タバコの話はいつまで続くんだろ。


 kogonilさんからのメール。何分長文なので、読みやすさを考慮して、見た目を少々いじらせてもらいました。文章そのものは変えていません。

 海燕さん、こんばんは。

 ずっと前に、『風雲児たち』についてのエントリーで「ぜひ幕末編も!」と慌てたコメントをしてしまったkogonilと申す者です。

 タバコについて、思うところを述べさせてください。

 あらかじめ明らかにしておくと、私は喫煙者です。

>あまり論点に差はないように思いますが。

 やっぱり論点はズレていると思うのです。

 海燕さんは、「喫煙か嫌煙か」を問題にしているのではなく「他者に非寛容」というところに問題を感じていらっしゃるように見えます(これが誤解でしたら、圧倒的に恐縮です)。

 でも、それは次のようなことが暗黙に想定されていませんか?(実は図にしてみたのですが、このフォームでは添付できないのですね。言葉で説明できるかトライ中です)

・喫煙者全体を直線に並べると、一方の極に「マナーの悪い奴ら」があり他方の極に「タバコをすわない人にも配慮する喫煙者」がいる

・この喫煙者バーは一方の極から他方の極へ、「タバコをすわない人への配慮」という観点での、ゆるやかなグラデーションで連続している(*)

・同様に、タバコをすわない人の全体をを直線に並べると、一方の極に「喫煙者であるというだけで許せない」非寛容な立場があり他方の極に「あんまり気にならない」人がいる

・同様に、この非喫煙者バーも、一方の極から他方の極へ、「喫煙者の許容度」という観点での、ゆるやかなグラデーションで連続している

・喫煙者バーでのグラデーションである段階からの、許容しがたいマナーの悪さは、喫煙者バーの大部分を占めるわけではない(*)

非喫煙者バーの喫煙者へ極端に非寛容な層も、同様にその大部分ではない

・「対立」は、喫煙者バーと非喫煙者バーの間全体で起こっているのでなく、双方の極端な極どうしで起こっている

 海燕さんは、上記の前提のもとで、「喫煙者 VS 非喫煙者」という対立だけではなく、その対立軸と直交するように、二つのバーを上下に並べたときに双方のバーを横断するようにして見出せる「異なる立場への理解・寛容の有無」という軸を問題視しようとしているものと認識しています(繰り返し、これが誤解でしたら、圧倒的に恐縮です)。

 で、おそらく、それに反論する人は、海燕さんの提題(=非寛容こそが問題)ではなく、その提題の前提になっている、上述の図式自体に異論があるのだと思うのですよ。

 具体的には上記----囲み内で(*)を付けた箇所です。

 喫煙者バー全体のなかで、ちゃんと配慮してマナーも守って喫煙している層なんて、いたとしても“極少数”でしなかい、というのが反論されている方の論点なのだと思います。

 海燕さんの論点が、「非寛容こそが問題であり、これは喫煙に限定されない」というものだとしたら、その論点について議論を進めるには上記----囲み内のような図式に同意していないとなりませんが、きっと、反論してくる方の論点は、その前提に合意できない、ということなのだと思います。

 だから、やっぱり論点はズレているのかなあ、と思って読んでいました。

 以下は、上述の問題についての私の見解です。

 こと、喫煙問題に関する限り、海燕さんの論点に合意できるためには、喫煙者全体の中でマナーの悪い者がごくごく一部であることが誰の目からみても明らかでなければならず、現状はそうではない、ってことだと思います。事実、マナーの悪い喫煙者は一部であって大部分の喫煙者は配慮している、とは言えませんもの。喫煙者である私からしても。

 マナーの悪い者がごくごく一部であることが誰の目からみても明らかになるには、もうしばらくの間は、非喫煙者からの猛烈な抗議にさらされて、喫煙者全体が肩身の狭い思いをする必要があるのだろうと。したがって、非喫煙者は、不快である旨、強く主張し続けるのが、現状での最適解だろうと思っています。

 その結果、喫煙者全体がもっと肩身の狭い思いをして、全般的にマナーや非喫煙者への配慮が向上して、喫煙者バーに占めるマナー劣悪者の率が、明らかに部分的なものになっていって・・・「違う立場への非寛容」を問題にするのは、それからなんじゃないか、と思っています。

 (慌てて付言します。上記は、喫煙に関する限りのことです。エスニックなバックグラウンドや心身状態や性的嗜好などについての「非寛容」は、直ちに「非寛容」を問題にすべきだと思っています。両者の違いは、タバコは本人が望んで嗜好しているのに対して、エスニックなバックグラウンドや心身状態や性的嗜好の大部分は本人が選択できる属性ではないから、と考えています。)

 私自身は、喫煙者です。会食や飲酒の席でも、タバコをすわない人が同席された場合は、必ず「吸っても良いですか?」と聞くようにしていますし、実際に「遠慮してください」と言われたことも、その要請にしたがって我慢したこともあります。

 しかし、これまでの人生の中で、ポイ捨てをしたことがないかと言われれば、非常に忸怩たるものがありますが、「したことある」と答えざるをえないです。

 と、告白をして、失礼します。

 長文、失礼しました。

 ご意見、拝読させていただきました。

 なるほど、仰ることはよくわかります。しかし、やはり、異論があります。

 ところで、一々「マナーの良い喫煙者」、「マナーの悪い喫煙者」と書くのは長ったらしいので、ここでは仮に前者を「良質喫煙者」、後者を「悪質喫煙者」と呼ぶことにします。

 kogonilさんの意見は、まとめると、以下のようなものだと思います。

一、良質喫煙者は、現在、絶対多数派とはいえない。

二、したがって、良質喫煙者が万人の目で見て絶対多数派になるまで、喫煙者弾圧は容認されるべきである。

 「一」にはぼくも賛成します。現状、まだまだ悪質喫煙者は大勢いる。しかし、「二」には賛成できません。

 もっとも、「悪質喫煙者の悪質行為を批判すること」は一向にかまわない。どんどんやればいい。ぼくが問題にしているのは「悪質喫煙者も良質喫煙者も十把一絡げにし、不当な非難を加えること」です。

 悪質喫煙者をへらすためには、悪質喫煙者だけを攻撃すればいいのでは? 喫煙者ないし喫煙という行為そのものを否定する必要はないでしょう。

 それなのに、現状、喫煙者や喫煙という行為そのものが不当な侮蔑の対象となることがしばしばです。ぼくはそのことを問題としています。

 いま現在、悪質喫煙者と良質喫煙者の割合がどのくらいかは意見が分かれるところでしょうが、それはともかく、ぼくは、「悪質喫煙者が絶対的多数派である状況では、少数の良質喫煙者も巻き込まれて非難されて当然」とは思いません。

 仮に、喫煙者の九割が悪質だとしても、それがのこりの一割もまとめて侮蔑していいという理由にはならない、と考えます。

 むしろ、この場合の良質喫煙者は悪質喫煙者が多数であるにもかかわらずきちんとマナーを守っているひとたちであることになるわけで、なおさら不当な非難に晒されるべきではない気がします。

 この問題は、不寛容の問題である以上に、不公正の問題であるのではないか、と思います。

 喫煙者に対する公正な批判は正当なので、いくらでもやればいい、しかし、不公正な非難は正当ではないのでやめるべき、というのがぼくの意見です。