いまさらになるが、ペトロニウスさんのこのせつ(このか×刹那)、せつあす(刹那×明日菜)の記事がおもしろかった。
内容を要約することはむずかしいので、ぜひ、リンク先へ飛んで読んでみてほしい。
で、ぼくは別の側面から先々週の『ネギま!』を語ってみようと思う。「人間らしさ」とは何か、という話である。
先々週の『ネギま!』は、敬愛するこのかとの幸福な生活に慣れた刹那が、自分はだらけてしまって弱くなっているのでは、このままではこのかを守り抜けないのでは、と悩むという内容であった。
そもそも、刹那という人物は、何か暗い過去をもっているらしく、冷酷非情な内面のもち主だったようである。しかし、ネギやこのかと楽しく暮らすうちに、次第に人間らしく変わっていく。そのことが自分を弱くさせているのではないか、と彼女は悩むわけだ。
しかし、そもそも「人間らしさ」とは何だろう?
ここで突然話が変わるのだが、山本弘に『アイの物語』という小説がある。人間が生み出したマシンが世界を支配する時代を描いたSF小説である。
この作品のなかで山本は、マシンの方が人間より倫理的に正しいというテーマを打ち出している。
感情に揺り動かされ、その時々で悪に走ることもあるヒトよりも、マシンは優れているというのだ。
だが、ぼくがこの小説を読んで思ったのは、常に画一的な倫理にしたがって行動するような存在の、いったい何がおもしろいのか、ということだった。
なるほど、それはヒトより倫理的に優れた存在といえるかもしれない。しかし、ヒトより面白みのある存在とはいえないだろう。
そこに「人間らしさ」、ヒトをヒトたらしめている魅力はない。もちろん、だから悪いというわけではない。人間とは全くべつの、比較することも愚かしい存在だという意味である。
何がいいたいかというと、単なる正確さ、精密さ、ロジカルな正しさ、といった美徳は、もはや「人間らしさ」とはいえない、ということである。なぜなら、それらの点においては、いまやヒトよりも機械の方が上回っているからだ。
だから、ぼくは、人間らしさとは、その正反対のところ、論理を超越したところにあると思っている。
つまり、時に利益を度外視して行動できるということ、それが「人間らしさ」ではないか。
「人間らしい」とは、常に正しい選択を選び取るということではなく、時に矛盾して見える行動を採りえるということだと思うのである。
したがって、刹那は、「人間らしく」なればなるほど、常に一○○%の力を出すことは出来なくなっていくだろう。ヒトは機械のような精密さは発揮できないのだから。
しかし、それでも時に一二○%の力を出すことができるかもしれない。それがヒトの可能性だと思う。だからこそ、刹那が人間らしくなっていくことは単に弱くなることではない。
この先、ヒトとして成長した刹那が、より強くよりしなやかに変わって行く展開を楽しみにしている。
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