作家は言い訳してもいい。


 安彦良和に『王道の狗』という漫画がある。

王道の狗 (1) (JETS COMICS (4221))

王道の狗 (1) (JETS COMICS (4221))

 なかなか興味深い作品であるようだが、今回取り上げるのはその内容ではなく、あとがきの方である。

 このあとがきのなかで、NHK衛星放送の番組『BSマンガ夜話』におけるいしかわじゅんの発言に対する反論が縷々述べられているのである。それがおもしろい。

 もっとも、ぼくは該当の番組を見ていないので、安彦の反論が正当かどうかはわからない。

 ぼくがおもしろいと思うのは、安彦ほどの有名作家が、自作に寄せられた批判に対しむきになって反論しているという事実である。

 こういうふうに書くとネガティブな意味に受け取られるかもしれないが、ぼくは決して安彦のその行為を非難するつもりではない。むしろ、一作家として安彦の態度は悪くないと思っている。

 あとがきという場をそのために用いることの是非はともかく、ある批判に対して作家が「言い訳」すること自体は全く問題ないと考える。

 ネットには安彦の行為を否定的に見る意見もあるようだが、ぼくはそういうふうには考えない。

 安彦は書く。

『王道の狗』のためのあとがきとしては、激しく脱線したものになるが上記のいしかわ氏の『批評』は、的外れを超えている。いわば言いがかりに近いものといっていい。漫画であれ何であれ、作品という物は創り手にとって我が子のようなものだ。我が子が往来でどこかの悪ガキにいいがかりをつけられたら、傍にいる親はその悪ガキを張り倒したくなる。いや、多分張り倒すだろう。大人気ないという非難を甘んじて受ける気があれば、だ。
 大人げないと言われても構わないから、ここで僕はいしかわ氏を張り倒す。

 作者として作品を擁護することを我が子を守ることにたとえている。

 これは、たしかに異論の出そうな意見だ。作家たるもの、他人に何と非難されても真摯にそれを受け止めるべし、という考え方が一方にあるからである。

 しかし、ぼくは安彦の意見に納得する。そうだ、作家は、だれかの非難によって自分の作品が汚されたと感じたら、どんどん反論してかまわない、そう考える。

 自重する必要などない。いや、現実的利益を考えたら自重した方が得策である場合が多いだろうが、利益なんて知ったことか、自分は反論したいのだ、と思ったら、反論すればいい。そこで踏みとどまらなければならない理由はないように思う。

 ただ、その反論が受け入れられるかどうかは別の話になるだろう。

 じっさいに安彦はそうしているのだが、ある批判的な「読み」に対する最も真っ当な反論とは、別の「読み」を提示することである。

 その「読み」とは異なるもうひとつの「読み」を示して、そちらの方が正当性がある、あるいはおもしろい、と示せたなら、反論は成功したことになる。

 もちろん、作者の「読み」が絶対に正しいという保証はない。創り手としての立場を離れて自作を「読む」とき、作者ですら読者のひとりであるに過ぎない。

 しかし、逆にいうなら、それは、作者もまた単なる一読者として、自作の「読み」を巡る議論に参戦してもかまわないということである。

 作者だから自分がいちばん深く読めているといいはらないのなら、作家の「言い訳」は完全に正当なのだ。

 そういう意味で、作家は読者の批判を全面的に受け入れろ、反論するなどもってのほか、という意見は問題だと考える。それはひとつの言論の可能性を封殺する思想ではないか。

 作家は「言い訳」してもいい。いや、むしろ、どんどん「言い訳」してもらった方がおもしろいことになるとぼくは思う。ま、なかなか現実にはむずかしいでしょうが。