『フィクション・ハンドブック』がすごい!


 色々あっていくらかタイミングが遅れてしまったが、泉信行id:izumino)の同人誌『フィクション・ハンドブック』を取り上げておこう。

 前作にあたる同人誌『漫画をめくる冒険』は、その透徹した論理考証の精密さで、ぼくを驚かせたものだが、この『フィクション・ハンドブック』もその内容の密度、視点の豊かさで、とても楽しませてくれた。

 何よりも、『フィクション・ハンドブック』という、その大上段に構えたタイトルが凄い。そう、ここで綴られているものは、「漫画の選び方」ではなく、「小説の読み方」ではなく、「動画の楽しみ方」でもなく、「フィクションの見方」という、きわめて応用範囲の広い概念なのである。

 当然ながら、その内容は多岐にわたる。一歩間違えれば散漫になっていたところだろうが、しかし、テーマの単純さがそれを救っている。

 泉の疑問はきわめてシンプルだ。かれは問う。「フィクションとは何か?」「フィクションがよくできているとはどういうことか?」と。そして、その緻密なロジックで答えを導いていく。

 そのとき、手がかりになるのは、「人間」だ。あらゆるフィクションを生み出し、その読み手ともなった人間とは何か、どういう習性をもつ生きものなのか、そういった視点から、かれはフィクションの広大な沃野を探索する。

 たとえば、泉は「感情移入」について考える。考えるだけなら、だれでも考えることはあるだろう。しかし、かれは考えつづけ、そして、前人未到の境地にまでたどり着いてしまうのである。

 その深度は、けっきょく、それは人間を通して物語を見つめる作業なのか、物語を通して人間を考える作業なのか、はっきりとはわからなくなってしまうほど深い。泉の「目」は、物語の奥にひそむ普遍の人間心理を見抜き、人間存在のふしぎに切り込むのだ。

 しかも、それでいて、かれの語りは物語の神秘を剥ぎ取り、それをつまらなくしてしまうたぐいのものではない。泉の視点を通してわかってくるもの――それは、物語のもつ底知れぬ豊かさである。それは人間存在の豊かさでもある。

 そこから見えてくる真理をひと言でいうならば、物語を語るとは、完全に自由な、あるいは放恣な営為ではない、ということになるであろう。

 物語には、人間精神の理に基づく「王道」があり、それは、ひとがひとである以上、ある程度不変のものとすらいえる。泉はそう主張しているように思える。

 いい方を変えるなら、こういうことだ。物語とは、ひとり作者の放埓な意思によって決まるのではない。作者ですら、万古不易の真理を無視してかってな真似はできないのだ、と。

 だからこそ、百年、千年の昔の物語、社会状況が全く異なっている時代の物語にも、ぼくたちは感動できる。

 たとえば、泉の語る「感情移入の法則」に従って、推理小説を振りかえってみると、いわゆる「ワトスン役」が、泉のいうところの「メガネくん」として機能していることに気づく。

 これは泉が発明した言葉ではないが、泉はそれを明確に定義して十全に活用している。「メガネくん」とは、読者の感情移入を助ける、ヒーローに比べてより感情移入しやすい視点人物のことである。

 もちろん、ポーやドイルが泉の理論を意識していたわけではないだろう。増して「メガネくん」などという言葉は知らなかっただろう。

 彼らは、ただ、物語作家としての独自の論理と霊感に基づき、名探偵の神秘と威厳を高めるために、彼らなりの「メガネくん」を用意したに過ぎない。

 そして、それは、結果として物語の「王道」に則っていたために生きのこり、百数十年の時を経たいまなお、読みつづけられているのだ。

 そしてまた、本書は泉ひとりの著作ではない。かれによって召還された五人の書き手が共著している。その内実は、漫画研究者であったり、ニコマスPであったりと様々だが、いずれ劣らぬ物語愛好者であり、フィクションにかんして一家言ある人々である。

 彼らの多種多様な「言葉」を読めるだけでも、本書を購入する価値はある。これがまた、応用範囲が広いのだ。一例を挙げるなら、漫画について書いてあることでも、小説のこととして理解することは十分に可能だろう。

 たとえば、ミステリファンは、伊藤悠による「内語」の考証を読んで、「内語しないキャラクター」として登場したホームズが、やがて「内語するキャラクター」へと変貌していったことを思い出すかもしれない。

 あるいはやはり、「内語しない天才」として登場した真賀田四季が、やはり内語する人物へと変わって行ったことを連想するかもしれない。あるいは、他の人物を、他の作品を思い起こすかもしれない。

 それでいいのだ。この本は、それほどに利用しがいのある理論書である。フィクションを愛好するすべてのひとは、この一冊を手に取るべきだろう。

 ゼロ年代が早くも終わろうとしている。続く一○年代を切り開くために必読必携の一冊である。一読、蒙を啓かれる思いであった。目から何枚うろこが落ちたか、わからない。

 既に通販の取り扱いが始まっているので、万難を排してでも――一難もないだろうとは思うが――入手すべし。損はさせない。読まれるべき本とは、本書のことである。

http://d.hatena.ne.jp/izumino/20091217/p1