ふと、三島を読みたくなった。
さしたる理由はない。ただ、季節は五月、空気がねっとりと熱を帯びはじめる頃合、だから、三島由紀夫の、あの、氷のように冴え冴えとした文章にふれてみたくなった、それだけのことだ。
三島の本ならどこの書店でも手に入る。朱色の新潮文庫から一冊を選び、手に取ってみても良かったが、この日は何となく、それでは芸がない、そういう気がした。
そこで、ちょっと調べ、三島作品を収めたアンソロジーを読んでみることに決めた。
『ものがたりのお菓子箱』。
収録作は十五作。小さな天使をあしらった表紙には、三島を初めとして、谷崎潤一郎や有島武郎、吉行淳之介、中原中也など、綺羅、星の如き作家たちの名前が並んでいる。
小川洋子ただ一人を除いて、その全員が既に鬼籍に入っている。あたかもこの本自体が、作家は死しても作品は不滅であることを証明しようとうする試みででもあるかのように。
あるいは単に優れた短編を集めた結果、そうなったのか。昨今、短編を発表するチャンスは少なくなって来ている。
こういう本を読むとき、初めの一編から、順序正しく読んでいくひともいるだろう。ぼくはそうではない。何となく気になった作品から、無作為に読み進めていく。それこそ、色とりどりの菓子が収められた箱から気にいりのものを選び取っていくように。
この本の場合、初めの目的の三島ではなく、谷崎の「魚の李太白」から読みはじめた。
むかしむかし、まずある所に――と普通のお伽噺ならこう書くのが当たり前ですが、どっこいそうは行きません。このお話はむかしむかしむかしの古くさい話とは違います。大正の御世にもこんなおかしな、馬鹿げた話があるだろうかと、皆さんが眼を丸くなさるような、つい近ごろの出来事なのです。
物語がぼくを呑みこんで行く。
そして気づくと、十五編すべてを読み上げていた、といいたいところだが、そうではない、まだ何篇か読みのこしている。
すべてを一気に食べあげるのは勿体ない、これはそんな愉快なお菓子箱だ。
三島由紀夫「雨の中の噴水」の想像通り冷たく冴えた感触、吉行淳之介「蝿」の、ぞっとするような怪奇、それぞれが初夏のぎらぎらとした陽射しを忘れさせるほどに面白く、変わっている。
もうすぐ訪れる太陽の季節を思ってうんざりとしていた心が、少しばかり晴れたようだ。優れたお話には、そういう力がある。
それぞれ色合いもかたちも異なる十五個の菓子を収めた、ふしぎな、奇妙な、ものがたりのお菓子箱。気まぐれに読んでみるつもりになったなら、ぜひどうぞ。