レビューの価値。


 折りたたみ。

はじめまして。

「漫画は読者に挑戦する。」の記事を読みました。

・つまり、馬鹿はレビューをするなというわけですね?(笑)

という私の「読み」も海燕さんからすれば「浅い」ものだと思われるでしょうが・・・。

・私は頭の出来が悪い人間なので作品を作品に接する時に苦労します。

以前はすらすらと手早く読んで「面白い」か「つまらない」かの二択で作品に対する評価を決めていたのですが、いつからか「自分は本当に読めているか?」という悩みを抱き始めました。

自分は本当に理解できているのか?

記憶できているのか?

伝えたい事を分かっているのか?等など。

考えれば考えるほど自分は読んだつもり、楽しんだつもり、理解したつもりになっていただけなのでは?と思うようになり、どうすればいいのかと頭を悩ませました。

答えは見つかりませんでした。

酷い時は「どうせ自分では理解できないのだから・・・」と作品に触れる事に恐れを感じるようになっていました(苦笑)。全く自分の頭の悪さには辟易します。

今でも悩みは続いています。

最近では開き直って「理解できなくてもいいじゃん。楽しめればそれでOK」という態度で臨むようになりましたが、先ほど記事を読んでグラつきました。

特に、

>本来、十の魅力がある作品を、一しか読み込めなかったら、それは読者の責任というべきである。

この一文にはぐぅと唸らされてしまいました。

私は責任を果たせていない。

果たす方法を知らずにいる自分が情けない。

どうすればいいのかも分からず、びくびくと作品に触れては「面白い」か「つまらない」としか言えない。

その作品のどこがどう面白いのかも読み終わった後もよく分かってないまま・・・。

・自分は何で作品を読んでいるのだろうかとよく考えます。

理解するため? 頭に残すため? レビューを書くため? 他人に語るため? 本を読むという行為に酔うため? 見栄を張るため? とりあえずなんとなく?

一番大切なのは「楽しむため」だと思いますが、自分の「読み」が不十分だとそれも叶わず。

>あるいは、漫画だけではなく、すべてのアートにいえることかもしれない。本当の意味で「鑑賞」するとは、おそらくそういうことである。

自分は満足な「鑑賞」が出来ないのかなぁと思うと作品に触れる事に意味はあるのか? と憂鬱になります。馬鹿にアートは分不相応な娯楽なのでしょうか?

>読者は漫画を評価する。漫画は読者に挑戦する。だから、漫画を読み、その内容を解き明かすということは、漫画と読者との真剣勝負だ。

勝てる気がしません。

拙い文章を長々と失礼しました。

それでは。

 個人で読むぶんにはどう読もうと勝手だと思いますよ。世紀の傑作を腐すのも、希代の名作を放り投げるのも勝手。ただ、公的な場所で発言するなら、その発言にかんする責任が生じる。それだけのことですね。

 もちろん、おもしろい、つまらないは個人の主観ですから、どう発言しようと問題ありません。しかし、その作品にかんする批評的読み込みとなると、当然、他のあらゆることと同じく、その浅深は見えてくると思います。

 ぼくの「読み」にしても、浅いとか甘いと感じるひとはいるでしょう。ぼく自身、常に作品を十分に読みこめている自信はありません。大切なのは、そのことを自覚した上で、より良い「読み」を求めていくことではないでしょうか。

 そんなことは面倒だ、自分がどう読もうと自分の勝手だ、というのなら、そのひとの発言には公的な価値はないと考えます。それは、自分は他人の作品を評価しながら、自分の発言をひとに評価されることは厭だ、といっているに等しいわけですから。