わたしはバカになりたい。


 「唐沢俊一検証blog」でも少しふれられているけれど、ルポライター大泉実成さんが『ヱヴァ:破』の感想でこんなことを書いている。

 このように、エヴァという作品は実はとてもわかりやすいんじゃないかと思う。それは庵野秀明のわかりやすさに起因しているはずである。ここで竹熊さんと以前やった「オタク顕教」「オタク密教」という話を思い出すと、顕教徒としての庵野秀明は自分の弱点を堂々とさらしながら、ここまでの作品を作っているということになる。体をぶつけるようにして物語を作り、そして自分の持ち味である特殊効果の能力を最大限に生かそうとしている。じゃあえらそうにしていた密教徒の人たちは、いったい何をしてるんだということになる。ダイエットしてるだけじゃなあ。

 いうまでもなくさいごのくだりは岡田斗司夫さんのことを指しているのだと思う。

 岡田さんは『エヴァ』を巡って大泉さんとトラブルを起こしている。『エヴァ』放送後、綾波レイに入れ込んでいた大泉さんを雑誌で揶揄し、けっきょく謝罪することになったらしいのだ。

 「らしい」と書くのは当時の事情を直接に知らないからで、この件についてはあまり書けることがない。ただ、岡田さんは竹熊さんとも別件で似たようなトラブルを起こしているわけで、懲りない人なのかな、とは思う。あまりひとのことはいえませんが。

 ここで大泉さんが使っている「オタク密教」とは、その竹熊さんが作った言葉である。

竹熊 昔から僕が提唱している概念なんですけど、なかなか受け入れられない(笑)。要は、どんな宗教にも顕教(表の教え)と密教(裏の教え)があるように、オタクにも顕教密教があるということなんです。顕教を、例えばアニメギャルに本気で萌える人たちだとすると、密教というのは、別に萌えてなくとも、「萌え」で商売できる人たち。

 続けて、その密教徒の代表が岡田斗司夫だ、と語っている。大泉さんの「密教徒は何をしているのか」とは、これを受けた発言なのである。

 大泉さんのいいたいことはわかる気がする。『エヴァ』放送時、作品や、作品に熱狂する竹熊さんや大泉さんを、シニカルに眺めていたのが岡田さんであり、そして唐沢俊一さんだった。

 それから十余年が過ぎ去ったいま、庵野さんは映画監督として大きく成長し、すばらしい作品を作っている。それに対して、岡田さんたちは何を成し遂げたというのか。ダイエット本を出して当てたというだけでは、いかにも小さい。そういいたいのだろう(間違えているかもしれないが)。

 ぼくも「顕教徒」なので、この言葉には共感する。

 過去にも何度か書いたことだが、やはり「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」*1、自分の弱さ、小ささ、愚かしさをかくさずに公開し、それときちんと向き合う人間だけが、大きな仕事を成し遂げられるのだと思う。

 自分の弱点をかくして、ひとを非難していれば、それは安全だろうが、いつまでもその弱点が改善されることはない。痛くても、辛くても、傷口を風にさらす覚悟が必要なときもあるのだ。

 ぼくはそういう真似をやってのけるひとを尊敬する。自分にはなかなかできないことだから。しかし、筋金入りの「密教徒」から見れば、そういう人物は「バカ」でしかないだろう。

竹熊 (中略)顕教オタクというのは、基本的に密教から見ると恥ずかしい存在なんです。バカの集団に見える。

 だが、クリエイターとして大成するためには、どうしてもその「バカ」にならざるをえない。賢い批評家の自分を維持したまま真のクリエイターになることはできないのだ。

竹熊 (中略)クリエイターってさ、ある意味バカになって、ノーガードで自分の実存をぶつけなきゃいけないところがあるでしょう。そこがお客を感動させる原動力にもなる。批評の対象になることを恐れてはならないというか、作品を世に問う最後の段階では、あえて考えないようにしないといけない。その反面、批評家タイプの密教オタクって、他人の作品にはあれこれ突っ込むくせに、自分が批評の対象にされるのは嫌なわけですよ。これはまあ自戒も込めて言うわけですが。

 庵野秀明はその意味で「大バカ」だったといえるだろう。かれは自分の実存を一切かくすことなく世間に晒し、『エヴァ』を生み出した。

 そのときは色々と非難もされたし、傷つきもしただろう。しかし、それから十数年が過ぎたいま、だれの眼にもわかるほど大きく成長している。そのことは『ヱヴァ:破』を見ればあきらかだ。

 「バカ」は偉大だとつくづく思うのである。岡田さんにしろ、唐沢さんにしろ、「オタク」にはなれても「バカ」にはなれない。「あえてバカのふりをする」辺りが精々だ。そこにひとつの限界がある*2

 それでも評論家としての岡田さんを評価するひとは大勢いるだろうが、最近の唐沢さんを擁護するひとは、もはやほとんどいないのではないだろうか。

 ぼくはいいたい。「バカ」は格好いいと。漫画バカ、アニメバカ、特撮バカ、映画バカ、フィギュアバカ、あるいは将棋バカ、野球バカ、美術バカ。何でもいいが、とにかく「バカ」といわれるほどになることは並大抵のことではない。

 もちろん、「バカはバカにされる」。しかし、他人にバカにされることがどれほどのことか。そしてまた、ひんぱんに他者をバカにするひとがじっさいにどんな凄いことを成し遂げているというのか。

 わたしはバカになりたい。

*1:そういう意味じゃないとつっこまないでください。知っています。

*2:クリエイターになれ、といっているわけではない。