『竜馬がゆく』。

 いつも楽しく拝見させてもらってます。


 ブラッディマンデイについて、かねてから「主人公があれだけ格好良く描かれているのに、なぜ自分は格好良く感じられないのだろう」と疑問に思っていました。


 今回の記事を見て、なるほど!と目からウロコが落ちました。


 実は格好良さが感じられないことは司馬遼太郎著「竜馬がゆく」でもありました。周囲が「坂本竜馬はすごい!格好良い!」と言っていたのですが、私には竜馬の魅力がさっぱりわかりませんでした。


 幕末時代、動乱のさなかにあった土佐出身で、開国をひたすら目指していた坂本竜馬


 時代を見る目があったということはわかるのですが、果たして彼は「自分が間違っているかもしれない」と考えたことはあるのか?と思います。仲間の死に涙しても開国を目指す、その根拠(或いは自信)とは何かと。


 自分の行動によって家族に害悪が及んでいるにも関わらず、ですよ。


 実際の坂本竜馬が云々ではなく、あくまで「竜馬がゆく」の竜馬についての話です。また、竜馬が偉大であることを否定しているのではなく、感覚的に格好良いと感じられないことがモヤモヤするのです。


 「凡人には天才の考えがわからない」「女には男のロマンがわからない」「周囲に気を配っていたら、改革なんぞできない」となればその通りなのですが、何か、別の考えがありましたら教えていただきたいなという次第です。


 それではよろしくお願いします。

 『竜馬がゆく』は読んでいません。したがって、何もいえません。ただ、司馬遼太郎についてはたぶん次の記事で書くと思うので、よろしければ参考にしてくださいませ――と思ったけれど、盛り込めませんでした。すいません。