漫画は読者に挑戦する。


 先日のラジオでちょっと話したこと。

 ある漫画を読むとき、どんな読者も、はっきり言葉にするかどうかはともかく、その作品を何かしらの形で評価している。おもしろいかどうか、凄いかどうか、あるいは、それからも継続して読み続けるかどうか。

 その意味で、漫画は読者に試されているわけだ。ここまではだれもが納得してくれる話だと思う。

 で、ぼくにいわせれば、読者もまた漫画に試されている。そう、漫画は読者に挑戦するのだ。どこまで読みこめるか、どこまで理解できるのか、と。

 何も特別難解な作品だけに限った話ではない。ごく一般的な娯楽漫画でも、「読み」の差は表れる。作者すら予想していなかった魅力を引き出す読者もいれば、その作品が秘めた魅力をまるで読み込めない読者もいる。

 もちろん、どんな「読み」を行うのも、そのひとの自由ではあるだろう。「こういうふうに読んでください」と強制する権利は、作者にも作品にもない。

 しかし、少なくとも自分の「読み」を言葉にして語ろうとする者は、その作品のポテンシャルを最大限に引き出した「読み」を提示するべきだと思う。

 本来、十の魅力がある作品を、一しか読み込めなかったら、それは読者の責任というべきである。

 エンターテインメントである以上、万人が完全に読み込めるよう描くべきではないか、という意見もあるだろう。

 だが、どんな作品でも、百人が百人、同じ「読み」をするということはありえない。多様な「読み」を許すということも、その作品の魅力のひとつだろう。

 その上で、深い「読み」もあれば、浅い「読み」もある。いずれが正しくいずれが誤っているとはいえないにせよ、「読み」の深さの違いというものはあると思う。

 読者は漫画を評価する。漫画は読者に挑戦する。だから、漫画を読み、その内容を解き明かすということは、漫画と読者との真剣勝負だ。

 あるいは、漫画だけではなく、すべてのアートにいえることかもしれない。本当の意味で「鑑賞」するとは、おそらくそういうことである。