おそろしい子!

 はじめまして。いつも楽しく拝見させていただいております。あきらと申します。

 以前から拝見させていただいておりましたが、この春の海外赴任に伴い、海外発送料の関係から今までのようにBK1Amazonで思うつくままにポチる事ができなくなり、欲しい本を厳選する必要に迫られ、はずれを引けない状況で海燕さんのレビューは大変参考となり感謝しています。

 特に『赤めだか』は秀逸でした。以前から面白い本である事は聞いていましたが、3/10のブログの志らくの真打ち昇進の時の会話の引用にはポチるための背中を押してもらえました。すばらしい本との出会いは、時に人との出会い以上のものがあると思います。今後もこのようなすばらしい本を是非紹介いただけるようお願いします。

 さて、『恋が女をダメにする」の記事も大変興味深く読ませて頂きました。

 たしかにご説ご尤もと拝見しました。

 少年漫画では、主人公(多くの場合少年)の成長に重きが置かれるため、恋愛は成長の糧として描かれるのに対して、少女漫画において恋愛というのは絶対至高であり、そもそも恋愛こそが人生という主人公に恋愛以上のものが存在しないのかもしれません。

 漫画の枠を超えて考えてみると、初期の宮崎アニメ、コナンやラピュタなどに見られるような、"少年が好きな女の子を助けるついでに世界までも救ってしまうストーリー"が成り立つにのに対して、女性が恋愛をそれ以上に昇華させるストーリーというのは難しいように思います。本来崇高である自己犠牲も、女性キャラクターが行うと近視眼的な物になりがちですね。

 そんな中で私は恋愛を至上主義の罠に嵌らなかった女性として『ガラスの仮面』と『エースをねらえ!』を挙げたいと思います。

 ガラスの仮面において、主人公北島マヤと紫のバラの人速水真澄の恋愛は物語の中核をなす要素の一つです。にもかかわらずマヤは恋愛に引っ張られる事なく、(時に陥りそうになることもありますが、)役者の究極の形である紅天女を目指して自己を高め続けます。少女漫画の王道を何十年も歩み続ける物語でありながら「恋愛至上主義の罠」に陥らない希有な存在であると思います。

 エースをねらえ!においても、主人公岡ひろみと先輩藤堂貴之との恋愛は物語を通して描かれるストーリーの重要な要素の一つです。(もう一つ岡ひろみとコーチ宗方仁の恋愛を超えた愛はストーリーの根幹をなしているのですが、論旨から少し外れるのでおきます。)しかしストーリーの中でこの恋愛は人格を高めるための要素として描かれており、やはり「恋愛至上主義の罠」におちる事はありません。

 どちらも演劇、テニスというもう一つの世界があって、広く支持されている作品であるという点はのだめやハチクロと共通ですね。

 プールサイドで日光浴をしながら考えた事をつらつらと書かせていただきました。

 今後も楽しい記事とすばらしい作品の紹介を楽しみにしています。

 『赤めだか』は素晴らしかったですね。ぼくはあれで落語に目ざめました。実はちょうど明後日に談春さんの落語を聴きに行く予定だったりします。非常に楽しみです。

 さて、『エースをねらえ!』と『ガラスの仮面』の件ですが、前者にかんしては読んでいないので何ともいえません(あきらかになる基礎教養の欠如!)。

 後者はたしかに恋愛至上主義とは少し違いますね。マヤが恋のために演技を捨てるところなど想像もできません。いいかげんあのふたりもくっついてほしいものですが(笑)。