女の子の半分はバランスで出来ている。


 またもラジオで話したことをまとめて記事のかたちにしてみたいと思います。

 何しろ8時間も喋ったので、書くことがたくさんあるんですよね。で、今回は「キャラクター」と「バランス」の話。

 この話の発端は、たしか、はしさん(id:hasidream)が『ちはやふる』を取り上げたところから始まったのだと思います。

 この作品の主人公、ちはやは、カルタに情熱を燃やす女の子です。しかし、じつは作中の男性人物にはあまり人気がない。なぜならちはやと付き合うことになったりしたら四六時中カルタの練習をする羽目になるから、という小ネタがあるのですね。

 つまり、彼女はひととしてのバランスがいちじるしく崩れている人物なのです。で、このバランスというものがキャラクターの魅力を決めるという側面があるのではないか、という話が出たのでした。

 といっても、良いキャラクターはバランスが取れている、という話ではありません。むしろその反対、魅力的なキャラクターとは、どこかバランスが崩れて歪んでいるものだ、という話です。

 もっとも、もちろんただ単に歪んでいるだけでは良くない。このことにかんしてはかんでさん(id:kande-takuma)が良いことをいってくれたのだけれど、優れたキャラクターとは、「バランスよくバランスが崩れている」ものだと。

 一例として『機動警察パトレイバー』の後藤と南雲が挙がったのですが、これは非常にわかりやすいサンプルだといえるでしょう。

 このふたりのうち、どちらがバランスが取れているかといえば圧倒的に南雲さんであるわけです。美人で、仕事ができて、気も利いて、と三拍子そろった人物で、ほとんど欠点がない。

 対して後藤さんは一見すると「昼あんどん」にしか見えない、しかしその実、内にかみそりのように怜悧な知性を秘めている、という「バランスの崩れた」人物です。

 それで、このふたりのいずれがより個性的かというと、個人の好みの問題はむろんあるにせよ、やはり後藤さんの方だと思うのですよ。

 かれのような「バランスよくバランスが崩れている」、つまり長所と欠点が個性的なかたちで均衡をなしている人物は、単にバランスよく能力が高い人物よりも個性的に見える。

 で、ひょっとしたら女性人物の方がよりバランスを要求されるのではないか、という話が出たのでした。つまり、女性人物は男性人物ほどバランスが崩れていることが許容されない状況があるのではないか、ということです。

 それは女性の方がよりきつい同調圧力に晒されているのかもしれない、ということでもあります。

 そして、そういう状況はバランスよく才能が均衡した「秀才」は生み出すかもしれないけれど、突出した個性をもつ「天才」を生み出しはしないように思うのですね。

 ある人物が「天才」であるためには、かるがるしく周囲に同調したり、空気を読んだりしていてはいけないわけですから。そういう意味で奇矯な天才タイプは、やはり女性人物には少ない気がする。

 しかし、一方で、それこそ『ちはやふる』とか、あと『のだめカンタービレ』のような作品を読むと、もしそういう状況があるとしても、それも過去になりつつあるのかな、とも思います。

 時代は良い方に変わりつつある。

 もちろん、その背景にあるものは女性の社会進出と、それにもとづく社会の変容でしょう。それを受けて、たとえば二○年前に比べて、フィクションにおける女性像はあきらかに多様化しているように思えます。

 斎藤美奈子に『紅一点論』という、アニメ/伝記における女性像を分析した本があるのですが、この本では、「男の子の国」の物語における人物は、「たくさんの男性と少しの女性」から構成される、という意味のことが書いてあるのですね。

 しかし、仮にかつてそうであったとしても、現代においては既にそうではないはずです。そういう意味では、アニメも進歩しているのだな、とあらためて感じます。

 ただ、それでもなお、いまの社会と、物語に、性差を巡る問題が皆無というわけではない。さらに改善が進むことを祈ることにしたいと思います。

紅一点論―アニメ・特撮・伝記のヒロイン像 (ちくま文庫)

紅一点論―アニメ・特撮・伝記のヒロイン像 (ちくま文庫)