アーティストブロガーとジャーナリストブロガー。


 どもども、皆さまのおもちゃ、ネットのピエロ、お笑い系ブロガーの海燕です。

 今日も昼間から暇があるのでだらだらと中身のない記事でも書いて時間を潰そうと思います。いや、ひとの作業が終わるのを待っているんですけどね。

 お前いつも暇じゃないかと思われる方もいらっしゃるでしょうが、そんなこともないんですよ。ただ、恋人もいなければ他に趣味もないので、時間があるときはひたすらこの日記を更新しているというだけの話です。寂しい人生ですね。ほっとけ。

 ま、でも、いくら無趣味とはいえ、それだけだったらこうも頻繁に更新したりしないわけで、やはり書くことが好きなんだろうな、と思います。

 サマセット・モームだったかな、水とパンと図書館だけあれば生きていけるといったひとがいましたが、ぼくも水とパンと図書館にネットだけあれば楽しく生きていけると思います。

 ここらへんが敷居さん(id:sikii_j)あたりと違うところなんだけれど、ぼくは畢竟、「書くことそのもの」が好きなんですね。

 書いたものをネットに載せることも好きだけれど、それはいわばおまけであって、正直いってその記事に付きまとう毀誉褒貶にはあまり興味がない。書き終えてしまった時点で興味は次の記事へ移っているわけです。

 このあいだ逢ったとき直接聞いたところによると、敷居さんの場合は、これが逆みたいですね。「伝えること」が目的であって、「書くこと」はそのための方法に過ぎず、苦痛ですらあるという。

 書くことが辛いなら書かなければいいようなものだけれど、書いたものが伝わって波紋を描いていく、その喜びがあるから帳尻は合う、ということらしい。

 世の中には色々なひとがいるものです。

 もっとも、ぼくも敷居さんも大別すれば同じタイプになると思っています。

 これも敷居亭に行ったとき話したことなんだけれど、ブロガーには「天才型」と「秀才型」がいると。

 天才型とは書くものが自然におもしろく、独創的になるタイプのことで、秀才型とはそうなるよう意図して書かないとおもしろくならないタイプ。

 で、ぼくもぼくも敷居さんもあえていうなら「秀才型」だと思うんですね。

 ま、天才とか秀才というといかにも偉そうですから、ここでは前者を「アーティスト型ブロガー」、後者を「ジャーナリスト型ブロガー」と呼びたいと思います。

 前者にとってブログは自己表現だけれど、後者にとっては報道なんですね。

 もちろん、そう綺麗に分かれるものじゃないだろうけれど、大まかにはそういうふうに分けることができるんじゃないかと。

 Cさん(id:hajic)辺りは典型的な「アーティスト型」だと思うんだけれど、記事を読んでも何を考えて書いているのかよくわからない(笑)。

 小手先の技術で書いているわけじゃなく、本人の人柄が自然と記事ににじみ出ているからそういうふうになるになるんでしょうね。

 ようするにブログの記事だけがおもしろいわけじゃなく、本人の存在そのものがおもしろいんです。ちょくせつ本人と逢って話してみても何かおもしろいもん。

 それに対して、ぼくなんかは本人はあまりおもしろくないし、おもしろいことを考え付きもしないんですね。

 特別才能もないし、頭が良くもないし、個性もない。そんなに強烈なパーソナリティじゃないんですよ。つよく自己表現しようにも、その「自己」が薄い。

 いや、たぶんこの日記を見ているとそれなりに愉快な個性があるように見えるだろうけれど、それは演技です(笑)。キャラを作っているだけです。

 ひとからどう見えるのかはわかりませんが、リアルのぼくはネットよりはるかに淡白な人間だと思っています。そのままの人格で書いてもおもしろいものにならないので、キャラを作って書いているわけです。

 だから、本質的にはぼくの内面は空っぽなのだと思う。激しい情熱とか、葛藤とか、あまり縁がない。ただ、それでも、「おもしろいものを紹介すること」はできるので、そうしているつもりです。

 まあ、自分でも気づいてないイタイところはいくらでもあるでしょうが。それはまたちょっと別の話。

 だれとはいいませんが、ネットを見ていると、強烈な自我を持て余し、それをネットで発散しているように見えるブロガーのひともいます。そういうひとは「アーティスト型」である可能性が高いんじゃないかな。

 もちろん、その印象そのものが作ったものであるという可能性もありますが。ひととは、そう簡単に理解したり推察したりすることができるものではありませんから。

 ブロガーの皆さん、あなたは自分をアーティストタイプだと思いますか? それとも、ジャーナリストタイプだと思いますか?

 ひとつ考えてみてはいかがでしょうか。