女の子だって権力がほしい?


 11日のラジオは「恋愛と女性人物」というテーマで、恋をして「格」が落ちたと思われる人物とそうではない人物を対比しながら取り上げる予定だ。

 『花咲ける青少年』のナジェイラは前者の代表である。彼女は中東の小国ラギネイの王女で、生まれつき予知能力を持つ倣岸不遜な聖少女であった。

 しかし、クインザという男に恋をすることによってその力を失い、うろたえることになる。そんな彼女を見たある人物は思う。

これは…驚いたな これが本当にあのナジェイラか ない物ねだりのただの小娘にもどってしまって 心のより所を失った人間というのは脆い物だ

 傲慢で神秘的で聖少女から「ない物ねだりのただの小娘」へ。初登場時に比べて、完全に「格」が落ちてしまっている。こういう変化を、ここでは仮に「堕落」と呼ぶことにしよう。

 「堕落」の構造にかんしては、かんでさんのブログのコメント欄で巧くまとめている人がいるので、引用させてもらう。

記事を読んだ限りで判断しますと、

1、物語のテーマがヒロイック
2、女性キャラの個人目的も当初はヒロイックなもの
3、それが作中において恋愛する(ここで格を落とす可能性が発生)
4、その人物の中で「当初の目的<恋愛(個人の幸福)」となる

となると魅力が無くなる、という話ですよね?
ヒロイック=大局的な目的、と言い換えてもいいでしょうか。

 これがすべてではないが、ひとつのパターンとしてあるだろう。

 しかし、そもそも「格」とは何だろうか。かんでさんはこう定義している。

 ここで言う「格」とは、物語の中での、(おもに)主題に関しての登場人物の言動の(読者を含む)他者に与える重みの度合い、と言い換えられるものだと私は理解しています。

 例えば、アルド・ナリスにしても、オスカー・フォン・ロイエンタールにしても、他者に対して思わせぶりな発言をしても無視されず、むしろ、強烈な印象を残しがちなんですよね。そういうキャラを便宜上「格」が高いと定義しています。

 ぼくの言葉で捉えなおすなら、「その人物が他者に与える印象や影響の重さ」ということになるだろうか。

 ナジェイラの場合、初めは読者を含む他者に対して強烈な印象を与えていたものの、物語が進むにつれどこにでもいる「ない物ねだりのただの小娘」へ「堕落」してしまったわけだ。

 「格」の高低は人物同士が何らかのかたちで関係したときにあきらかになる。

 より「格」が高い人物はそれが低い人物と対決しても本気にならず、余裕をもって相手をした上で、一方的に利用したり翻弄したりすることができるのである。

 クインザとナジェイラの例でいうと、クインザは目的のためナジェイラを徹底的に騙し、偽り、利用する。このとき、ナジェイラはただひたすら利用されるだけで、クインザに一矢報いることすらできない。

 騙されていることに気づいたあとも、かれへの想いを振り切ることができず、そのまま利用されつづける。そして、クインザはさいごまでナジェイラにその本性を見せることはない。

 これが「格」の違いである。

 初め高い「格」を備えているように見えたナジェイラは、クインザとかかわることによって、劇的にその「格」を下げたのだ。

 樹なつみ作品の女性人物は、しばしばこういうふうに「堕落」する。ここまでわかりやすくはないが、『OZ』のヴィアンカなども同じパターンだろう。

 ぼくはこういう展開がざんねんでならない。「恋愛という試練」を経ても「堕落」せず、高い「格」を維持する女性人物を見てみたいのだ。

 もちろん、既存の作品にもそういう人物がいないことはない。たとえば、田村由美の名作『BASARA』の主人公、更紗である。

 暴虐な「赤の王」によって兄タタラを殺された更紗は、男装してタタラを演じ、「赤の王」を破るべく活躍する。

 ところが、運命的な偶然から、そうとは知らないままに「赤の王」その人と恋に落ちてしまう。

 やがてあきらかになる真実。衝撃を受けた更紗は、いったんタタラであることを捨て、更紗に戻るものの、仲間たちを見捨てることができず、ふたたびタタラの仮面を被って「赤の王」とたたかう。

 この場合、更紗は恋をしてもその恋に溺れることはない。革命軍のリーダー、タタラであることが彼女を縛りつづけるのである。恋愛よりも大義の方が優先順位が高い状態が続く、と見ることもできる。

 そして、さいごのさいごで更紗はタタラの仮面を捨て、「赤の王」と結ばれる。非常に感動的な結末ではあるのだが、この結末は、更紗にとってタタラであることは可能なら捨て去りたい重い義務に過ぎなかったということを証明しているともいえるであろう。

 更紗は民衆や仲間のためにタタラの仮面を被ったに過ぎず、決して主体的に権力を望んでいるわけではないのである。

 つまり、「タタラ=偽装=義務=仕事=パブリック」と「更紗=本性=権利=恋愛=プライベート」とが対立する状況が続いた挙句、さいごには「更紗」を選んだことになるわけだ。

 これはこれできわめて魅力的なキャラクターで、とても「堕落」したとはいえそうにないが、ぼくは自ら望んで「タタラ」であろうとする女性人物も見てみたいと思う。

 自らの意思によって地位を望み、自らの力でその地位まで成り上がり、私の幸福よりも公の大義を優先するような女性*1

 べつだん、そういう女性が恋愛至上主義的な女性より偉いとか正しいと思っているわけではない。ただ、そういうひと「も」いた方が、物語は豊かになると思うのである。

 恋愛志向型の生き方があってもいいし、大局志向型の生き方があってもいい。もちろん、その両方を欲張りに求める生き方もかまわない。

 「女の子だって権力がほしい!」とばかりに大局志向的に行動する少女を主役にした少女漫画とか、読んでみたいと思いません?

 売れないかなあ。

花咲ける青少年 Vol.1 [DVD]

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BASARA (1) (小学館文庫)

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*1:医龍』の加藤先生は近いかな。でも、いまのところ、「恋愛という試練」を経ていませんね。