あなたは頭脳派? 器量派?


 昨日の夜――というか朝まで、例によってsさん及びてれびんさんとスカイプで話していました。で、人間には「鋭さ」で勝負しているタイプと、「大きさ」で勝負しているタイプがいるよね、という話をしました。

 いいかえるなら頭脳でたたかうか、器量でたたかうかということですね。器量派は心で生きていて、頭脳派は頭で生きているともいえるでしょう。たとえば、『ネギま!』でいうと、ネギは頭脳派で、ナギは器量派であるわけです。

 頭脳派は「頭はいいけれど神経質」なタイプ、器量派は「器は大きいけれど頭は鈍い」タイプであるといえるかな。もちろん、これも単純な二分法なので、どちらかといえば、という話に過ぎないわけだけれど、この手の話はおもしろいよね。

 で、sさんは完全な頭脳派だよね、で、ぼくはやっぱり器量派だよね、という話が出たんです。まあ、これは、そうだと思う。自画自賛しているわけじゃなくて、タイプとしてそうだと。

 でも、ぼくは頭脳派にあこがれがあるんですよね(笑)。このあいだETV特集藤沢秀行という碁打ちの特集をやっていたんだけれど、このひとは頭脳派の天才なんです。非常に無頼というか、破滅的な生涯を送ったひとで、ぼくはすごくかっこいいと思うわけです。ああ、こういうのいいよね、と。

 でも、ぼくは器量派だから、まねはできない。まねはできないんだけれど、まねしたくなる。で、けっこう「鋭さ」に振った、ある種露悪的な記事を書いたりするんですけれど、はっきりいってたかが知れているんだよね(笑)。

 ぼくは物事を鋭くバッサリ切るということができないんです。たとえば、小説を語るにしても、「駄作」とか、バッサリ切って終わりにすることができない。この作品にもどこかいいところがあるよね、とかいいだす。だから、切れ味がいまひとつだったりするんだけれど。

 で、知り合いでいうと、いずみのさんはかなり極端な頭脳派で、くろさんも頭脳派、敷居さんは器量派かな、と。平和さんとかトンボさんあたりもまあ、あきからに器量派だよね。かんでさんはああ見えて頭脳派。

 はしさんはちょっと問題で、器量派なんだろうけれど、もうちょっと器量を大きくしようよ、という話があって(笑)。まだ発展途上だよね、と。そこがかれの魅力なんですけど。LDさんはどうか、まだちょっとわからない。入江さんはわりとバランスが取れている。

 で、ペトロニウスさんはどちらかといえば、やっぱり頭脳派だと思うんですよ。ペトロニウスさんは器量で勝負もできるんだけれど、あえていうならまあ、頭脳派かな、と。

 ペトロニウスさんはよく「じぶんは王じゃなくて王佐をやりたい」とかいうけれど、これは、じぶんは頭脳派だという自覚があるからいっているんじゃないかと思うんですね。器量派が上にみこしとして担ぎ上げられて、頭脳派がそれをサポートする、というかたちがベストだから。

 ひとはじぶんにないものを求めるものだから、器量派と頭脳派は惹かれあいます。で、うまくいくとすごいコンビになる。『射雕英雄伝』の郭靖&黄蓉とか、『七都市物語』のシュタミッツ&クルガンみたいに。敷居さんといずみのさんもこの関係だよね。

 じぶんやまわりのひとは器量派か、頭脳派か、王を夢みるべきか、王佐をめざすべきか、と見当を付けてみるとおもしろいかもしれません。じぶんの長所を知って、そこで勝負することができたら、強いでしょう。