長いあいだ文章を書いて発表していると、意図が全く伝わらないことがある。
相手が誤解しているならまだいい。問題は、自分の書き方が悪かった場合だ。そんな時、ぼくは、「たしかにそう書いたけれど、そういう意味じゃないよ。察してくれよ」といいたくなる。
甘えではある。Aと書いておいて、Bと読んでくれることを期待することは間違えている。
しかし、それでいて、読者としてのぼくは、「Aと書いてあるが、本当はBといいたいのだろうな」と感じることが時々ある。
昨日取り上げた『オタク成金』はその典型で、たしかに文章を素直に読んでいくと暴論としか思えないが、それはおそらく書き方が悪いせいであって、じっさいに主張したいことは別にある、とわかるのである。
昨日の記事はそこらへん全く察さずに書いているのだけれど、本当は察してあげた方が建設的な議論になるのかもしれない、と思う。
思うだけ。