の子だ。何しろ、ぼくなど、外見は楚々たる美少女に見えるかもしれないが、その実、中身は高二男子なのだから。
「やだな、会長。クラスの親睦を深めているんですから、邪魔しないでくださいよ」
 ぼくのまわりと取り囲む女子のひとりがそう由佳に声をかけた。
「会長?」
 ぼくが首を傾げると、由佳はふたたびけらけらと笑った。
「そう、何を隠そう、あたし、実は生徒会長なんだよ。おかしいだろ? イメージ違うだろ? でも、そうなんだ。名門私立女子校なんていっても、実態はこんなもんさ」
「水上さん、生徒会長だったんですか」
 たしかに意外だ。
 由佳は生徒会長という四字熟語に付きまとう堅苦しいイメージとは正反対の性格である。しかし、よく考えてみれば、明るく、交友関係も広そうな彼女が会長に推されるのはわからなくもなかった。そうだとわかったら、訊きたいことがある。
「あの、水上さん」
「由佳ちゃんって呼んで」
「ひとつ訊きたいことがあるんですけれど。生徒会ではわたしみたいな転校生のことを把握していますよね? だれが今学期転校してきたか教えてもらえるでしょうか」
「由佳ちゃんって呼んでくれないと教えてあげない」
「――由佳ちゃん、教えてください」
「いいけどさ、何でそんなこと知りたがるの? べつにあんたに関係ないことでしょ?」
「いえ、わたしと一緒の時期に転校してきたひとがどんなひとなのか、と気になって」
 苦しい言い訳だったが、由佳は信じてくれたようだ。かるく頷いた。
「そ。いいよ。えっと、たしか二学期からの転校生はあんたを含めて五人だね。うちは案外、転校生多いんだ。そのうちひとりはこのあいだあんたも逢った例のちびっ子だよ。栗林望って名前らしい。あとは、蒲原芳子って子と、犬吠ひとみとかって子、それから、えっと――」
 ぼくはすらすら情報が出てくるのに驚いた。いくら生徒会長といっても、そんな瑣末なことを記憶しているとは思っていなかった。あとで調べて教えてくれればそれでいいと考えていたのだ。しかし、これで、容疑者四人のうち、三人まで名前がわかった。もちろん、殺人鬼は偽名を使っているはずではあるが――。
 栗林と蒲原、それから、犬吠ひとみ。憶えておかなければ。
「だめだ。思い出せないや。たしか四人だったと思ったんだけどな」
 由佳は悔しそうに頭をかいた。
 そのとき、晴香がぼそっとひとり言のように呟いた。
「里美ちゃんだよ」
「里美ちゃん?」
「ほら、いま、こっちにやってくる。おーい、里美ちゃん、こっち、こっち」
 彼女はぐるぐると手をまわして、向こう側からこちらに向かって歩み寄ってくるひとりの少女を呼び寄せた。彼女は、驚いたのか、びくりとからだを震わせたが、それでもおとなしくこちらにやって来た。これから昼食を採るつもりだったのだろう、両手にはパンとオムレツ、シーザーサラダが載ったトレイを持っている。
「紹介するね」
 晴香がいった。
「わたしの友達の里美ちゃん。この夏休みに知り合ったんだけれど、ちょっと色々あって、二学期からこの学園に転入してくることになったんだ。薫ちゃんの知りたがっていた転校生のさいごのひとりだよ」

                   ◆

「は、初めまして」
 里美と呼ばれた少女はおどおどと頭を下げた。見つめると、すっと視線を逸らす。
 ずいぶん気弱そうな子だな、というのが、ぼくの第一印象だった。たしかに、白皙の、なかなかに可愛らしい子ではあるのだけれど、そのおどおどと落ち着かないそぶりのほうが容色よりずっと印象にのこる。常に不安そうに視線を動かしているところが、猛獣に襲われはしないかと辺りを観察する臆病な兎か何かを連想させた。ちょっと栗いろに近い髪を肩までのばしているが、校則で染めることはできないはずなので、地毛なのだろう。
「里美ちゃん、いっしょに食べていかない?」
「あ、はい。そうですね。よろしくお願いします」
 里美はぼくたちの近くに座った。いっしょに食べたかったというより、晴香の言葉を断りきれなかったように見える。本当に、気弱そうな少女だ。この子が殺人鬼かもしれないわけか。そんなことがありえるだろうか。
「よし、どうせなら、ほかの三人も呼んできてやるよ。顔は憶えているんだ。顔は。この機会に転校生顔合わせってのも悪くないだろ」
 由佳がいって、席を立った。
 ぼくにとっては、ありがたい話の流れだ。このチャンスに容疑者四人を確認することができるなら、一気に捜査は前進したといえる。そのなかに殺人鬼が混じっていることはほぼ間違いがないんだ。既にそのうちふたりと出逢ったのに、一向にそれらしく見える少女がいないことが少々悩ましいが。いや――のこるふたりのなかにいるかもしれない。
 そして、しばらく経つと、由佳は本当に三人の少女を連れてやって来た。そのうちひとりは栗林望――きのう、校門のまえで出逢ったばかりの少女だ。のこるふたりは度の強そうな眼鏡をかけた子と、長い黒髪が印象的なにこやかな女の子だった。
「何の用ですの」
 と、望が口火を切った。
「ひとをほいほいと気軽に呼び出すのはやめてほしいですわ。特にこの無礼な生徒会長を呼び出しに使うなんて最悪ですわ。ひとが断っても無理やりひっぱってくるんですもの」
「ごめんなさい」
 ぼくは謝った。
「でも、ぜひ逢ってお話がしたかったの。転校生同士仲良くできたらいいな、と思って」
「迷惑ですわ」
「でも」
 ぼくはなるべく柔らかく見えるよう微笑みかけた。
「わたしたち、お友達でしょう?」
 望の頬が朱を刷いたように赤らんだ。ツンとそっぽを向いて続ける。
「ま、まあ、あなたとお友達になってさしあげたことは本当ですから、たまには呼び出されてもかまいませんけれど!」
「何がさしあげただ、このちびすけ。ほかに友達いないくせに」
 由佳が望の頭を上から小突いた。彼女と望では、一〇センチ以上身長差があるのだ。
「何するんですの! 痛いですわ!」
「うるさい、このですのっ子。お前は無視しても良かったんだけれど、わざわざ呼んでやったんだ。感謝しろ」
「何ですの、その態度! この礼儀知らず!」
「あの」
 眼鏡の少女が口を挟んだ。
「会長から転校生親睦会を開くって聞いたから来たんだけれど。2―Aの転校生って、あなた?」
「あ、はい。そうです。初めまして、春日薫です」
「蒲原芳子です。初めまして」
「犬吠ひとみです。お初にお目にかかります」
 長い黒髪の少女がぺこりと頭を下げる。
 望が大きくひとつ咳払いをした。
「栗林望ですの。一応、初めましてといっておきますわ」
 里美も名乗り、彼女を含めた四人は近くの席に座った。
 ぼくは緊張を込めてその四人を眺めた。どこからかアズハルの意地悪い哄笑がきこえてくる気がした。里子、望、芳子、ひとみ――この四人のなかに、ぼくと同じくランプの力で少女に化けた殺人鬼がひそんでいるはずなのだ。

                   ◆

 さて――
 こうして四人の少女、四人の容疑者がそろったわけだが、いったいどうやってこのなかから犯人を見つけ出せばいいのだろう? 犯人は本来、成人男性と思しいわけだから、いくら女子高生に化けていてもむりがあるだろうと思うのだが、そう巧く馬脚をあらわしてはくれないかもしれない。とりあえず、情報を収集するしかない。
「皆さん、お集まりいただき、ありがとうございます」
 と、ぼくは語りだした。
「きょうは二学期から転校してきたもの同士、仲良くやれればと思ってご足労いただきました。どうぞ、よろしくお願いしますね」
「あの」
 眼鏡の蒲原芳子が口を挟んできた。眼鏡をかけているからいうわけではないが、とても聡明そうな少女だ。そのかわり、ちょっときつそうな印象を受ける。
「わたし、こう見えてけっこう忙しいんです。他に用事がないなら失礼していいですか」
「忙しいって、何で?」
 と、由佳。
「まだ授業もはじまったばかりだし、宿題も出ていないだろ? 部活にでも入るつもり? だったら、この生徒会長の由佳さんが紹介してあげてもいいぜ」
「いえ、特別、具体的な用があるわけではありませんが――」
「だったら、昼休みくらい潰したってかまわないだろ? せっかく転校生同士、仲良くなろうぜっていっているんだからさ。蒲原さん、あんた、一年だろ? 先輩のいうことは聴いておいたほうがいいぜ」
「わかりました」
 芳子はため息を吐いた。
「仕方ありません。でも、昼休みはもうそんなに長くないですよ。何をするにしても、早くしたほうがいいんじゃないでしょうか」
「そうですわ」
 と、望。
「さっさと自己紹介でもいたしましょう。まだ皆さんの名前しか聴いていませんわ」
「何でお前が司会するんだよ、ちびっ子」
「だから、ひとの身長のことは――」
「まずうちから自己紹介してもいいですか?」
 ロングストレートの黒髪が印象的な犬吠ひとみがいった。
「えっと、うちは七月七日の七夕生まれ。趣味は星占いとか。実家はお金持ちです。犬吠グループって知っていますか? あのグループの会長がおじいちゃんです」
 にこにこ笑いながら平然という。その天真爛漫な態度に、一堂絶句するしかなかった。
 ぼくは一瞬で考えを巡らせていた。犬吠グループのご令嬢――これは、どう考えても、犯人ではありえないだろう。それとも、まさかランプの力で入れ替わったとか? 何のためにそんなことをしなければならない?
「良家の箱入り娘、ってわけか」
 由佳が肩をすくめる。
「ま、うちじゃ、特に珍しくはないんだけどな。元々、そういう良家のご令嬢に悪い虫がつかないよう閉じこめておくためにあるような学園だからさ。ま、実は色々抜け道はあるんだが、それはあとで教えてやるさ。とにかく、よろしく、犬吠のお嬢さん」
「はい、よろしくお願いします」
 ひとみはぺこりと頭を下げた。
「実家はお金持ち、か。うらやましいな」
 淡々とそういったのは芳子だった。
「このなかでいちばんの貧乏人はわたしでしょうね。本来なら、こんな名門高校に入れるような身分じゃないですから。たまたま運よく援助してくれるというひとがいたから転入してこれたんですけど。 趣味ですか? そうですね、勉強――といったら白けるかしら。でも、わたしにはいま趣味をもつような余裕はないんです。ひたすら勉強して、成績を上げて、上の大学に入ることしか考えられません。こう見えて、まえの学校にいた頃は、全国有数の成績を取ったこともあるんですよ。誕生日は、一二月一三日。でも、星占いとか、そんなばかげたものは信じません」
 そういって、彼女は、犬吠ひとみの顔を見た。一瞬、ふたりのあいだに火花が散るかと思われた。しかし、ひとみがすべてを受け止めるように柔らかく微笑みかけたので、そうはならなかった。芳子は顔を背けた。
「あんたが成績優秀だったってことは聞いている」
 由佳が口を挟む。
「何でも、まえの学校では開校以来の秀才といわれていたそうだな。この学校でも精々活躍してくれよ」
「はい」
 芳子はかるく頭を下げた。
 ぼくはまたも思いを巡らせた。開校以来の秀才、全国有数の成績を取ったことがある、か。それが真実だとするなら、彼女も殺人鬼ではありえない。となると、のこりの容疑者はふたりに絞られたわけだ。望か、里美か――。
「わたくしの番ですわね」
 望がひとつ咳ばらいした。
「わたくしの趣味は音楽ですわ。ピアノとバイオリンを三歳の頃から習っています。それなりの腕前と思っていただいてかまいませんわ。あるコンクールに入賞したこともあります。この学校でも、ピアノを習いたいと思っています。いちど、皆さんにわたくしのストラヴィンスキーを聴いていただきたいものですわ。誕生日は、二月二十八日。学年は一年ですわ」
「へえ、ちびっ子はピアノが得意なのか。ちゃんとペダルに足がつくのか? 特注品のピアノじゃなきゃだめなんじゃないか?」
「失礼ですわ! この、この――」
「まあまあ」
 ぼくは仲裁しながら、考えた。やはり、何かしらのコンクールに入選したという経歴が真実なら、この少女も殺人鬼ではありえないだろう、と。殺人鬼は経歴を偽装してこの学園に転入しているはずなのだ。そんな、ごまかしようがない経歴をもっているはずがない。もちろん、〈月のランプ〉の力でそこらへんを何とかしたという可能性はある。しかし、わざわざそこまでする意味がない。
 と、なると――
 ぼくはそっと里美を見つめた。
 のこる容疑者は、ただひとりだ。

                   ◆

 四人のうち三人までが語り終えたので、人々の視線が里美に集中した。
 里美は居心地悪そうにもじもじと椅子のうえで身じろぎした。救いを求めるように、晴香のほうを見る。しかし、晴香はしずかに首をふった。それで、仕方なく、というように、彼女はおどおどと語りはじめた。
「えっと、わたしの趣味は、ぬいぐるみ集めです。その、可愛いものが好きなんです。えっと、その、誕生日は六月一九日です。よ、よろしくお願いします」
 それで終わりだった。
 四人のなかでいちばん短い独白だ。
「里美さんはどうしてこの学園に転入することにしたのかしら?」
 ぼくは、なるべく怪しまれないよう、慎重に訊ねてみた。いまのところ、里美だけ過去の経歴にかんする情報がない。やはり、このおどおどとした落ち着きのない態度は演技に過ぎず、彼女こそが一連の事件を起こした凶悪殺人鬼の変身した姿なのだろうか。
「それは――」
 里美はいいづらそうに逡巡するようすだった。益々怪しい。ぼくはさらに質問を重ねようとした。
 ところが、そこに助け舟を出すものがいた。
 晴香である。
「里美ちゃん、わたしがいっちゃってもいいかな?」
 彼女がそう声をかけると、里美はおずおずとうなずいた。
「じゃ、わたしから説明するね。実は、里美ちゃんは、この夏、ある事件に巻き込まれたの。わたしも、その事件の目撃者になったんだけれど――。知っているかな? 最近、うわさになっている連続殺人事件。里美ちゃんは、その事件の三番目の被害者で、危うく犯人に殺されかけたんだよ」

                   ◆

 その日の夜半。
 ぼくは寝不足にもかかわらず、すぐに寝付くこととができずに何度もベッドのうえで寝返りをくり返していた。一旦、解決へと進んだかに見えたなぞが、ふたたび混沌のなかに叩き落とされたのだ。そう簡単に寝付けようはずがなかった。
 最前、ぼくは晴香が眠ってしまったことをたしかめると、バッグのなかからあの古びた金いろのランプを取り出し、トイレに入っていった。早速、魔人を呼び出した。ぼくが混乱しているのが嬉しいのだろう、召還されたジンは機嫌がよさそうだった。
「わが主人よ。何用かな?」
 ぼくはアラビアのジンをきつく睨みつけた。
「とぼけるな。何もかも知っているくせに。どういうことだ。なぜ、あの四人のなかに犯人がいないんだ? それとも、うそを吐いている奴がいるのか? 教えろ、アズハル!」
 しかし、訊きながら、ぼくはアズハルが教えてくれるはずがないと思っていた。かれがぼくが殺人鬼を見つけ出すことに素直に協力するとは思えない。ただ、ぼくはアズハルの反応を見てみたかったのだ。そこから何かしら解決の糸口が見えてくるかもしれない。
 〈太陽のランプ〉の魔人は余裕綽々だった。愉快そうに低く笑う。
「わが主人よ。おれが真実を教えると思っているのか?」
「――思っていない」
 ぼくは視線を落とした。
 やはり、この魔人の態度から情報を得ることはできそうにない。真実はぼく自身の力で探し出すしかないだろう。いまのところ、全く見当もつかないままだが――。
 ところが、アズハルはこういいだしたのだ。
「だが、おれはお前が思っている以上に親切なのだ。お前とも長い付き合いだしな。教えてやろうではないか」
「何?」
 そして――
 アラビアの魔人は、ぼくをよりいっそうの混乱に陥れるひと言を吐き出したのだった。
「だれもうそを吐いていない。四人の容疑者は皆、真実を話している」
 と。
「ばかな――」
 ぼくは思わず生唾を呑みこんだ。
「四人とも過去の経歴を話した。犯人が化けているはずがない。ということは――殺人鬼は他にいるということか?」
「さあな」
 アズハルは微笑んだ。
「いままでいったことを思い出せ。何ならもういちどいい直してやっても良いぞ。犯人は紛れもなくこの学園に侵入している。おお、サービスだ。こう付け加えてやろう。それは学生だ。つまり、この桜花の千何百名かの生徒のなかに、ひとり〈月のランプ〉を所有する殺人鬼が混じっているわけだ。それを探し出すのはお前の役割だ。精々頑張るんだな」
「学生として――?」
 それは、ほぼ確定していたことではあるが、しかし、新情報には違いなかった。
 ということは、やはり、犯人は少女に化けているのだ。これで、教師や職員は除外することができる。そして、紛れもなく殺人鬼はこの学園に侵入していることになる。そしてまた、晴香が犯人を目撃したのが夏休みのあいだである以上、晴香を狙う殺人鬼がそれ以前に学園に侵入していたということはありえない。ということは、やはり、殺人鬼は今学期から転校してきた四人のなかにいるとしか考えられない。しかし、四人には過去の経歴がある。どういうことだ? いったいどういうことだ――?
 アズハルをランプのなかに還し、布団のなかに入ったあとも、ぼくは考え続けた。どこかで何かが間違えている。しかし、いったいどこで、と。

(続く)

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