『探偵小説は「セカイ」と遭遇した』。

探偵小説は「セカイ」と遭遇した

探偵小説は「セカイ」と遭遇した

 読了。

 大御所、笠井潔の探偵小説(本格ミステリ)評論集。と、まとめてしまうと、あるいは語弊があるかもしれない。本書の半分は、西尾維新を初めとするライトノベル(笠井がいうところの「ジャンルX」)について語っているからである。

 タイトルからもわかる通り、西尾維新佐藤友哉舞城王太郎といった若手作家を通してゼロ年代オタク文化と「遭遇」した探偵小説の事情が赤裸々に綴られている。

 これがめっぽうおもしろい。『AIR』やら『Kanon』やら、『イリヤの空、UFOの夏』やら、『新世紀エヴァンゲリオン』といったオタク作品と、『容疑者Xの献身』を初めとする探偵小説がパラレルに語られる構成は、笠井ならではのものだろう。

 というか、十年前にはまさか笠井がこんな論理を組み立てる日が来るとは想像もつかなかった。長生きはするものである。

 本書の読みどころは多岐にわたるのだが、ぼくが最もおもしろく読んだのは、「『容疑者Xの献身』論争」をまとめた第二部。

 この論争は二階堂黎人の問題提起に始まり、様々な方面に拡大していったのだが、本書には笠井がかかわった部分がすべて収められている。

 笠井は『容疑者X』は過大評価されていると断言し、その根拠を縷々と書きつらね、『容疑者X』絶賛派の論客を名指しで攻撃していく。その皮肉たっぷりの文章は本書最大の読みどころといえるだろう。

 具体的な笠井の論理展開にかんしてはネタバレなしでは書けないのだが、『容疑者Xの献身』を読んだひとはぜひ本書も合わせて読んでみてほしい。おそらく、この作品に対して新しい見方ができると思う。

 もっとも、笠井にいわせればそのような見方をすることこそが自然で、「本格の鬼」といわれるような論客たちがその点に気づかないことこそ異状ということになる。

 一読して感心させられるのは、笠井が、あくまでも「現在」を見つめ、保守や懐旧に回らないことである。

 笠井は二一世紀本格の指針となるべき作品として西尾維新クビシメロマンチスト』を挙げ、『容疑者X』よりもこちらの方がより時代精神を反映している、と明言する。

 そして、改革の精神を忘れ保守的になった(と、かれには見える)本格推理作家たち、かつての盟友たちを断罪し、かれがいうところの「探偵小説第三の波」は終焉した、とまでいい切る。

 これが二十代、三十代の若手批評家の言葉なら驚かないが、六十歳を過ぎてこういう行動を採るのだから、やはり凄い。並じゃない。

 おそらく、これは、探偵小説を超時代的に不変なパズル趣味の一種と見る読者には不評を買う思想だろう。本格作家は余計なことは考えずにパズルに専念していれば良いのだ、という考え方からすれば、笠井の思想は異端もいいところである。

 『容疑者X』をめぐる他の評論家の言葉は読んでいないからどちらが正しいかは判断できないのだが、どうも、笠井のいうことには一理あるように思う。それにしても、この人、後期〈戯言シリーズ〉をどう評価しているんだろ。

 八月の初めにいい本を読んだ。このブログのネタにもなりそうだし、良かった良かった。