恥をかく人生を選べ!


 今週の『ヤングアニマル』はおもしろかった。

 やはり『ベルセルク』と『3月のライオン』、主軸連載が二本とも載っていると雑誌の格が違う。『自殺島』もここに来ていよいよ盛り上がってきているし、『うそつきパラドクス』は一々エロいし、うん、最近の『アニマル』はお奨め。

 さて、今回取り上げるのは羽海野チカ3月のライオン』。

 前号、前々号で、主人公はある先輩棋士との勝負に敗れ、視野狭窄に陥っていた自分を思い知らされて、思い切り恥をかいた。今号はそのことを受けて、恥をかくことの意味を語っている。

 どんな奴でも一線でやっている奴で恥をかいたことのない奴なんていない、という意味の台詞が熱い。全くその通りだと思う。

 その分野の最前線でたたかう人間は、その過程で、必ず誤り、失敗し、自分の限界を思い知らされているものなのだ。それが、一流をめざす者が払わなければならない代償だ。

 それでは、恥をかきたくなければはどうすればいいのか。簡単である。何もアクションを起こさなければいい。何ひとつ行動せず、他人の行動を批判していれば、自分は一切傷つかず、万能感を得ることができる。

 しかし、長いあいだそういう状況にいると、ひとは確実に腐っていく。ペトロニウスさんが良くいうところの「ナルシシズムの檻」である。

 そして、安全なところから他人を揶揄し、冷笑し、嘲弄することに慣れてしまった者は、自分がそうされることが怖くなる。だから、人生のプロセスのなかで、適度に恥をかいていくことはどうしても必要だと思うのだ。

 もちろん、そのときは痛いし、辛いし、二度とこんな目に遭いたくないと思うのだけれど、ひとはそうやって成長していくしかないのではないか。失敗することができるのは、失敗のリスクを犯した人間だけなのだから。

 その意味で、ぼくは、安全なところで無傷でいる人間よりも、最前線で傷だらけになっている人間を尊敬する。

 ただ、これもこのあいだいずみのさん(id:izumino)たちとラジオでちょっと話したことだけれど、リスクを犯すことを過剰に美化することも良くない。

 リスクを犯すことそのものを称揚しすぎると、自分はリスクを犯しているのだということを免罪符のように考えるようになってしまう。

 あたりまえだが、リスクを犯すことそのもの、恥をかくことそのものが目的ではないのだ。目的は他にあって、そのプロセスのなかでリスクを犯すことを怖れないことが大切だ、というだけのことだ。

 ぼくは「唐沢俊一検証blog」に日参していて、唐沢俊一というひとがなぜああいうふうになってしまったのか、と良く考える。

 それは結局、自分自身の欠点を認めることなしに他人のことばかり批判してきたからではないか。

 「検証blog」によると、唐沢さんは富野由悠季手塚治虫、あるいはイチローといった一流の人物を捕まえて片っ端から非難している。

 自分自身の仕事と比較することなしにそういうことばかりやっていると、だんだんそれだけで自分が偉いように思えてきてしまうと思うんだよね。

 唐沢さんが所属すると学会には、自分たちはトンデモという「鳥」を観察する「バードウォッチャー」の集団だ、という考え方があるそうだけれど、自身を一羽の「鳥」と考えることなしに「バードウォッチング」を続けていると、ひとの精神は頽廃していくのではないか。

 常に自分自身もまた一羽の「鳥」であることを認識していることが大切だと思う*1

 長くなった。しかし、ぼくのいいたことは単純である。傷つくことなく、恥をかくことなくいると、ふしぎとそのひとの精神は頽廃する。だから、そう、恥をかく人生を選べ! そういうことだ。

 もちろん、自分自身に向けていっているのである。根性なしだからね。

3月のライオン (1) (ヤングアニマルコミックス)

3月のライオン (1) (ヤングアニマルコミックス)

*1:余談だが、そういう意味では山本弘というひとはおもしろい。自分自身が作品を発表している立場で、他人の作品をああも腐すことができるひとは少ないと思う。

 普通なら自分の作品を振り返ってそう強くはいえなくなりそうなものだ。良くも悪くも確固たる価値観が確立されているのだろう。