某宗教団体の本に水村美苗が出ていた。


 驚いた。

 昨日、我が家を、見知らぬ中年女性が訪ねてきた。

 宗教の不況か保険の勧誘だろうとすぐに気づいたが、冊子をくれるというので、受け取った(皆さん、こういう時は受け取ってはいけません! 受け取ると、またやって来ます!)。

 表紙には実践倫理宏正会と書いている。どうやら、宗教の方だったらしい。

 いやいや、正確には、実践倫理宏正会は宗教団体ではない。社団法人である。しかしまあ、宗教のようなものだと思うので、ここではそう書く*1

 で、先ほど、その冊子をぺらぺらとめくっていたら、水村美苗のインタビューを見つけた。あの『日本語が亡びるとき』で、数名のアルファブロガーを巻き込み、大騒ぎを巻き起こした水村である。おお、こんなところでも話をしているのか。

 興味がわいたので、読んでみた。

 内容を簡潔に要約するなら、「日本語は優れた言語だが、いま、英語の猛威をまえに亡びつつある。日本語を守らなければならない」というところか。

 たとえば、以下のようなことが書いてある。

 日本語は一見いい加減な言葉のように見えますが、書き言葉として存続させる価値のある言葉です。ひらがな畑のあいだに漢字がぽつぽつと立ち、重要な言葉が目に飛び込んできて、文面をぱっと見ただけでおおまかな内容がつかめます。カタカナも目立つので、同じような働きがある。西洋語は、同じような文字が並んでいるだけで、いちいち読まないと内容がつかめませんし、また論理の飛躍がしにくく、言葉の間でもって自由に遊べません。見た目にも実に単調きわまりないものです。

 出た! 「日本語は仮名と漢字が混じっているからすばらしい」論だ。

 水村のように日本語を礼賛するひとは、必ずこの理屈を持ち出して日本語を褒め称え、英語を初めとする西洋語を非難する*2

 しかし、それはやはり贔屓の引き倒しだろう。同じことを、日本語は見た目が乱雑で、論理が飛躍しやすい、といいかえることもできるのだから。

 べつだん、日本語が欠陥品だといいたいわけではない。それぞれの言語にそれぞれの長所と短所があるのだから、どの言語が優れていてどの言語が劣っている、などといいだしても無意味だというだけである。

 畢竟、水村の主張は、一種の日本語ナショナリズムに過ぎないように思える。だからこそ、実践倫理宏正会のような団体からインタビューを求められるのだろう。

 しかし、これで、ブログのネタがひとつ出来た。また勧誘のおばさんがやって来たら冊子を受け取ってみよう(やめなさい!)。

*1:詳しく知りたい方はGoogleに訊いてみよう。

*2:たとえば、『祖国とは国語』の藤原正彦など。