少女が地球に降り立つとき。

 あなたは知らない。きっと知らない。あの子のことを何も知らない。

 もちろん、あなたはいうだろう。あの子のことなら何でも知っている、そう主張することだろう。怒ったように睨みつける目を知っていると、膝上で傲慢に組む指を知っていると、すたすたと軽快に歩く足を知っていると、自慢げに語るに違いない。

 それでも、あなたは知らない。あの子が抱え込んだ寂しさを知らない。しじゅう取り囲んでいる人の目が何かの拍子に離れ、たったひとりになったその瞬間、あの子が浮かべる表情を知らない。

 だから、そう、あなたは本当は何一つ、あの子のことを知ってはいないのだ。ひといちばい寂しがりやのくせに、だれにもそのことを知られたくなくて、精一杯強がっている伊織のことを。

 しゃどPの『ハンマーソングと痛みの塔』は水瀬伊織を主人公にしたアニメーション動画。BUMP OF CHICKENの名曲に乗せて、伊織の孤独が語られる。

 しゃどPはいう。「伊織のこと、気の強い子だと思われる方も多いかもしれませんが、伊織ほど繊細な子はいません」。

 たぶん、きっと、そうなのだろう。ぼくたちの知っている伊織は、いつも肩を怒らせて歩くような、驕慢なほど誇り高い少女だ。765プロのアイドルたちのなかでも、最も気がつよそうな女の子。

 しかし、もし、それが偽装にすぎないとしたら? 素顔をかくすためかぶった鉄の仮面にすぎないとしたら? 伊織ほど寂しい子はいないことになる。

 たしかに、一見、彼女は孤独には見えない。あふれるほどの愛情をあびて育ち、そのすべてがあたりまえのことであると信じ込んでいる傲慢な子供、そういうふうにしか見えない。

 しかし、あるいは、そのひび割れた仮面の下で、彼女は泣いているのではないか。寂しい、苦しい、と泣きじゃくっているのではないか。だれにも知られないまま、ひとり。

 この動画で描かれる「痛みの塔」とは、アイドルというポジションの隠喩であるようにも思える。ただでさえ孤高を保ちがちな伊織は、アイドルという仕事に就くことで、いっそう孤独になったのかもしれない。

 だれもが彼女を見上げるだろう。褒め称え、崇めさえすることだろう。しかし、はるかな高みへ上れば上るほど、偶像の孤独は募ってゆく。

 苦しい、とそう口に出すには誇り高すぎ、寂しい、とそう目線で知らせるには潔癖すぎ、そうして彼女はひとりになっていく。だれの手も届かない苦痛の塔の上にひとり座し、伊織は冷ややかに地球を見下ろす。

 きっとわたしは特別なんだ。だから、こんな景色にたどり着いてしまったんだ。そう心に呟きながら。

 どんどん高く、もっと高く、痛みの塔は積み上げられる。下界を睥睨できるほどに高く、苦しみの塔は築き上げられる。

 だれもが伊織を崇拝する。女王のように。女神のように。しかしだれも彼女がまだ小さな女の子であることに気づかない。天を衝く塔から地球を見下ろし、伊織はひとり涙する。そのしずくすら、だれにも届かない。

 いや、違う。そうではない。その証拠に、耳をすませてみろ、ちいさくちいさく、ひとの声がきこえてくる。はるか下界で人々が歌う声。苦しみの塔を突き崩そうとするハンマーソング。

 本当は皆、知っているのだ。伊織が切ないほどやさしい子であることを。ちょっとしたことで折れてしまうほど繊細であることを。

 見ろ、地球が近づいていく。人々の顔が見わけられる。春香がいる。千早もいる。そして無数の名もしれぬ人たちがいる。

 だれもが寂しがる必要はないと、ここに降りてこいと歌っている。いまや飛び降りられるほど近くまで迫った大地に、真っ二つに割れた仮面が落ちる。そうして伊織の足が地面につく。喝采が彼女を包み込み、いくつもの手がのばされる。

 偶像の孤独は癒された。ここに同じ道を往く仲間がいる。もう、寂しくない。苦しみの塔から地球に降り立った少女の物語は、いま、ここから、始まるだろう。

 あなたの知らない伊織が、ここにいる。