「少女漫画」死すとも漫画は死せず。


 その名も『少女漫画』というタイトルの漫画を読んだ。

少女漫画 (クイーンズコミックス)

少女漫画 (クイーンズコミックス)

 おもしろい。『ガラスの仮面』、『パタリロ』などの名作少女漫画を作中に取り込み、現代を生きる女性たちの姿を活写した「メタ少女漫画」である。

 ぼくは特に『ガラスの仮面』を題材にした作品に感動した。上昇志向に燃える女子アナウンサーの物語なのだが、あえて北島マヤではなく、姫川亜弓に擬せられる女性が主人公に選ばれている。

 「女」を武器にしてのし上がっていくライバルに対し、彼女は自分の実力だけを支えに成長していく。その誇り高さ、まさに姫川亜弓さながら、というわけだ。

 この作品は、作品自体が少女漫画批評であり、少女漫画賛歌である。少女漫画のすばらしさが高らかに謳いあげられる。

 作者によると、この作品の制作の裏には、『YOUNG YOU』の廃刊があったという。いまなお読者に求められている雑誌が廃刊の憂目を見る、そのことに対する疑問が、彼女をしてこの作品を描かせたのだとか。

 「漫棚通信」では、この作品を次のように評している。

 それぞれお話の途中にはきびしい現実があっても、五作中一作をのぞいて、すべてラストシーンは大甘のハッピーエンドです。こんな甘いラストでいいのか。

 いいのです。

 全体のまとめとなる第六話「少女漫画家たち」の主人公(♀)は、デビュー五年目の少女マンガ家。「クール」で「作画技術とセンスは素晴らしい」けど売れてません。

 自分がどういうマンガを描けばいいのか悩む主人公は、「今時お姫様」の「予定調和のハッピーエンド」で「時代遅れの古くっさい」少女マンガが、「少女漫画のリアル」を持ち、「読者が喜んでくれる」ものであることを再発見していきます。

 しかし、じっさい、どうなんだろう。よしながふみが『モーニング』で描き、羽海野チカが『ヤングアニマル』で描き、樹なつみが『アフタヌーン』で描くこの時代、「少女漫画」にこだわることに意味があるのだろうか。ないのではないか、と思うのですね、ぼくは。

 「少女漫画の志」「少女漫画の精神」「少女漫画の技術」を受け継いでいくことには意味があるに違いない。また、この作品のなかで取り上げられているような過去の名作を未来に語り継いでいくことにも意味があるだろう。

 しかし、「少女漫画」というカテゴリを未来にのこしていく必要があるかというと、ちょっと疑問である。

 中野晴行の『まんが王国の興亡』を思い出す。電子出版で販売されたこの「本」には、漫画を年齢、性別ごとに分割して出版する従来の漫画出版への疑問が綴られていた。

 はじめに、「あまりにも多くの消費者に混乱して、マーケティングの手法が見えていない」と書いたが、混乱の原因はこの消費者構造の変化にあるのだ。
 魚釣りに例えるなら、どんな餌でも食いついていた魚たちは、それぞれに自分の好きな餌にしか食いつかなくなっているのである。それは、決してマニアックな餌ではない。むしろ、あまりに細かくセグメントされた状態に辟易している消費者群もいるのだ。先に紹介した『ジャンプSQ』の成功は、いくつものグループの中で「少年向き、これは少女向き、これはディーン向きといった線引きなしに面白いまんがを読みたい」という層をひきつけた、と言えるだろう。
 構造が変化しているのに、最大公約数がとれるような消費者構造を想定したままの、これまでと同じマーケティング手法をとっていたのでは、無駄な努力というものであろう。一見バラバラに見えるいくつかのグループの中にある共通の嗜好を導き出すことならできる。そこをうまく狙ってやれば、600万部は無理としても50万部程度の雑誌や単行本を送り出すことはできる。私は、これがまんが出版を救う処方箋になるのではないか、と考える。

 こういうことがいわれる時代に、「少女漫画」というセグメントは、既に過去のものになろうとしているのではないか、という気が、ぼくにはする。

 また、漫画雑誌出版そのものが危機にある、という情報は既に多方面から流れている。

 将来的に現行の漫画雑誌出版体制が崩壊し、別の形で漫画がやり取りされるようになった時、「少年漫画」「少女漫画」「青年漫画」「レディース漫画」といった年齢、性別に基づく区分は意味をなくすだろう。

 これは悪いことではないと思う。作品を年齢、性別に基づいて分けるセグメントが、作品にとって不利に働く場合もある、という実感が、ネットで作品を紹介しているぼくにはある。

 たとえば雑誌掲載時あまり好評でなかったという『Landreaall』の第13巻あたりの集団戦描写は、一定年齢以上の男性読者にならもっと熱く受け入れられたのではないか、と思うのである。

 ある作品が、ある年齢、ある性別向けとして扱われているために、本来、その作品を楽しむことができる読者に届いていないことがあるのではないか、という気がしてならない。もったいないことだと思う。

 話がずれた。ぼくがいいたいのは、「少女漫画」というカテゴライズは不滅ではないし、また不滅である必要もないのではないか、ということである。

 過去、「少女漫画」というカテゴリで生み出された作品がどれほどすばらしかったとしても、それはあくまで過去の資産である。未来には自ずから異なる方法論が必要になってくるのではないか。

 おそらく、2010年代は、漫画出版にとって、激変期になるだろう。その嵐を乗り越えたあと、「少女漫画」は古い概念になっているかもしれない。それでもかまわない、と思う。

 「少女漫画」死すとも、漫画は死せず。それでいいではないか。いや、漫画そのものが死なないという保証は全くないわけだけれど。