これはひどい! いま、よみがえる「Something Orange」過去の恥。


 消え去った過去ログをネットの廃墟に捜し求めていたら、とんでもないものが見つかったので再録しておきます。

 昔、ぼくが書いた古橋秀之ブライトライツ・ホーリーランド』の書評です。書評なのですが、こんなの、書評じゃないよね。とにかく、読んでみてください。ひどいから。

 入江さんが「海燕の最高傑作」と言っていたので、掘り返してみたのですが、最高傑作か最低駄作のどちらかであることは間違いないかと。いや、まるで書評の体裁をなしていないよ、これ。

 これはひどい

ブライトライツ・ホーリーランド (電撃文庫)

ブライトライツ・ホーリーランド (電撃文庫)

 サイバーパンク──それは20世紀終盤の1984年、ウィリアム・ギブスンがものしたSF長編『ニューロマンサー』の成功を皮切りにして始まった80年代SF界最大のムーヴメントである。

 本書『ブライトライツ・ホーリーランド』はそのサイバーパンクの作品史に新たな呪われた一頁を刻む古橋秀之の最高傑作、かれの異端の才能が世に産み堕とした黒く黒く黒い黙示録的傑作だ。

 本書を読むものは過剰に圧縮されオーバーフローを起こした情報の官能性に理性を吹き飛ばされ、あらしのごとく吹き荒れる怒涛の言葉のなかで溺死しかけることを代償に、至福と陶酔の桃源郷へと導かれる。

 そもそもそう書く私にしてからが、古橋の最新作『蟲忍』が内容的にも分量的にもあまりにも薄い作品だったためつい本棚からこの小説を手に取ってしまったのが運の尽き、疾走感あふれる呪術的な文体に魅せられてあっというまに最後まで再読する羽目におちいった身だ。

 まだ本書を読んでいない読者にひとつ警告しておく。これは就寝前の睡眠導入薬代わりに気楽に読んで心やすらかに一日を閉じることができるような代物ではない。なぜならこの本の正体は、小説の形をした黒魔術の夢にほかならないのだから。

 本書本文の最初のページをめくり、頭部のない機械の鷲を乗りこなす女法力僧と、彼女のからだにまとわりついては南無阿弥陀仏の名号を唱えながら蒸散していくグレムリンを目にしたとき、あなたは巨大積層都市〈ケイオス・ヘキサ〉のすみずみまで経巡るあともどりのきかない魔界行脚に旅立つことになる。

 『ブライトライツ・ホーリーランド』。これはかつてだれも見たことがないようなまったくあたらしいサイバーパンクノベルの曙である。

 前述したように、サイバーパンクの歴史は短い。ジェイムズ・ティプトリー・ジュニアの「接続された女」などの70年代の秀作の存在を無視することもできないにせよ、超サイエンス・フィクション的ムーヴメントとしてのサイバーパンクの始まりは、やはりギブスンが「クローム襲撃」を物し、リドリー・スコットが『ブレードランナー』を撮った頃に求めざるをえない。

 しかしそのわずか20年強の歴史のなかで、サイバーパンクは内外を問わずさまざまな、まさにさまざまな作品を生み落としてきた。

 日本でいえば古くは谷甲州『ヴァレリア・ファイル』や柾吾郎『ヴィーナス・シティ』、そして大原まり子の代表作『ハイブリッド・チャイルド』、最近作では『テクノゴシック』とも称された牧野修の「傀儡后」、そして冲方丁畢生の出世作マルドゥック・スクランブル』の名前がすぐに思い出される。

 それらはアメリカにおいて誕生し、ギブスンやスターリングの活躍によって発展をみたサイバーパンクを、「ニューロマンサー」冒頭の舞台でもあるこの国がいかに受容しいかに展開させてきたかを鋭く物語る傑作群である。

 しかしこれらの作品及び作家よりさらに重要なのが士郎正宗大友克洋の名前だ。

 『攻殻機動隊』と『AKIRA』を抜かしてジャパニーズ・サイバーパンクの歴史を語れるだろうか? 否、否、否。絶対に無理だ。

 特に士郎の『攻殻機動隊』はのちに押井守監督の劇場用アニメーション『攻殻機動隊』とその続編『イノセンス』を生み、太平洋を超えてハリウッドのサイバーアクションムービー『マトリクス』にまで影響をあたえたという一点において、きわめて重要な作品である。

 士郎のクールな想像力が誕生させた2030年の電脳東京は、ジャンルをも国境をも超えていまもさまざまな作品へ隠然と影響をあたえつづけている。

 したがって本書『ブライトライツ・ホーリーランド』のイマジネーションがどれほど漫画的に奔放であるとしても、実はそれはジャパニーズ・サイバーパンクにとって王道といえるものにすぎないのである。

 積層都市〈ケイオス・ヘキサ〉は生まれるべくして生まれたのだ。今回、物語は〈ケイオス・ヘキサ〉のはるか北東に出現した異教の魔神〈百手巨人〉によって、「機動折伏隊(ガンボーズ)」が全滅させられる衝撃的な場面から始まる。

 この危機的な事態を重く見た市政当局は最高議会を召集、〇・三秒の討議の末〈アザナエル〉の投入および「プロジェクト・トリニティ」の始動を決定する。

 そしてその一貫として、V系列妖術技官最後の一体ヴァアージニア・サーティーンは幾重もの強固な精神拘束を施されて積層都市の守護者「ブラック・ロッド」として稼動していた「嗤う悪霊」G・G・スレイマンを解放する。

 よろこべ、魔王の馬車を曳く黒犬ども、うたえ、地獄の魔神の異形をたたえる黒いつばさの堕天使たちよ、退廃の積層都市はその齢百年にしてついに最後の宴を迎えた。

 〈悪霊〉は野に放たれた。かれが通ったあと、いまだ百歳にすぎぬ若き都市は不毛の荒野へと返ることだろう。

 しかし魔戦のすえに荒野に残るものは? 「無」か? 否、「プロジェクト・トリニティ」は破滅のための計画に非ず、生誕のための祝祭にほかならない。

 そう、悪徳の都〈ケイオス・ヘキサ〉は、より高きものを生み出すための揺籃にすぎないのだ。そしていと気高きものの降臨は街に住むすべてのものを塵よりも細かく消滅させることだろう。

 未来はラプラスの悪魔が見る夢のように確定している。この絶望的事態にあって唯一の希望といえるのが実はスレイマンの存在だ。かれはありとあらゆる秩序を侵犯していく殺戮の神、「Ω」ともよばれるこの「愚弄者」は、本質的に「犯す者」である。

 かれはひとびとが抱えるささやかな幸福、退屈だがかけがえのない生活、他愛なくも真摯な夢、そのすべてを容赦なく凌辱していく。

 しかし、まさにそれゆえにこそかれG・G・スレイマンは、「混沌=ケイオス」の名を冠せられたこの街の申し子であり、そしてより高きものの出現を前にして滅びようとするひとびとの唯一の希望でもあるのだ。

 この絶望的矛盾。そう、人間性というものが、つまるところ秩序と無秩序のはざまにのみかろうじて存在を許される蜃気楼に似たものだとするならば、ひとを超越した完全なる秩序の誕生はすべての人間にとって虚無にひとしい。

 その意味ではスレイマンの狂気こそ「人間らしさ」だともいえるのではないか。

 作者はスレイマンとV13のカップルを中心にいくつもの視点を往来しながら、来臨前夜の殺戮劇を巧みに描きぬく。なんぴとたりとも正気をたもったまま見つめることはかなわぬ血と闇のオペラ。

 しかし、これこそが人間だ。動物の死骸を焼いて喰らうことを「美食」と呼び、精液と愛液を垂れ流す性器をこすりつけあってはそのただれた肉欲を「愛」と称する、薄汚くも醜悪な虫けらども──それこそが人間なのだから。

 この物語はたしかにおおいなる天上の存在の降臨の物語でもあるが、超越者の誕生を前にちっぽけなドラマを演じる人間たちの矮小な生の賛歌でもあるのだ。

 それにしてもいったいどんな暗い意思と悪魔的な才能がこのような物語世界を生み落としたのだろうか。巻末の著者近影を見てみよう。なごやかなはみかみを浮かべたひとりの男性が映っている。偽装だ(たぶん)。

 きっとかれはこのおだやかそうな笑顔の裏で、どうやってもっと無残な殺戮劇をくりひろげてやろうかと日夜邪悪な企みに余念がないにちがいない。

 さもなければ〈ケイオス・ヘキサ〉の赤い夜をああも軽快にえがき出しえようはずもない。たぶんいまこのときも古橋秀之はあたらしい地獄絵図の構想を練っているのだろう。

 しかし私はこの不世出の物語世界にすら完全に満足しきってはいない。この魔界絵図はいまだ未完成であるように思えてならない。たしかに情報の飽和と想像力の奔放さは充分、しかし惜しいかな、描写力はその域に達していない

 これはもっと緻密に描きこまれるべき世界だ。淀んだ大気のなかを舞う塵のひとつひとつを幻視させるような精緻をきわめる描写こそが、ありえざる魔都を読者の眼前に顕現させることだろう。もっと精密に描きこまれたこの世界が見たい!

 そう、私たちは最も狂信的な古橋秀之の信者であるがゆえに、かれにいま以上に凄絶なる未踏の領域への飛躍を期待せずにはいられない。

 そうだ、私たちは、古橋秀之ならばもっと軽快に、もっと凄惨に、もっと重厚に、もっとどす黒く、もっと淫蕩に、もっと濃密に、ともかくなにもかもより素晴らしく書けるはずだと堅く信じて疑わないのだ。それこそがわれらの読書本能に刻印されたゆるぎない信仰。

 そしてとうのむかしにケイオス・ヘキサを舞台とした三部作を貪り尽くした私たちの餓えた魂は、さらに貪婪にあらたなる生贄を希求してやまない。『サムライレンズマン』? 駄目だ。私らの求める古橋はあんなものではない。『蟲忍』? 物足りない。あっというまに読み尽くしてしまった。

 私たちが古橋秀之に求めるものは、質的にも量的にも『ブライトライツ・ホーリーランド』を上回るなにか、魔天にきらめく黒い星、昏いたましいを凝らせた宝石、かかわる者すべてを二度ともとの自分に戻れなくしてしまう魔性の落とし子、そういったものだ。

 麻薬中毒者が血中麻薬欠乏に苦しむように、吸血鬼が呪われた血の渇きにもだえるように、私たちはかれの小説の数少なさにあえいでいる。

 古橋秀之そのひとの新作だけが、この耐えがたい渇きを癒してくれるだろう。だから古橋秀之よ、はやく私に次の邪悪な傑作を読ませておくれ。

 それを読み終わるころにはまたもあらたな渇きに悩まされることになるとしても、私はそれを読んでみたいのだ。

 架空の魔都〈ケイオス・ヘキサ〉の瘴気は現実と虚構の境界線を越えて私の魂を呪縛している。いまこの時も私はもう一度あの混沌のなかへ戻っていきたくてたまらない。

 ゆえに古橋秀之よ、あたらしい魔術で私の心を深く深く突き刺しておくれ。『ブライトライツ・ホーリーランド』から3年。そろそろ後書きにある「ドロドロした感情」も溜まってきた頃合なのではないか。

 この世であなただけが架けられる漆黒の虹を、どうか古橋秀之よ、もう一度わたしたちの前に架けてみせておくれ。