- 作者: こうの史代
- 出版社/メーカー: 双葉社
- 発売日: 2008/01/12
- メディア: コミック
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あなたは疲れている。
物語を読むことに、疲れ切っている。
思えば、随分とたくさん読みつづけてきたもの。何千冊と読んできた本の、その大半が物語なのだ。少しくらい疲れても無理はない、そうかもしれない。
だから、この頃のあなたは、事実を扱った本ばかり読むようになった。あれほど好きだった物語を読むことは、すっかり少なくなってしまった。そんな自分を、あなたは少し寂しく思っている。
ところが、昨日、あなたは、一冊の、いや、三冊の本を手に取った。あなたの好きな作家、こうの史代の最新作だ。
『この世界の片隅に』。
上中下巻で一作の物語を形づくっているらしい。
あなたの信頼するウェブサイトでも絶賛されていた。傑作かもしれない、ぼんやりそう思う。あなたは三冊をいちどに購入し、読みはじめる。
物語は、昭和九年正月の広島を舞台にした「冬の記憶」に始まる。すずという名の幼い子供を主役に綴られる、少しふしぎなお話だ。
そのあと「大潮の頃」、「波のうさぎ」が続き、すずは少しずつ歳を取っていく。そして、いよいよ、『この世界の片隅に』が開始する。
はじまりの月は昭和十八年十二月。あの幼かったすずはもう大人になっており、嫁入りの話がやって来る。
この時代、親が縁組を決めるのはあたりまえのこと、すずも特別気に病むことなく、呉の家に降嫁する。
そこから始まる新しい日常。無口な夫、科学好きの義父、足の悪い義母、意地悪な義姉、幼く愛らしい義理の姪らとのそうぞうしい日々がユーモラスに綴られる。あなたが良く知っているこうの史代の世界だ。
こうののユーモアは素直である。緊張と緩和のくり返し。あなたは時に微笑み、時に噴き出しながら、物語を読み進めていく。
そう、どうして微笑まずに読むことができるだろう。あなたよりもっと疲れた魂のもち主でも、この作品にふれるとき、ほのかな微笑をこぼさずにいられないだろう。それほど、すずの日常は巧まざる笑いに満ちている。
時は戦時中、それなのに、彼女のまわりからは笑声が絶えない。すずにはひとをしあわせにするふしぎな力があるようだ。初め彼女にきつくあたる義姉も、いつのまにか、すずに感化されていく。
戦時下の楽しい日常。穏やかで愉快な日々。すずの生活は七十年後の世界に住むあなたには貧しく苦しげなものに映るが、すず本人は少しもそう思ってはいないようだ。
どんな時代にもささやかな幸福はあるものだ、そうあなたは思う。このまま時を停めて永遠に保存しておきたいような、そんな幸福。
しかし、それでも、時を留めることはできない。少しずつ、少しずつ、すずの日常は戦争にむしばまれていく。
あなたはいつしか夢中になって読み耽っている。ふしぎな光景だ。物語に疲れていたはずのあなた、頁をめくることに倦んでいたはずのあなたが、初めて本にふれる少年さながらに、熱心に読み進めていく。
物語の魔法があなたをとらえた。先の展開が気になる。もっともっと読んでいたい。
しかし、ああ、この先には、悲劇が待ち受けているのではないか。この平和な日常が崩れ去るところを見たくはない。相反する想いにひき裂かれながら、あなたは一頁、また一頁とめくっていく。
時を停めることがかなわないように、頁をめくる手を止めることもできない。あなたは上巻を読み終え、続けて中巻に取り掛かる。
いよいよ、戦争の影は色濃くなってくる。その一方で、すずは娼館の女性と友人になり、夫が彼女と関係をもっているらしいことを知ってしまう。また一方で、初恋の男性と再会することにもなる。
そして、下巻ではあの昭和二十年がやって来る。あなたは知っている。この年、すずが住む軍都呉が空襲に遭うことを。広島に原子爆弾が落とされることを。
だから、あなたは不安に駆られながら物語を読み進める。章を経るごとにひと月、またひと月と進んでいく時が、あたかも死のカウントダウンのように思える。
お願いだから。あなたは願わずにはいられない。この健やかな女性に暗い運命が訪れませんように。
しかし、あなたの祈りは届かない。下巻、遂に物語はとりかえしのつかない喪失と悲劇を描きはじめる。その壮絶。
あなたは、もちろん、もっと過激な表現を知っている。もっと残酷な作品を知っている。けれど、すずを襲う悲劇はそれ以上の鋭さであなたの胸をえぐる。
長い時間をかけて積み上げられてきたものがあるからこそ、哀しみがいっそう重く胸に迫るのだ。
すべては崩れ去ってしまった。失われてしまった。もう二度と元には戻らない。
それでも、物語はそこでは終わらない。そのあと、こうのはのこりの頁を使い、文字通り歪んでしまったすずの世界の再生を描いていく。
下巻の真の見所は、悲劇ではなく、悲劇からの復活にある。すずは生きのこった。だから、どれほど辛くても、物語は続いていく。そしてひとは生きてあるかぎり、変わっていく。
しかし、これほど凄惨に崩壊した世界に再生はありえるのだろうか。ありえるのだ。その再生を綴るために、こうのはある特殊な技法を用いる。
いかにもこうのらしい手法であるように、あなたには思える。そもそも、この作品はいままでのこうのの集大成なのだ。
明るい女性と見知らぬ男性との結婚生活は『長い道』を思わせるし、女性同士のあたたかな友情は『街角花だより』を連想させる。そして、戦争の描写はもちろん、あの名作『夕凪の街 桜の国』を思い起こさせずにはおかない。
いままでこうのが用いてきたあらゆるプロットやシチュエーション、テクニックがここに蕩尽されているかのようだ。
それにしても、何ということをやってのけるだろう。あなたは思わず嘆息する。最も漫画的であるが故に通常はギャグとしてしか用いられないであろうトリックが、ここでは純然と物語に奉仕している。
そして下巻の末尾にいたって、物語は『この世界の片隅に』にいたる前の展開、すでにほとんどの読者の念頭から去っているだろう展開をなぞりはじめる。そう、あのひとさらいの鬼や、座敷わらしの話だ。
あの忘れられた物語が、すずの知らない部分を補完してふたたび語られるのだ。不条理で過酷な現実にへし折られたはずの幻想が、敢然と現実にたたかいを挑みはじめた、とでもいうように。
あなたは驚かずにいられない。こんな特異な手法で幻想の勝利を描ききった作家がいただろうか。
物語に実験的手法を持ち込んだ作家は大勢いる。ドラマティックな展開を得意とする作家も大勢いる。けれど、その両者をこれほど高度な次元で融合させてのけたのは、こうの史代が初めてなのではないだろうか。
ここにいたって幻想と現実は結婚を遂げ、すずの世界は再生し、目も綾な色彩であなたたちを魅了する。
幸福だ。
あなたは呟く。
幸福がここにある。
不条理な現実によって奪い去られたはずの幸福は幻想の力によって取り戻された。ここに世界は救済されたのだ。
もちろん、ひとたび失われたものは戻って来ない。戦争が奪っていったものはとりかえしがつかない。
しかしいま、家族には失われた少女の代わりに新しい一員が加わった。ここからまた、新たなる物語が紡がれていくだろう。
あなたは思う。この物語の存在を伝えなければ。そしていま、この文章を書いている。
あなたは嘆願する。
どうか、この不世出の作品を読んでください。たしかに、楽しいだけのお話ではありません。けれど、これほど心あたたまり、これほど胸痛む物語を、他に知りません。すばらしい作品でした。本当にすばらしい作品でした。
いまや物語に対する倦怠は消え去り、幻想への信頼は復活した。この作品は、すずの世界とともに、あなたの世界をも再生してくれたのだ。
あなたは深く感謝する。
ぼくの情熱を取り戻してくれて、ありがとう。