「さがしものver.2」。


 それは、必然でした。少なくとも、わたし自身にとってはそうでした。
 いつか、近い将来、そのときを迎えることはわかっていましたし、心の底からそれを待ち望んですらいたのです。しかし――そう、しかし、それにもかからず、わたしがあの五階建てのビルから身を投げたとき、周囲の人間は皆、おろかにも慌て、驚き、わたしを説得しようとし、そしてむざんにそれに失敗すると、コンクリートに叩き伏せられたわたしの命を救うため、必死の努力を払ったのです。
 かれらにとっては幸運にも、そしてわたしにとっては不運なことに、その努力は成功を見ました。わたしの両足は二度と元のかたちに戻らぬほど折れ曲がりましたが、わたしはその犠牲により一命を取りとめ、はげしく落涙する両親に抱きしめられることになったのです。
 そのとき、わたしの心によぎったものをいうなら、かるい失望、そして、形容しがたい徒労感でした。ひと言でいってしまえば、わたしはうんざりしていたのです。
 しかし、そういっても誰にも理解してもらえないことはわかっていましたから、カウンセリングの場では、もっとわかりやすい絶望感を訴えておきました。優等生であることに疲れていたと、いささか優秀すぎる成績が落ちる恐怖に怯えていたと、躊躇いがちに(そう見えるように)訴えてみると、カウンセラーは、心から(あるいは、そう見えるだけの)共感を示し、でもね、と命の大切さを切々と訴えて来ました。
 反吐が出るほど退屈な説教。
 それでも、わたしは何とかそれに耐え抜き、ふたたび自由を得ました。もちろん、足の自由は失われ、一生を車椅子に縛られて生きることになりましたが、わたしにとっては、それはどうでもいいことでした。足など、ええ、道具に過ぎません。気に入りの綺麗な皿を割ってしまったからといって、いつまでもめそめそと泣くひとがいるでしょうか。しかも、わたし自身は、この道具を、たいして気に入っていたわけでもないのです。
 そして、春を経て、夏を通り過ぎ、秋を駆け抜け、ふたたび冬と出逢いました。
 その頃、両親を含めたわたしの周囲の人間は、すっかり安心するようになっていました。おそらく、彼らの目に、わたしはすっかり回復し、常識と理性とを取り戻したように見えていたのでしょう。わたしはさいしょから正気だったのですが、それは、かれらのような愚物には決してわからないことなのです。
 花の十七歳を車椅子に縛られながら、健気に、明るく、朗らかに生きる小娘、かれらの節穴の目に、わたしはそう映っていたはずです。
 呆れたことに、彼らは忘れていたらしいのです。命を投げ出すまえのわたしも、いまとおなじくらい明るく振舞ってみせていたことを。
 ようやく両親の監視の目がゆるんできたので、わたしはふたたび自殺を試みることに決めました。方法はどうしましょう? やはり手首を切ってみましょうか。悪くはありません。しかし、確実性に欠けているように思います。
 仕方ない、首を切り裂いて死ぬことにしましょうか。そうすれば、そう、まず、確実に死ねるはずです。わたしは、じぶんの首からあふれ出た血が、床に赤黒い薔薇を描く光景を夢想して、少し微笑みました。それが、ほんとうにひさしぶりに浮かべた、こころからの微笑でした。
 そして、その日、わたしは、自室で、両親に隠れて入手していた包丁を手にとり、さすがに少しうっとりとしながら――何しろ、自殺未遂からいままでのあいだの日々のつまらなさに飽き飽きしていたので――首筋にあてがいました。
 一気に白い肌を血に染めようとした、まさに、そのとき。
 へやのドアをノックする音がしました。そのまま、行為を遂行しきっても良かったはずなのですが、わたしはやはり、躊躇いました。いったいだれがノックしたのか、気になったのです。
 両親ではないはず。かずすくない友人たち――本当の友人とは呼べぬ、仮初めの間柄でありました――が訪れる予定もありません。
 そもそも、友人たちなら、玄関のチャイムを鳴らさずにここまで上がって来たりしないでしょう。では、いったい誰が? 何者がここまで上がってきたのでしょう? 仕方なくわたしは包丁をかくすと、ささやくように訊ねました。
「どなた? あけてください。わたしは、足が不自由なんです」
「失礼します」
 わたしはパチパチと瞬きしました。
 驚いたことに、ドアをあけて入室してきたのは、ひとりの小さな子どもだったのです。
 歳は十歳ほどでしょうか。一人まえのおとなのような格好をしていて、男の子か、女の子か、それすらもよくわかりません。子どもは、その深い、はてしない齢を重ねたかのような眸で、わたしをじっと見つめるなり、いいました。
「内藤加奈さんですね? ぼくは死神と呼ばれるものです。よろしくお願いします」
 子ども――死神は、優雅に手を胸に置き、九十度に腰を曲げて一礼してみせました。間が抜けたことに、わたしは思わず「よろしく」と返していました。かれ、あるいは彼女のいうことを理解できたわけでは、全くなかったのですが。
 死神は――すくなくとも、そう名のる者は――わたしの動揺をあっさりと無視し、言葉を続けました。
「それでは、率直に申し上げます。あなたにいま死んでもらっては困るのです。あなたの命数は、まだ尽きていないんですからね。あなたは、あと四十七年後、喉頭がんで亡くなる予定なんです。それなのに、いま自殺されては、スケジュールが狂うんですよ。いったい、何だって、こんな予定外のことをしようなんて思いついたのですか?」
「あなた――あなたは、本当に、死神なんですか?」
 わたしがそう問い質すと、死神は、あたりまえのように頷いたのです。
「そうですよ。この地域一帯の死を管理しています。しかし、それはすべて、スケジュール通りの死で、完全に管理されているんです。病死であれ、事故死であれ、自死であれ、そうです。しかし、あなたはその予定にないことをしようとしている! これは、ぼくたちにとっては、非常に困った事態なんです。何十年も先まで決まっているスケジュールが狂うことになるわけですから。いったい何でスケジュールで決まっていない行動に出ようなんて思ったんです? いや、いわないでください。わかっているんです。どうせ、〈真世界〉のことを思い出したんでしょう? あなたたちが天国とか楽園と呼ぶ、あの世界のことを」
「――そうよ」
 ようやくじぶんを取り戻し、わたしは誇りを込めて頷きました。
「あなたのいうことを信じるわ。驚いた! 本当に死神なんているのね! しかも、こんな子どもだなんて、ばかげた話だわ。まあ、天国があるんだから、死神がいたっておかしくないわね。あなたのいうとおり、わたしはあの世界を思い出したのよ。いまから二年もまえのことかしら、あの日――あの運命の日、わたしは、突然、すべての記憶を取り戻していたの。じぶんが元々あの世界にいたこと、この肉体と人生を与えられてここに落とされたことも、何もかも皆、思い出していた。で、自力であそこへ戻ることにしたの」
 文句があるならいってみなさい、とばかりに、わたしはいい募りました。腹立たしいことに、死神は、その言葉を聴いて、うんざりしたようにため息を吐いたのです。
「やっぱりバグだ」
 かれはそういいました。
「本当はすべての魂は一生、〈真世界〉のことは思い出さないはずなのに、時々、あなたのように思い出してしまうひとが出るんです。〈天使〉さんたちのミスなんですが。そして、〈真世界〉のことを思い出したひとは、たいてい自殺してあそこに戻ろうとするので、ぼくたちがやめさせる羽目になるんですよ。スケジュールが狂いますからね。前回の試みは失敗することがわかっていたので、放置しましたが、今回はそうは行かない」
「どうして?」
 わたしは、形容しがたい、炎のように狂おしい想いに駆られて、尋ねました。
「なぜ、戻ってはいけないというの? ここよりずっと美しい、すばらしい、何もかも完璧な、あの世界。わたしたちの楽園。すべての生が麗しい場所。あそこへ帰れるなら、わたしは現生のいのちななんて、百回でも投げ捨てて省みないでしょうよ! 止めても無駄よ。わたしは死んでみせるわ。そして、あそこへ帰るのよ。必ず、必ず――」
「わかっています。わかっていますよ」
 死神は、わたしを落ち着かせようとするように、何度も頷きました。
「あなたのように完全に思い出す人は稀だけれど、薄っすらと憶えているひとはたくさんいるんです。そういう人たちは、可哀相に、「じぶんはここにいるべきではない」という違和感を抱えて、一生を過ごすことになります。ひとはそれを才能と呼んだりしますが、とんでもない話です。ただのシステムバグなんですから。さて、申し訳ありませんが、あなたにもそういう人生を歩んでもらいます。これから、あなたの記憶を消させていただくので、薄っすらとした違和感のほか、〈真世界〉のことを思い出せなくなるでしょう。あなたはご希望されないでしょうが、仕方ありません。スケジュールは――あなた方はそれを〈運命〉と呼んだりしますが――絶対なんですよ。それでは――」
「イヤ!」
 気づくと、わたしは必死に叫んでいました。
 この手も、足も、顔も、肉体のすべてが、わたしにとってはただの道具に過ぎません。そんなものを捨てても、わたしは何の後悔もありません。しかし、これは――この楽園の記憶だけは、決して奪われたくはなかったのです。
 不自由な足をひきずって、わたしはベッドのうえを逃れようとすらしました。しかし――そう、やはり、すべては、無駄だったのです。
 死神は、そのまま、ふわっと宙に浮いたかと思うと、わたしの頭に手を翳したのです。それで、それだけで、すべては終わりました。次の瞬間、だれもいないへやにひとりのこされていたわたしは、もう、そこにいた死神のことなど、何も憶えてはいませんでした。
 それどころか、じぶんが自殺しようとしていた理由も、全く思い出せなくなっていました。わたしは、毛布のしたに包丁を見つけると、悲鳴を上げてそれを投げ捨てさえしたのです。
 あっというまに、わたしにとって、現実は現実の価値を取り戻していました。わたしは、わけのわからない哀しみに駆られて、その場で涙しました。しかし、なぜ哀しいのかすら、わからなかったのです。
 わたしが、童話作家として人気を獲得することになるのは、それから十五年も経った頃のことです。
 わたしの描いた拙い本は、何ともいえないふしぎな郷愁をかきたてるということで評判になりました。それも、子どもたちより大人たちのあいだで話題になったのです。
 その支持は、大きくはありませんでしたが、しかし、堅実なものでした。わたしの童話を読むものは、そのなかに「悲壮なノスタルジー」とそう評された何かを見出し、何度となくくり返しページをめくったといいます。
 あるとき、わたしは、あるインタビューでこう訊ねられました。
「何が、あなたの描く原動力になっているのですか?」
 わたしは、どうしたらあのおそろしくもどかしい感覚を他人に説明できるのかと思い悩みながら、訥々と話しはじめました。
「何かが欠けているんです」
 けっきょく、その言葉がいちばん適当であるように思われました。
「何か、大切な――決して失くしてはならない思い出を失くしてしまっていて、一生懸命、必死に、それを探している。そんな気がしてならないんです。時々、ふっと取り戻せそうになるんですけれど、でも、あっというまに見失ってしまう。あなたには、わかりますか? わたしが、何を探し回っているのか。それさえ取り戻せれば、どう生きていったらいいかわかるはずなのですが。どうしても、わからないんです。本当に、どうか、知っているなら教えてください」
 わたしは、心の底から懇願していました。
「わたしは――わたしはいったい、何を探しているというんでしょうか?」