自分が嫌いなことをする権利を守るということ。

「喫煙は愚行か?」とその反応を読んでいて、池波正太郎の「男のリズム」を思い出しました。

「男のリズム」の「家」という章で池波氏はこう書いています。



以下引用文



ちかごろの日本は、何事にも

「白」

でなければ、

「黒」

である。

その中間の色合が、まったく消えてしまった。

その色合こそ、

「融通」

というものである。

戦後、輸入された自由主義、民主主義は、かつての日本の融通の利いた世の中を、たちまちにもみつぶしてしまった。皮肉なことではある。

もっとも、百年前のアメリカが、そうだったらしい。

日本も、この新しいモラルを自分のものとするまでは、百年かかるのだろうか。



引用終了



昔は良かったなんていうことを言うつもりはこれっぽっちもありませんが、平素、嫌煙家の方々のネガティブキャンペーンっぷりは病的なものがあるなと思っていたので、有益じゃなければ、害しかないんじゃなくて、無駄なもの(人によっては有益)にもそれなりに意味がある人にとっては意味があり、喫煙も嫌煙もお互いにリスクとメリットを鑑みての行動だということを知って、棲み分けをすれば良いのだと思います。

相手を批判し論破することだけでなく、相手の立場を知り、思いやることも大事かと。

ちなみに私は煙草は吸いませんが、横で煙草を吸われても大丈夫です。

今、ふと思い出したことですが、中国人は思想として「人生は短い。ならば、精々楽しもうではないか」という考えを持っているらしく、その中国人の老人は痩せていようが太っていようが、あまり気にせず食事を楽しんだり様々なことをして、日々を楽しむそうで、逆にイギリスなんかだと痩せぎすな老人ばかりという話をどこかで読んだ覚えがあります。

ガンにはストレスが一番悪いそうですし、気を使って食事制限とかしていた方が病気になるのかもしれません。

そうなると体の為に痩せるダイエットがストレスを蓄積させる愚行になったりするので、何が賢い判断で、何が愚行なのかは本人以外にはあれこれ言う資格は無いように思えますね。

 ご意見、全く同感です。

 ぼくも喫煙習慣をもたないので、あしたタバコが禁止されても痛くも痒くもありません。正直な話、タバコがなくなってくれればその方がありがたいくらいです。

 しかし、それでもなお、いまの一部の嫌煙派の言い草はおかしい、と思います。ただタバコを吸っているだけでまるで人でなし扱い。

 じっさいにだれかに迷惑をかけたその当人が非難されることは当然ですが、喫煙者全体を十把一絡げにして非難することには納得が行きません。

 愛煙家と嫌煙家の言い争いは、しばしば、たがいに不倶戴天の天敵であるかの如く、不毛の体を成します。あれはいったい何なんでしょうか?

 もちろん、だから愛煙家が正しい、というつもりはありません。ようするに、絶対善と絶対善の妥協を知らない論戦は不毛である、といいたいのです。

 『禁煙バトルロワイヤル』という本がすばらしいのは、議論がそういう無益な言い争いに堕さず、まさに「相手の立場を知り、思いやる」智慧を感じさせるところです。

 ぼくには、嫌いなものがたくさんあります。タバコだって別に好きじゃない。しかし、だからやめろ、とはいいたくない。もう、好き嫌いだけで行動する歳ではありませんから。

禁煙バトルロワイヤル (集英社新書 463I)

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