『サマーウォーズ』はアナログ賛歌か?


 せっかく起きたので、『サマーウォーズ』についてもう少し。

 この作品にかんしては、たとえばこんな見方があります。

 脚本の奥寺佐渡子は、舞台を仮想世界にするだけにとどまらず、現実社会にまで波及させる。それによって人間が機械に依存することの危険性を示唆(しさ)し、家族のきずなや人間同士の“生”のつながりの大切さに言及する。随所に盛り込まれた黒電話や手紙、(ネガフィルムによる)写真といったアナログな品々が心を和ませ、核家族が一般的になった現代において、90歳になる当主の栄(富司純子さん)を筆頭に総勢30人近い陣内家の面々が、主人公の高校生・小磯健二(神木隆之介さん)とともに活躍するというのも楽しい。

 はっきりそう書かれてはいないけれど、ネット時代、デジタル時代に「アナログ」や「人間同士の“生”のつながり」を称えた映画である、といった論調ですよね。

 ぼくはね、これ、違うと思うのですよ。というか、リアル/ネット、アナログ/デジタル、仮想世界/現実社会といった二項対立的な考え方そのものが既に古い。

 たしかに一見するとそういうふうにも見えかねないけれど、じっさいに作品を見てみれば、そういうテーマではないことは瞭然としているはず。

 ぼく自身は昨日書いた通り、この映画は、そういった二元論の次元を超えた、人と人との関係性の賛歌なのだと思っています。

 この作品には、「「つながり」こそが、ボクらの武器。」というキャッチコピーが付いています。

 この「つながり」とは、現実社会におけるつながり(家族)であり、仮想現実におけるつながり(クライマックスで発生する見知らぬ人とのネットワーク)のことでもあるのだと思うのですね。

 決してリアルな人間関係だけがのんきに礼賛されているわけではないし、ネットが一方的に糾弾されているわけでもない。

 たとえば、物語の中盤、陣内家の当主である栄おばあちゃんが、手帳と黒電話を用いて各方面に電話をかける場面がある。

 これもたしかに「デジタルの混乱を、アナログで収束させる」というふうに捉えられないこともない。でも、実はこの場面は90歳の彼女にとっての最先端のテクノロジーとネットワークを駆使しているわけです。

 メディアが黒電話であるか、仮想都市「OZ」であるかはたいして重要な問題ではない。重要なのは人間同士のつながり(ネットワーク)である、という主張がこの映画では一貫していると思う。その意味でこの映画はネット賛歌ですよね。

 だからこそ、クライマックスの場面で胸が熱くなる。かなりゆるいけれど、いい映画だと思います。もっとこういうアニメが増えたらいいな、と思うのですが。なかなか、ね。